福祉におけるウェブマーケティングの重要性

座間の事件を受けて、「死にたい」「自殺」などのワードで検索をかけてみる。
残念ながら、「福祉的な支援情報」は、そこまで多くは上位表示されていない。

困難を抱える若者への福祉的支援を考える時、インターネットは有効なツールだ。
スマホ時代になり、ほとんどの若者が、グーグルやツイッターで検索をする。

当然、我々若者支援者も、インターネット検索に詳しくならなければいけない。

グーグル検索の場合、
・どのようなウェブサイトが、検索で上位表示されているのか。グーグルのアルゴリズムを知ること。
・どのようなウェブサイトであれば、深く読み込んでもらえるか。読みやすい文章・デザインにこだわること。(離脱率等で、仮説検証していく)
が、基本となる。

Twitterであれば、
・「#自殺」「#死にたい」などの言葉で、10分に1回ぐらい繰り返し投稿すること
・エンゲージメント数を見ながら、「何がベストな140字なのか」投稿の文章を変え続けること
などが考えられる。

福祉分野でアウトリーチというと、「直接家庭を訪問する」イメージが未だに強い。
もちろん、それは大事なことだが、我々支援者はもっとインターネットを使いこなさなければいけない。

弊社キズキのメイン事業である不登校・中退経験者向けの学習塾には300名弱の生徒が通っているが、ほぼ全員がインターネット経由で塾を訪れている。インターネットを通じたアウトリーチは非常に有効なのだ。

もちろん、幾つかのNPOが、インターネット上でも自殺予防を行っている。
しかし検索結果を見る限り、インターネットでのアウトリーチを行う組織がもっと増えなければいけないように思う。
弊社キズキも、できることを模索中だ。

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ちなみに、本日16時25分にグーグルで「自殺」と検索した時の、上位表示4つ。(シークレットモード・東京都から検索)

夏のガザの思い出

少し前のことだけれども、昨年と同様、この8月はパレスチナ・ガザでのビジネスコンテストに参加した。
大学時代の先輩が立ち上げたガザの女性起業家を対象としたビジネスコンテスト「ガザビジ」。
その2回目がこの8月開催されたのだ。

パレスチナ・西岸地区には7回ぐらい訪れているけれども、ガザ訪問は昨年に引き続き2回目。
国連からのサポートなどがない限り、普通の旅行者は入ることができない場所。このビジネスコンテストのおかげで、去年も今年もガザに来ることができた。

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ガザの街を歩くと、ひと昔前のバングラデシュのように、多くの人たちの注目を浴びる。
「どこから来たのか?」
「何をしに来たのか?」
たくさんの言葉を投げかけられる。

水やコーラを買いに商店に入れば、なかなかお金を払わせてくれない。
「君はゲストだ。何でも好きなものを持っていってくれ」と彼らは言う。

紛争のイメージしかない場所だけれども、
イスラエルとの戦闘さえなければ、牧歌的で温かい人々と、美しい海とシーフードがある、そんな魅力的な街だ。

ガザ到着初日、今年3月に日本に招致したアマルに街を案内してもらった。
(ビジネスコンテストの優勝者は、日本に来ることができるため)

彼女は昨年と比べて、英語が流暢になっていた。

「初めてガザの外に出て、ちゃんと英語を使う機会があって、英語で人に伝えることの重要性を知ったわ。」
日本からの帰国後、映画を英語字幕で何度も見て単語や表現を増やした、と。

ガザはイスラエルによって封鎖されているため、なかなか外に出ることができない。そんな監獄の中で25年間生まれ育った若者が、ガザの外に「たった1週間」出るだけで、これだけ成長できるのだと知った。
世界における機会の不平等が、優秀な若者の可能性を潰していることを、知った。


(イスラエルからガザに抜けるチェックポイントの様子)

その翌日、実際のビジネスコンテストが始まった。まずは1次選考。
僕は審査員ではなかったものの、どんなビジネスプランが出てくるのか楽しみにしていた。
しかし実際には、あまりにプレゼンテーションのレベルが低く、戸惑った。論理的に説明する力、審査基準を想像する力など、すべてが欠けていた・・・

「これでは、審査以前の段階だ・・・」
そのため、その日のプログラム終了後、僕は1チーム1チームを周り、「人に伝わるプレゼンテーションとは何か」レクチャーして回った。

