残業とは経営陣の責任である

経団連が、残業規制に反対していた一連の出来事を見て、とても驚いた。
「残業なしで勝負できるビジネスモデルを創れません」と自ら言っているのと同じだからだ。

そもそもイケてるビジネスモデルがあれば、残業なんて必要ない。
「残業しなければ成り立たない」ビジネスモデルしか考えつかなかった時点で、経営陣としては能力不足だと言える。

例えば、営業系会社で働くある友人は、「夜にクライアントから問い合わせがあったらその場で対応しないと、クライアントは逃げてしまう。だから残業するんだ。」と言っていた。
しかし、競合他社がひしめく業界で勝負していて、競合と同じような価値しかクライアントに提供できないのであれば、残業が増えるのも当然だ。
付加価値が「時間差」しかないようなビジネスは、誰でも考えられる。

そして、そんなビジネスモデルでしか勝負できないのは、「経営陣」の責任である。

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もう一つ、「やるべき仕事」と「やらなくても困らない仕事」を分けられていないことによる問題がある。

ある施策を準備・実行している最中に、「そもそもこの施策をやる必要があったっけ?」と考えることは多いと思う。
それを防ぐために、事前にどれだけ考え抜いたかが、経営陣に問われる資質だ。(これは、経営陣だけでなくマネージャーにも言える)

有限な時間の中で「何をやるべきなのか」を始めに考え切ること、そのことで必要最低限のタスクに絞ることができる。
始めにイシューツリーを書き切り、「手戻り」をできる限りなくした方がいい。

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偉そうなことを書いたけれども、僕もかつては、そんな経営をしていた。
ちなみに、これについては年末もブログに書いた

僕の経営している会社は創業6年目で安定もしていないし、給与水準も普通の中小企業並みでしかない。
だからこそ働きやすさ、特に「労働時間」にはこだわらなければいけないと、途中気づくことができた。

採用活動をしていると、男女共働きの時代になったせいか、若くて優秀な人たちも「労働時間」に関して敏感になってきたのを感じている。
自戒を込めて、「残業を必要としないビジネスモデル」を今後も経営者として創っていきたいと思う。

不登校・中退と大学受験

今年も合格発表の時期が来た。
色々な生徒の合格報告が届く。会社が大きくなって僕と現場との距離はだいぶ離れてしまったけれども、それでも「キズキがなければ、引きこもりのままだった」という声を聞くたびに、明日も頑張ろうと思える。

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けれども、「〇〇大学に受かった」ということ自体は、社会全体にとってはプラスの意味もマイナスの意味もないと僕は思っている。

例えば、「慶應大学に受かった」というのは、塾の実績としては良いことかもしれない。
けれども社会全体で見れば、「A君が慶應大学に合格した分、B君は慶應大学に不合格になった」ということになる。
大学の合格者の枠が限られている以上、大学受験とは「ある人が大学に合格したら、別の人がその大学から落ちる」というゼロサムゲームに過ぎないのかもしれない。

だから僕は、普通の塾が行うような、「偏差値の高い大学に受かった生徒がすごい」という教育には全く関心がない。
(現に、塾のウェブサイトには「早稲田大学〇〇名、慶応大学〇〇名!」みたいなことをアピールはしていない)

僕の塾から大学の合格者が出てくれることは嬉しいけれども、それは「難関大学」だったからではない。
高校中退や不登校を経験して長い間苦しみの中にあった彼らが、次の希望に満ちた進路に踏み出せたこと、そのことをいつも嬉しいと思っている。
(もちろん、難関大学には合格者を輩出しているけど)

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高校中退、不登校といった経験は、「クラスの中の1,2名しか経験しない特別な挫折経験」だ。
そして、自分の意志とは無関係に発生してしまった、とても不条理な経験でもある。

だから中退・不登校を経験すると、時に「自分は特別に劣った存在だ」という考えに苛まれる。
「自分なんて、どうせ努力をしても無駄な人間なんだ」と。

けれども、そんな彼らが、彼らなりの努力をして大学に進学をすると、その考えは徐々に消えていく。
受験勉強における「努力」は一定程度、報われるからだ。

他者と比較したら勉強の進みが遅いこともあるかもしれないが、1か月前・2か月前の自分と比較すると、確実に成長していることが分かる。
そして大学に合格した時に、「努力」は一定程度報われるものだということに確信を持てる。

実際、キズキ卒業生たちの多くは、受験を通じて自信を獲得し、その後アクティブに大学生活を送っている。
「ミャンマーをバックパックした」
「ニューヨークでインターンしている」
風の噂で聞こえてくる卒業生たちの活躍を聞く度に、数年前の引きこもっていた彼らを思い出し、とても誇らしく思う。

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また、「適切な進学先」を選ぶサポートをすることも、キズキの重要な使命だ。