僕のアドバイスに対して、必死でメモを取る彼らの姿に手応えを感じながらも、
「翌日の最終選考で、良いチームを選べるのだろうか・・・」
不安が募った。

そして翌日、最終選考。1次プレゼンを突破したチームのプレゼンを再度聞いた。
すると、どのチームもスライドをほぼ全て作り直していた。たった一晩の間で、10枚以上のスライドのほとんどを修正したのだ。しかも彼らの母国語ではない英語で。
多分、ほぼ徹夜だったのではないかと思う。

一番熱心にスライド修正に取り組んだチームは、「廃材から家具を作る」ビジネスプランを持っていたチームだった。彼女らの最終プレゼンは素晴らしいものだったけれども、残念ながら彼女らは2位に終わり、優勝することはできなかった。優勝者には日本への招待と賞金が提供されるが、それ以外のチームに特典はない。

けれども、彼女たちは僕に、とびっきりの笑顔で話しかけてくれた。
「優勝できなかったから、私たちは日本にも行けないし、お金ももらえない。でもこのコンテストに参加して、本当に良かった。今まで知らなかったビジネスのことを、たくさん知ったわ。」

実は、僕は起業家・経営者でありながらも、ビジネスそれ自体にはあまり価値を感じていない。便利な社会がより便利になったところで、人間の幸福はそれほど変わらないと思っているから。

けれども、ガザでの起業支援は「普通のビジネス支援」とは決定的に異なる。
若年者失業率60%という仕事がないという絶望を希望に変えることができる。そして、我々外国人の支援によって「世界から見捨てられている」という悲しみも希望に変えることができる。

そしてこのビジネスコンテストは、改めて僕自身が今後の人生で何をするべきなのか、考える機会にもなった。
僕はこの社会・世界で圧倒的に不利な立場にある人たちが、尊厳を持って生きられる手助けをしたい。

7年前に中退・不登校の方を対象とした塾を創った時から、ずっと変わっていない思いだった。その思いは、対象が日本であっても海外であっても、同じなのだと思った。

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まだまだ海外でできることは少ない。
でも人生は長いので、コツコツと積み重ねていくつもりだ。

スタディクーポンを立ち上げようと思った理由

今でも時々思い出すのは、少年院から出たばかりのある若者。
6年前、まだ築50年の巣鴨のアパートで、不登校・中退の若者のための学習塾「キズキ共育塾」を開いたばかりの時のこと。

「実は、僕、この前まで少年院にいたんです」
入塾面談で、目の前の少年は話し出した。

10代の頃、僕の周りにそういう境遇の人は何人かいたので、
「そうなんだ」
と僕は返しただけだった。

その反応が意外だったのか、
「僕、大学に行きたいんです。心理学が勉強したいんです。なんとかアルバイトしながらキズキに通います。」
と彼は言ってくれた。

当時は、講師のアルバイト・インターンも少なかったから、僕が彼の授業を受け持つことになった。
夜の授業だったから、授業が終わった後はよくダラダラと会話をした。その頃のキズキは生徒も少なくて、僕も時間があった。

「安田さんと、チェスやりたいんです」
彼はある日、チェスを持ってきた。
すごく大きく重い盤で、彼がチェスに特別な思い入れがあることが分かった。

ダラダラとチェスをやりながらも、ふと彼の顔が曇ることがあった。
「時折、子どもの頃のことを思い出してしまい、気が落ち込んで、何もできなくなってしまうんです。」
「安田さんなら、こういう時の気持ち、分かりますよね。親からボコボコにされた時のこと、親がいなくなった時のこと。」
彼はふとした瞬間に、自分の生い立ちを語った。
子どもの頃、虐待を受けて施設に預けられていたと言った。
その頃の出来事を思い出すと、急に気持ちが落ち込み、アルバイトにも行けなくなるらしい。

塾には何とか通ってくれていたけれども、授業料はなかなか払ってくれなかった。
彼が3ヶ月ぐらい授業料を滞納したある日、僕は思い切って聞いてみた。
「授業料、いつ払えるかな?」

そこから連絡が取れなくなった。
何度か電話したけれども、電話に出ることはなかった。

3ヶ月後、思い出したように急に電話があって「元気にしてますよ」と言っていた。
その時は、もうただ幸せにやってくれていればいいと思った。
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その半年後、また似た境遇の若者が入塾したことがあった。
髪はあまり切っていないように見えた。
着古した洋服を着ていた。

彼は、幼い頃に両親が離婚、小学生の時に継母と折が合わず家を出たと言った。
その後は、野宿をしたり鑑別所に入ったりを繰り返していたが、
「もう一度勉強したい」「学校にちゃんと通いたい」
と思うようになったという。
そこでキズキのことを知り、大学受験を目指すことにした。

生徒も増え、人も増えた頃だった。
彼が通塾するたびに悩みを聞きながらも、しっかりと時間を取ってあげることはできなかった。
彼のような圧倒的な困難な境遇にある若者の場合、どうしても通常の塾の授業だけでは難しい。一対一のカウンセリング・個別指導を超えた支援が、どうしても必要となる。
でも僕は何もしてあげられなかった。

結局彼は半年の通塾の後で、いきなり塾をやめた。
授業料は2ヶ月滞納したままだった。

何度メールしても返信はこない。
「このまま支払いがないと、何らかの手段をとることになります」
と厳しいメールを送った。

増え始めた生徒、増え始めた社員・・・
とにかく余裕がなかった。僕は感情的な言葉をぶつけた。
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僕は決して情が深い人間ではない。むしろドライで、他人のことを気にしない。
でもその出来事から6年間、いつもどこか胸の奥で何かが引っかかっていた。

組織だから、ビジネスとして成り立たせなければいけない。
けれども、あの時のあの行動は正しかったのか。

その頃の僕は、日々の売上を上げるのに必死だった。
クラウドファンディングで参考書代などをかき集めたこともあったけれども、彼にフルコミットしてサポートしていたわけではない。

売上を立てて利益を上げることは、本当に難しい。ビジネスモデルを創ることは難しいし、人を採用しマネージメントしていくことも難しい。
塾を広げていくことも、その他の事業を立ち上げて伸ばしていくことも、必要なことだった。
キズキも組織だ。組織ということは働いている人がいる。
少なくとも僕は無償ではフルコミットできない。

そうやって自分を正当化しつつも、自分が100%正しいことができているのかと問いかけると、どうも引っかかってしまう・・・

だから、いつか経済的に豊かでない家庭の子どもたちにも必要な教育を届けたい、ずっとそう思ってきた。

そんな時に、思い切って公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンの今井さんに声をかけてみた。すでに東北と関西でクーポン事業を始めていた今井さんと、「東京でクーポン事業をスタートできないか?」と声をかけた。
スタディクーポンの仕組みであれば、子どもたち自身が自分で通う塾を「選ぶ」ことができる。
ベストな仕組みだと思った。

その後、自治体へのアプローチ、資金調達、その後の政策化・・・何度も議論を重ねた。
そこにスマートニュース、キャンプファイアーなどの仲間が加わり、一気にドライブがかかった。
やっと本格的に動き出せる体制が整った。
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彼が持ってきたチェスは、今も僕の家に保管してある。

そのチェスを見るたびに、「どんな家庭に生まれ育ったとしても、自分の望む教育を受けられる社会を創りたい」と思う。
スタディクーポンは、その大きな一歩になると信じている。

*スタディクーポン・イニシアティブは、皆様からいただいた大切な寄付を元手に、低所得世帯の子どもたちにスタディクーポンを届ける事業です。子どもたちはクーポンを使って、自分が選んだ学習塾などに通うことができます。
詳しくは、こちらをご覧ください。
https://camp-fire.jp/projects/view/42198

スタディクーポンの立ち上げ

先週、facebookに投稿した文章です。

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◎新しい挑戦を始めます。キズキだけの枠組みを超えて、仲間たちとともに「教育格差」の問題に取り組んでいきます。

みなさんこんにちは。安田です。

先ほど文部科学省で記者会見を行い、低所得世帯の子どもたちの教育機会を、社会全体で支えていくためのプロジェクトの発足を発表しました。
それが「スタディクーポン・イニシアティブ」です。

市民の皆様一人一人からクラウドファンディングで応援の寄付をいただくことで、高校受験に取り組む中学3年生の子どもたちが学習塾や家庭教師などに利用できる「スタディクーポン」を、一人でも多くの子どもたちに届けていきたいと考えています。
第一弾プロジェクトは渋谷区と協働で実施します。長谷部区長とも、会見をご一緒しました。

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キズキを創ったのが2011年。
この7年間、個別指導塾の事業を通じて、1000名以上の不登校・中退の子どもたちを支援してきました。
けれども、一方で「お金がなくて辞めていく」生徒も数多く見てきました。
そのたびに、寄付を募って、彼らの学費や参考書代を集めていたこともあります。
とても苦しい経験でした。