「大学に進学後また再び通えなくなってしまった・・・」「その後の就職先が合わずにまた引きこもってしまった・・・」
そうなってしまったら、キズキが介在した価値はあまりなくなってしまう。

だから普通の塾のように「偏差値60のあなたは、早慶とMARCHを受けて、滑り止めに〇〇大学を受けたらどうですか?」といった受験指導は、キズキでは絶対に行わないことにしている。

大事なことは、キズキを卒業していった若者たちが、自己肯定感を持って、「自立」していくということなのだ。
特に少子高齢化の進む中で、「若者の自立」は社会にとって喫緊の課題だ。
長期間引きこもった後に生活保護などの「税の貰い手」になるよりも、引きこもりから脱却して働いて「税の払い手」になった方が、社会全体にとっては良い。

だから、「偏差値の高い大学」に合格させることを使命とするのではなく、「本人の自己肯定感」を高め、将来的な自立に繋がる進学先に送り出すことが、キズキの使命だと僕は考えている。

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起業してから5年間いろいろな事業をやってきたけれども、ずっとメインとなってきたのは、不登校・中退を経験者のための受験塾だった。
この「キズキ塾」は、元々代々木にしか校舎はなかったけれども、昨年末に秋葉原にも校舎を出して、今年5月には大阪にも校舎を出す予定だ。
来年度も、たくさんの若者たちの自立を支えられたらいいなと思う。

競合の登場と社会的意義

年明けから、弊社の社員向けに週報を書くことにした。

塾の校舎が代々木と秋葉原、行政から委託を受けている事業所が東新宿、中退予防のお手伝いをさせて頂いている専門学校・大学が全国にある中で、どうしても僕自身が現場と離れてしまっているからだ。

週報は毎週の経営課題の話が中心にしてるのだけれども、その中で僕個人の日々の雑感も書くことにしたので、ブログにもアップしておこうと思う。

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安田です。みなさん、年末年始はいかがお過ごしでしたか?

33歳独身の年末年始は、友人たちと沖縄に行ったり大阪で天皇杯決勝を見に行ったりしていました。
そんな僕のプライベートの今年の目標は結婚です。

さて、今日の話は「ウェブのマーケティング」です。
僕がキズキを作った頃、不登校・高校中退の方々を対象とした塾は、日本にほとんど存在しませんでした。だからこそ、この社会に必要だと感じ起業したのです。

けれども、僕が起業してから数年経つと、幾つかの業者が出てきました。
それら業者の初期のウェブサイトや料金体系、文章などは、明らかに弊社を真似したものでもありました。

キズキという会社で考えれば、このことはとても辛いです。
経営者としても、とても苦しい状況です。

しかし社会全体で見たら、どうでしょうか?
不登校・中退の方に多くの選択肢ができたことになります。

ウェブサイトは不登校や高校中退、引きこもりの方々にとってとても重要です。
友人関係が絶たれた多くの若者にとって、「インターネット」は重要な社会との接点だからです。

彼らが「通いたい」と思える塾のホームページを作り、
何年も引きこもっていた彼らが実際にアクションを起こすことを手伝うことは、「支援」の第一歩になります。

競合が出てきた悔しさを味わう度に、「これは社会にとって良い方向になる」と思い直し、日々の仕事に取り組んでいます。

経営者として考える残業、2017年の誓い

おっさんたちが「残業」を好む理由の一つは、「自分もそうやって仕事をしてきた」からだと思う。
「自分は長時間働くことで、仕事の能力をつけてきた」と思っているからこそ、他者にもそれを押し付けてしまう。

僕自身も起業してから2年ぐらいは、1日15時間働き、休みもなかった。だから「全社員、長時間必死で働くべきだ」と心のどこかで思っていた。
僕に限らず起業家の多くは「寝ずに働いたことで、今の自分がある」と思うだろうし、外資金融コンサルの多くも「バリュー出なければ長時間働くべし」と思うだろう。

でも今は、そういう自分の価値観を他者に押し付ける「幼さ」から脱皮できて、とても良かったと思う。

自分と同じ成長曲線を他者がたどるとは限らない。
自分と同じような価値観を他者が持っているとは限らない。
自分と同じような体力を他者が持っているとは限らない。

自分と他者は全く異なる存在だという認識なしには、会社も社会も適切に回すことができない。

僕が、そう思えるようになったのは去年ぐらいのことだった。
それまでも労働時間の管理はしていたけれども、今年からは電子タイムカードを導入するなど、幾つか仕組みを整えた。その結果、1日平均残業時間を30分程度まで抑えることができた。

僕自身も労働時間が減ったことで、仕事に必要な本を読んだり、友人たちに仕事の特定のテーマについて相談したり、または仕事とは直接関係のない文学や思想の本を読む時間も取れるようになった。

そういった仕事に一見関係が薄いことにも時間を使ったが、それらは確実に仕事にも活きた。
現に、巣鴨駅から徒歩15分/築40年のアパートから始まった会社は、5年間でアルバイトを含めると100名を超える規模になった。

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「20代のうちはもっと仕事をした方が力がつく」「もっとたくさん働きたい人もいる」
労働時間の規制の話になると、必ずこの手の反論が出てくる。

僕も前述したように20代後半のその時期は必死で働いたし、そのおかげでだいぶ力がついたとも思っている。

けれども普通の大企業であれば、たくさんの人が入社してくるのだから、単一的な価値観を押し付けてはいけない。
成長曲線も価値観も体力も、人はそれぞれ異なる。

仕事以外の時間について、仕事が大好きな人は仕事に関わる自己研鑽に使えばいいと思う。
でも一方、家族や恋人と過ごす人がいても良いと思う。家族や恋人と過ごしリラックスすることで、仕事のパフォーマンスが上がる人もいるかもしれない。

そして何より、電通の一連の出来事みればわかるように、「過労」は時に取り返しのつかない状況を生んでしまう。
だから過剰な残業を会社(上司含めて)が社員に強制してはいけない。

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人は鬱状態になると、正常な判断ができなくなってしまう。「こんな会社辞めてやる」ではなく「能力が低い自分はどこに行ってもダメなんだ」となってしまう。

実際に転職市場は、新卒ですぐに辞めた人には厳しい。
僕自身も新卒すぐに鬱になって会社に行かなくなったことがあった。
「新卒一年目で辞めたら、もうどこにも雇ってもらえなくなる」と悩み、住んでいたマンションの7階から飛び降りようと何度もした。

だから、「会社が合わなければ、辞めればいい」なんて論理も、成り立たないと僕は思っている。

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僕を知っている人はわかると思うけど、僕は人とのコミュニケーションがあまり得意ではない。
だからできることは数少ないけれども、来年は残業削減だけでなく、社員のキャリアアップ制度を作ったり、360度評価の仕組みを入れたりなど、できることを丁寧にきちんとやっていきたい。

社員一人一人がもっと働きやすい環境を作る、それが2017年の僕の経営者としての誓いだ。

経営方針

 今年は激動の年だった。そのうちの一つが、NPO法人でやってきた事業のほとんどを、昨年作った株式会社に移管したことだった。今後弊社(キズキ・グループと呼んでいる)は、きちんと利益の出る事業を株式会社で行い、利益は出ないが社会変革に必要な事業をNPO法人で行っていく。
 その体制変更に伴い、弊社が今後どのような道を目指していくのかを文書にまとめ社内に告知することが、年末の大きな仕事の一つだった。
 完成したものを、備忘録的に僕のブログにも転載しておこうと思う。
 
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 キズキは「何度でもやり直せる社会をつくる」ことをミッションとしていて、このミッションを一刻も早く達成したいと考えています。(このミッションは、ウェブサイトでも書いているように安田自身の幼少期の頃の経験やバングラデシュでの経験に基づいています)
 そして、一刻も早いミッション達成のためには最もインパクトのある方法で事業を遂行する必要があります。
 
 一般的に社会的な事業では、「寄付」「行政委託」「ビジネス」の3つの事業遂行の形態があります。
 
 ・「寄付」について
 たとえば貧困世帯の支援等、利益獲得が困難な事業を遂行する上では有益な手法となりえますが、そのためには継続的に寄付を募る能力の獲得が必要となります。現状キズキには継続的に寄付を集める能力が備わっていないため、NPO法人の中で今後力を入れていく事業になります。

 ・「行政委託」について
 行政は市場の失敗を補完する上で歴史的に重要な役割を果たしていきましたが、教育・福祉分野の委託事業については、現状では幾つかの課題があると感じています。これらの課題解決を行政に訴えかけながら、今後は徐々に行政委託事業に力を入れていきます。
1:質の向上に向けた切磋琢磨よりも、行政が決めた枠組みに沿ってきちんと事業を行うことが最も重視されがちです。
2:現状、多くの委託事業では、「行政が委託業者を選ぶ」というやり方が行われています。そのため、困難を抱える方々が「どの業者によるサービスを選ぶか」という選択権を持っていないケースがあります。キズキの事業で言えば、普通の生徒たちは塾を選べるのに、貧困などの若者は行政が指定した業者のところに通わざるをえないという状況が生まれているのです。
3:教育・福祉の行政委託事業では、間接費の設定が認められていない場合が多々あるなど、事業の継続性を考えると委託を受けるのが難しいことがあります。
 
 上記の裏返しの表現になりますが、「質の向上に向けた切磋琢磨を行うこと」「利用者が最も良いサービスを選択できること」「持続可能な組織であること」が、社会課題解決において重要なことだとキズキは考えています。また、少子高齢化の中で国の社会保障費が増大する中で、「できるだけコストをかけず」社会課題を解決できる仕組みも重要だと考えています。
 これらを満たしているものが、「ビジネス」だと考えています。ビジネスであれば、他者との競争の中で質の向上を生まれ、顧客は質が高いサービスを選びます。また、適切な対価を頂くことで組織として継続していきます。もちろん行政の補助が出るような事業も多々ありますが、基本的には行政がコストを払う必要は無くなります。
 そのため、キズキでは、一定レベルの所得層の方々を対象とした事業は、きちんとビジネスとして対価を頂くべきだと考え、ビジネスを基軸に事業を展開していきます。

 もちろん現実には、この「売上」と「社会的価値」が必ずしもリンクしないビジネスが沢山あります。いくら売り上げを上げても、一部の人が幸福になり多数の人が不幸になってしまうようなビジネスもあります。
 キズキは、このような事態を回避するため、「より多くの困難を抱える人に質の高いサービスを届ける」ことと、「売上・利益といったビジネスの結果指標を直結させる」ことに徹底的にこだわります。
 そのため、例えば学習教室事業では、生徒一人一人の半年以上の通塾継続率を事業にとって一つの重要な指標として定義し、継続率向上に向けて徹底的にサービスを改善しています。なぜなら、一度学校をドロップアウトし、他の塾にも通えなかった若者たちが、キズキで半年以上通い続けられたならば、彼らの社会復帰にとって重要な出来事となるからです。一方で月謝制のため、顧客に継続してもらうことが、売り上げを継続的にあげる上では重要です。
 また、生徒数の拡大こそが、「より多くの困難を抱える人に質の高いサービスを届ける」ことにつながると考え、多くの生徒に対し授業を提供できる講師をより高く評価する設計としています。
 今後他の事業に参入する場合も、その選択においては、ミッション達成とビジネスの成果達成が直結されることが担保されることを不可欠の条件とすることをここに宣言します。

基本的に社会は断絶している

 僕は知らない社会のことを、知ったかぶって書くのは好きではないけれども、今回の大統領選でよく言われていたヒラリー支持層とトランプ支持層の「社会の断絶」について少し思うことがあった。
 多くの日本人がアメリカ社会の断絶について驚いていたが、別にこれはアメリカに限った話ではないと僕は思っている。日本、そしてどの国でも、社会は基本的に断絶している。
 
 日本で言えば、士農工商の時代では身分によって見えてる世界は確実に違っただろうし、明治以降になっても地域によって方言もかなり異なったからお互いの世界は違っただろう。
 戦後一時的に日本は「一億総中流」という時代を迎えるけれども、その時代だって山谷に日雇い労働者が溢れていた。(今よりも稼げる日雇い仕事があったものの)
 20年ぐらい前になると「島宇宙」という言葉が現代社会の評論によく登場したし*1、10年前、僕が大学生の頃は、赤木智弘氏の「丸山真男を引っ叩きたい、31歳フリーター。希望は戦争」という論考が話題となった。*2
 
 *1「島宇宙」とは宮台真司氏が提唱した概念で、多くの人が従う広い価値観が薄れて、共同体の中だけで通用する狭い価値観に基づいて人々が行動する様子を指す。
 *2 就職氷河期のせいで31歳フリーターという状況にあった赤木氏は、戦争によって社会が流動化することを若者が望むのは当然だと書いた。これに対してリベラル系の政治学者・社会学者たちが様々な反論を試みたが、端から見ていてどれも説得力のある反論ではなかった。
 
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 都心から2時間弱の準地方都市にある偏差値40台の高校から上京してきた僕にとって、ICUでの大学生活は驚きの連続だった。
 例えば高校の同級生たちの中では、「まずアルバイトで1年お金を貯めてから、大学・専門学校に行く」という選択が当たり前に存在した。けれども、大学に入ってから出会った多くの人たちは、両親が共に実の親で、高校時代まで親からお小遣いをもらい、大学に入っても学費も生活費も親から支援があった。
 大学入学後しばらくの間、まったく違う世界に来たことに慣れないでいたことを今も思い出す。(なんせ入学式で「ナメられないように」と思って、サングラスをかけていたほどである・・・思い出すたびに恥ずかしい記憶だ)

 新卒で入った会社で会ったある人は、今の僕の仕事について、「ひきこもりなんて支援する意味ない。自分の責任だから。」と言った。全て自己責任と捉える発言は、僕の周り(多くはソーシャルビジネスと言われる分野の経営層)では滅多に出てこないが、少しコミュニティを出ると価値観は変わる。

 つまり、今も昔も日本もアメリカも、社会は断絶しているのだ。基本的に社会は断絶しているということを、狭いコミュニティで同じような人たちに囲まれて生活していると忘れがちになる。いや、「狭いコミュニティ」で生活しているということさえ、僕らはなかなか気づかない。

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 基本的に社会は断絶していて、それは変えようがない。それはアメリカや日本だけでもなく、僕の関わってきた様々な途上国でも多かれ少なかれ同じだった。
 だから異なる他者を想像する努力を常に心がけ、書を読み、現場の話を聞かなければならない。それがエリートに求められる「知性」だと思う。
 
 最近もどこかの大学教授が過労で自殺した女性を叩いている様子を見て、異なる他者の背景に思いを寄せる「知性」の難しさを知った。けれども僕はそういう「知性」を持ち続けたいといつも思う。

なぜ体罰がいけないのか

戸塚ヨットスクールが未だに支持されてしまう一つの理由は、「体罰のおかげで変われた」という人が、世の中に一定数いるからだ。
人間は往々にして、「自分の経験」を他者にも押し付けようとする。
「自分が体罰によって更生できたのだから、他の人も体罰があれば更生できるのだろう」と。

自分の経験が他者に全て適用できるのであれば「統計学」がこれほど流行ることはないはずなのに、なぜか「教育」分野になると「自分の経験」を一般化して語りたがる人が急増してしまう。
(日本の教育に欠けているものは、「自分の経験」ではなく「統計的エビデンス」に基づく教育実践だと、僕はいつも思う)

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それに、もし体罰にたとえ多少の効果があったとしても、それでも絶対に行ってはいけない。
なぜなら、それは「取り返しのつかない傷」を子どもたちに与えてしまう可能性があるからだ。時にそれは死亡に至ることもある。
体罰によって更生できた経験を持つ人がどれだけいたとしても、体罰をやってはいけない理由はここにある。
リスクが大きすぎるのだ。

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僕は父と10年近く連絡を取っていないのだけれど、その理由の一つは体罰だった。小さい頃、些細なことで殴られて怪我をして、数日学校に行けなくなることが何度かあった。その記憶が33歳になった今も、僕を苦しめている。

紛争の中の日常

「ガザ」という言葉がニュースになる時はいつも、2・3年おきに繰り返されるイスラエルからの侵攻についてだ。

けれども、美しい海やフレンドリーで優しい人々がいることは、あまり知られていない。
そこでは他の国と同じように、普通の日常が営まれている。

日の沈む頃になると、夕日に赤く染められた海辺に人が集まってくる。いつの間にか、人で砂浜が埋め尽くされる。
日中は暑いから海水浴はこの時間から始まるらしい。

その海辺に行くと、近くの小さな商店からおじさんたちがやってきて、無料でコーヒーを振舞ってくれた。その後コーラを買おうとして財布を取り出しても、お金を受け取ってくれなかった。
世界一のホスピタリティだった。

ヒジャブ(イスラム教徒の女性がかぶるスカーフ)をまいた、一見宗教的な女の子たちは、
「私とこの子のどっちが好み?」
とふざけながら僕に聞いてきた。
世界のどこにでもいる、普通の女の子だった。

でも、ある日一人の若者が僕に言った。
20歳そこそこで結婚したという彼に、「なんで早く結婚したの?」と聞いた時だった。
「俺らはいつ死ぬかわからないから、好きだと思ったらすぐに結婚しないとダメなんだよ」

普通の日常の中に、「戦争」という非日常がある。
それが数十年、パレスチナの変わらない現実だ。

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「ガザ」は僕にとって、憧れの場所だった。

パレスチナはヨルダン川西岸地区とガザ地区に分かれるが、一般の旅行者は「ガザ地区」への入域を認められていない。イスラエル政府から禁止されているからだ。
これまで僕は、5回イスラエル・パレスチナを訪問したけれども一度も、ガザに入ることはできなかった。

今回僕がガザを訪問したのは、僕の大学時代の恩人である上川路文哉さんが開催したビジネスコンテストを見学・協力するためだった。国連にも協力して頂けたことで、僕もガザに入ることができた。
https://readyfor.jp/projects/gazachallenge

大学を出ても職がなく、過激な闘争に身を投じる、あるいは宗教で禁止されているにも関わらず将来に希望が持てずに自殺する・・・
こうした現状のガザ地区に、起業支援を通じて少しでも希望を届けたいと考え、今回のプロジェクトが生まれた。

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ガザの問題の根底には「イスラエルによる封鎖」がある。

イスラエルによって陸・海・空を封鎖されたガザ地区は、資源が足りず停電ばかりするから、産業が育ちにくい。たとえ良い製品を作ったとしても、輸出することもできない。産業がないから、若年者の失業率は60%を超える・・・
どんなに優秀でも、ガザの外に出ることができないから留学のチャンスはほとんど無い。
そして2、3年おきに繰り返されるイスラエルの侵攻・・・・2014年の侵攻では2000人以上のガザの人たちが亡くなった。
絶望する若者たちの間では、自殺が増えて行く・・・

そんな状況でも「何かできることはないか?」と思い、2005年に僕は、日本にイスラエル人・パレスチナ人12名を招致し、1ヶ月に渡る平和会議を行った。(日本・イスラエル・パレスチナ学生会議)
当初はいがみ合っていた12名は、帰りの成田空港で大泣きして離れないほどに結束が強くなった。僕の20代の中で最も大きな成功体験だった。けれども、現地に及ぼすインパクトは、まだまだ小さかった。

イスラエルの「政治」が変わらなければ、根本的な解決はできない。だから僕には何もできることはないのではないか・・・
それから11年間、大学を卒業してからもずっと悩んでいた。

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そして先週、二日間に渡るコンテストが終了した。

優勝は灰から高性能な建材を作ろうとしているグループ、準優勝は重い荷物や車いすの輸送ができる昇降機を作ろうとしているグループだった。他にも有望なビジネスがいくつもあった。

コンテスト優勝・準優勝した若者たちが、抱き合って大喜びしている姿を見たとき、僕は5年前の時自分を思い出した。

僕もうつ病で会社を辞めて仕事がなかった頃があった。
その時にビジネスコンテストで入選し、賞金と様々なアドバイスをいただき、起業家の一歩を踏み出すことができたのだった。
http://kizuki.or.jp/

仕事がない日々は自己肯定感を奪っていったが、起業家として一歩踏み出したことで、世界はガラリと変わった。
僕も「起業」「仕事」によって、生きる希望を回復した人間の一人だった。

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イスラエル・パレスチナ問題に対して、「政治」以外のアプローチで何ができるのか10年以上悩み続けたけれども、今回やっと自分なりの貢献の方法が見つかったことは嬉しかった。

今後数年は国内事業中心にはなるものの、「何度でもやり直せる社会を創る」ことをミッションに掲げた会社として、できることをやっていこうと思う。

最後に、このプロジェクトへの寄付を募っています。
あと30時間で50万の寄付が集まれば、プロジェクトが成立します。
どうぞ宜しくお願いします。

https://readyfor.jp/projects/gazachallenge

5周年

 キズキはこの8月で5周年を迎える。
 
 創業5年目で売上は1億近くに達した。
 創業の頃からやっていた不登校・中退経験者を対象とした「キズキ共育塾」の運営に加え、専門学校・大学を対象とした講師派遣・研修・コンサルティング事業、行政から委託を受けて行っている就労相談・トレーニング事業、ベトナムでの事業など、様々な事業を行うようになった。
 
 特に、キズキの主幹事業である「キズキ共育塾」では、中退・不登校などを経験した若者たち160名が通う塾になった。
 この5年間で関わった若者たちのうち、95%は進路の決定まで導けた。今も多くは生き生きと大学に通っていたり、すでに就職していたりする。
 けれども5%の若者たちは、救えなかった。

 今は正社員10名、アルバイト60名の人たちが働いていて、創業まもないことから今も支え続けてくれているスタッフもたくさんいる。そういうスタッフたちに支えられて、僕はここまでやってこれた。
 一方で、幼かった僕は多くの人と対立してしまった。一時は仲の良かった人たちと、喧嘩別れに終わったことも何回かあった。どの会社でも起こることだとは分かっているが、それでも思い出すたびに苦しい。

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 25歳の時に新卒で入った大企業に、入社4ヶ月で通えなくなり、その後1年以上のひきこもりの生活を経た上での起業だった。27歳だった僕が、「食っていくため」に行った起業だった。経営者としての自覚など、全くないまま始めた事業だった。
 事業を大きくしていくつもりもなかった。創業3年目の直前に、やっと第一号の社員が誕生したぐらいだ。
 
 食っていくために、生きていくために、必死だっただけだった。
 だから、この5年間を思い出すと、正直なところ恥ずかしい気持ちや申し訳なくなることの方が多い。後悔ばかりが頭に浮かぶ。

 けれども、6年目は確実に売上1億を超える。今では、毎月のように新入社員が来るようになった。僕自身の役割も、「起業家」から「経営者」にならなければいけなくなっている。

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 引きこもりだった僕が、ここまでやってこれたのは単なる奇跡だったように思う。
 奇跡は長く続かないことを自覚して、僕自身が成長しなければいけないことを5周年を機に思った。

バングラデシュとイスラム原理主義

バングラデシュという国は、僕の青春を過ごした場所だ。

大学2年生の頃、南アジアを旅する途中にただ立ち寄るだけのつもりだったバングラデシュで、セックスワーカーの女性たちと出会い、その後娼婦街でドキュメンタリー映画を作っていた話は、昔のブログに書いたことがある。*1

https://yasudayusuke1005.wordpress.com/category/バングラデシュ/

この矛盾だらけの社会で自分は何をしたいのか、そして何をすべきなのか、そういう種類のことに悩み続けていた20代前半の頃、その答えを僕にくれたのはバングラデシュで出会った人たちだった。

バングラデシュでできた親友は、ストリートチルドレンたちを見るたびに僕に言った。
「毎年3万人が自殺する日本人よりも、あの子たちが不幸かどうかは分からないわ。人間の幸せなんて、そんな簡単にわかるものじゃないのよ。」

農村から売られてきたセックスワーカーの女性たちは、農村にいるよりもはるかに稼ぎは良かったが、それでも、
「自分の存在は罪だ」
と語っていた。リストカットをする女性もいた。

人の尊厳を守るような仕事をしたいと思うようになったのは、彼らとの出会いがきっかけだった。

それに彼らはとても情に厚く、優しかった。12歳の頃に家を出てからは他者に心を開けなかった僕に、人の温かさを教えてくれたのも彼らだった。

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バングラデシュという国を理解するためには、歴史を知るのがてっとり早いと思う。
第二次世界大戦まではバングラデシュも、隣のインドも、イギリスの植民地だった。その後、ヒンドゥー教徒のベンガル人が多く住む地域は「インド」の「西ベンガル州」として独立した。

一方、イスラム教徒のベンガル人が多く住む地域は「東パキスタン」として独立した。西パキスタン(=現在のパキスタン)とはインドを挟んで1000キロ以上離れているにもかかわらず、同じ国となった。
つまり、バングラデシュは、同じベンガル人の国家を作ることを望まず、民族は違っても同じ宗教を持つ人々と国を創ったのだ。
けれども、その30年後、パキスタン政府が東パキスタン(=現在のバングラデシュ)に対して「ベンガル語」の使用を禁止したことから、ベンガル人の民族意識が高まり、独立戦争が起こる。結果として、「東パキスタン」は「バングラデシュ」として、パキスタンから独立することとなった。*2

このようにバングラデシュは、第二次世界大戦後に一度は「宗教」共同体としての独立を果たしたものの、その後ベンガル人という「民族」共同体としての独立に方針転換した国だ。

「同じイスラム教徒であっても分かり合えなかった」という歴史があったからこそ、バングラデシュの人達はとても他宗教に寛容だ。

また、非常に親日国だ。僕がこれまで訪ねた世界50カ国ぐらいの中で、バングラデシュほどの親日国を見たことがない。
広島・長崎のことを小学校で習うため、戦後の焼け野原から復興・発展した日本に対する印象は極端に良い。それに、バブル期には多くのバングラデシュ人が出稼ぎ労働者として日本にやってきたが、多くの人は日本人との交流を楽しげに語る。

だから、今回の事件で、「日本人だ。殺さないでくれ。」と叫んだ方がいたのことは、とても理解できる。僕がこの場にいたら同じことをしていただろう。

「バングラデシュ人が日本人を殺そうと思うわけがない」
バングラデシュで生活した経験のある者であれば、誰しも思うのではないか。

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そんなバングラデシュだが、僕が現地で映画を製作していた2008年頃、原理主義的な発想を持つ若者たちに出会った。イスラム教がセックスワークをどう捉えているのか知りたいと思い、ウットラー地区(バングラデシュの高級住宅街の一つ)に住む若者たちのイスラム教勉強会に参加したのだ。
ちなみに、50人ほどの参加者は皆、私立大学の学生だった。バングラデシュは平均年収が5万円程度の国であるが、私立大学の学費は年間十数万円にもなる。私立大学に通えるのは、相当の富裕層だ。

「セックスワークについてどう思うか?」
僕はリーダー格の若者にカメラを向けた。するとアメリカで生まれ育ったという彼は、訛りの少ない英語で僕に語った。
「イスラム教では、女性は守るべき存在だとされている。例えば、テレビCMで女性が自らの美しさを使って商品を宣伝しているが、あれはセックスワークと同じでイスラムでは禁止されている。」*3
「この国では度々女性の強姦事件が起こるが、それは正しくイスラム教が実践できていないからだ。バングラデシュは、もっとイスラム教を正しく実践すべきなのだ。正しくイスラムを実践しないから、こんなに社会に問題があふれているのだ。」

今回の事件が起こったグルシャン地区では、近年富裕層の若者のドラッグが度々話題になっていた。富裕層であっても、充実した生活が送れているわけではない。

僕が長く関わったパレスチナでも、ある友人が原理主義に染まっていったことがあった。
元々は酒を飲み、可愛い女の子を追い掛け回していた友人が、数年ぶりに再会すると「敬虔なムスリム」になっていた。「なぜお前はイスラム教を信仰しないのか」と僕に説教を始めた。
ちょうど、イスラエルからの侵攻が激しくなった時期だった。また彼は「仕事がない。何かいい仕事はないか」と僕によく聞くようにもなっていた。

若者たちが何かしらの社会の矛盾を感じた時に、イスラム教はそこに解決策をくれる。「イスラム教の教えを皆が正しく実践すれば、素晴らしい世界が待っているはずだ」と。
そして、一部の若者たちは、イスラム教を信じない者を侮蔑し、糾弾するようになるのかもしれない。

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富裕層のイスラム原理主義者が起こしたテロ事件として、最も記憶に新しいのは9.11だ。
9.11の主犯格であったモハメド・アタは、元々敬虔なイスラム教徒ではなかったが、コネがないために母国エジプトで就職できずドイツに留学した。そのドイツ留学中にイスラム原理主義に目覚めた。(ちなみに、大学を出てもコネがないと就職が難しい状況は、バングラデシュでも同じである)

詳細は9.11直後の朝日新聞での連載をまとめた本『テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う』に詳しいが、そこにはヨーロッパでの差別、母国の政治腐敗、その中で徐々に若者たちがイスラム原理主義に目覚めていく過程が描かれている。

アタの母国であるエジプトでは地震が起きても政府は何もせず、食事を配り医療支援をしたのはイスラム原理主義団体「イスラム同胞団」だった。希望を失った若者たちが頼るのは「政府」ではなく、「イスラム原理主義」となってしまう。

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「イスラム原理主義がなぜこれほどまでに広がってしまったのか」を考えると、サウジアラビア人たちがオイルマネーを用いて世界へのイスラム原理主義への普及させたことがあげられる。
実際に9.11の実行犯は、19人中15人がサウジアラビア出身だった。サウジアラビアはイスラム原理主義の源流となっている「ワッハーブ派」を国教とする国だ。

しかし、それだけでは、イスラム原理主義が一部のイスラム教徒たちの心を掴んでしまっている理由にはならない。
そうではなくて、イスラム世界には様々な不正義や疎外があるということ、そのことがイスラム原理主義の拡大の大きな一つの理由なのではないか。
それは経済的なものに限らない。パレスチナ紛争、イラク戦争、イスラム系移民への差別、国内政治の腐敗、若年者の失業・・・

イスラム原理主義の裏にあるのは、昨年のフランスのテロのような「貧困」だけではない。そうではなくて、あらゆる不正義や矛盾なのだ。「貧困」は、あらゆる矛盾の一形態に過ぎない。そして絶望感のその拠り所が「イスラム原理主義」となる。

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先日のクローズアップ現代で、NGOシャプラニールのメンバーとして長くバングラデシュで活動されていた聖心女子大教授の大橋正明さんも、下記のように話していた。

「バングラデシュの人って、最初に申し上げましたけど、本当にいい人たちです。99.99%の人たちは、今回のテロなんかは、とっても受け入れられないと思っていると思いますが、しかし、その人たちの心の中に世界内の、あるいは国内のいろいろな不正義と思えることがたくさんあって、その不正義をどうにかしていかないと、そういうところの、ちょっとささくれ立ったみたいなところから、いろんな過激な思想というのが入ってきてしまうんじゃないかと思っています。そこをどうにかしないといけないだろうと。」

イスラム教の側から見れば、そもそもキリスト教をベースに成り立っている西洋近代社会には多くの違和感があることは変えられないかもしれない。それでも様々な世界の不正義や矛盾の減らしていくことは、確実に原理主義に走る若者を減らすだろう。

だから僕は、自分の会社を通じてあらゆる人たちが包摂される社会を創りたいと強く思う。原理主義に走る多くの若者たちは、社会から包摂されなかったことで生まれるからだ。
ちょうど昨年からはベトナムでも事業を始めたが、僕はあらゆる人々が包摂される社会を、日本だけでなく世界で創って生きたいと強く思っている。

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僕は今の仕事ではイスラム教国と関わりはないけれども、20代前半の青春時代をパレスチナとバングラデシュで過ごし原理主義の若者達と交流を持ったことで、少しだけだけれども原理主義に走る若者達の心情を理解するようになった。(理解はするが、共感はしないが)

僕は宗教学者やジャーナリストではないので、事実誤認があるかもしれない。だから、昔に少しイスラム原理主義の若者達と多少交流があった者から見た風景の一つとして、理解してもらえればと思う。

 

*1
学生時代から作っていたドキュメンタリー映画は昨年から現在プロデューサーの方が加わり、来年の劇場公開に向けて動き出している。7月後半は、3年ぶりにバングラデシュを訪問する予定だった。今回の事件は、その矢先の出来事だった。

*2
この時の様子は、バングラデシュで初めてアカデミー賞の外国語映画部門に出品された、”Cray Bird”(日本未公開)という映画に詳しい

*3
このインタビュー映像をバングラデシュのイスラム教の友人たちに見せると、とても憤っていた。「こんな偏狭な考えをバングラデシュ人のイスラム教の一般の考え方だと思われたら困る」と。原理主義はバングラデシュで一般的なイスラム理解では全くないのだ。