経済的な事情など、本当に困難を抱えている子どもたちを支援しきれていない、そんな罪悪感がありました。いつか経済的に豊かでない家庭の子どもたちにも必要な教育を届けたい、ずっとそう思ってきました。

その思いが、チャンス・フォー・チルドレン、新公益連盟、ETIC、SmartNews 、Campfire・・・
志を同じくする仲間たちと、今回のプロジェクトを立ち上げることにつながりました。
https://camp-fire.jp/projects/view/42198

スタディクーポンの仕組みはとてもシンプルです。
①皆様からいただいた大切な寄付を元手に、
②低所得世帯の子どもたちにスタディクーポンを届けます。
③子どもたちはクーポンを使って、自分が選んだ学習塾などに通うことができます。
スタディクーポンの仕組みの最も優れたところは、子どもたち自身が自分で通う塾を「選べる」ということです。

これまでキズキとしても、幾つかの自治体から委託を受けて低所得世帯の学習支援に取り組んできました。しかしこのやり方だけでは応えきれない課題やニーズがあることにも気づきました。

それは「自治体が指定した塾・NPOしか選ぶことができない」ということです。
普通の家庭であれば自分で選んだ塾に行けるのに、低所得世帯は自分で塾を選ぶことができない…

貧困の苦しみは「周りが当たり前にできていることが、自分にはできない」ことにも起因しています。
僕自身、何度も親が離婚をしましたが、「なぜ自分だけが・・・」という苦しみは深く傷に残っています。

スタディクーポンの取り組みを通じて、少しでも多くの低所得世帯の子どもたちに学びの機会を届けていきたいです。

そこで、皆さんへのお願いが2つあります。
ぜひ寄付という形で参加していただけないでしょうか?
もし寄付が難しければ、この投稿のシェアだけでも是非お願いします。
クラウドファンディング(寄付)はこちら。
https://camp-fire.jp/projects/view/42198

1年目はクラウドファンディングで1000万円を目標に寄付を集めます。その後、渋谷区の子どもたちにスタディクーポンを届け、その効果を測定します。その結果を踏まえつつ、2019年度以降、国や自治体など行政の政策として取り入れて頂くことを私たちは目指しています。

光の当たっていない問題に光を当てたいと思っています。私たちの力を合わせてできることがあると信じています。
是非、皆さんの力を貸してください。
どうぞよろしくお願いします。

スタディクーポン・イニシアティブ
安田祐輔

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本日の記者会見の様子はこちらからご覧いただけます。
テレビ朝日 http://news.tv-asahi.co.jp/news_soc…/articles/000111995.html
NHK http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20171012/0001743.html
ハフィントンポスト http://www.huffingtonpost.jp/…/shibuya-study-coupon_a_2324…/
*ミヤネ屋でも取り上げて頂きました。ありがとうございます。

人それぞれに正義がある〜行動規範の重要性

組織が拡大する中で苦しんだことの一つが、「異なる価値観をどのように受け入れるか」ということだった。

例えば、商売は得意だけれども、きちんと納期通りに仕事ができない人がいたとする。一方で納期通りにきちっと仕事はするが、商売には向いていない人がいたとする。

その二人に対する評価は、おそらく「それぞれ」だ。
営業でキャリアを積んだ人は前者の人を評価するだろうし、バックオフィスでキャリアを積んだ人は後者を評価するかもしれない。(若干極端な例だけれども)

例えば、仲良く家族的な雰囲気で働くことが得意な人もいれば、ドライに仕事は仕事だと割り切って働く人もいる。
前者のような態度を良しとする職場もあれば、後者のような態度を良しとする職場もある。

本当は、単に「適材適所ではない」「自分と考えが合わない」だけかもしれない。
けれども人は往々にして「あいつは仕事ができない」と自分の物差しで他人を測り、その価値観の差から派閥争いが生まれる。

僕自身、商社時代全く使えない新人だったが、起業したら意外と上手くいった。
つまり、仕事の質を測る絶対的な価値など存在しないのだ。仕事による、会社による、としか言いようがない。

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20代前半の頃に様々な国で過ごしたことで、人の正義は本当にそれぞれであることを知った。
人の価値観は多様であり、その多様さを受け入れられない時に、対立が起きる。

それは日本の会社だけでなく、民族や宗教間でも同じだ。
だから、僕は「人の正義はそれぞれであること」「それらの正義を包摂すること」を大事にしたいと思う。

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つまり、人は自分の物差しで相手を測る。
そのことに自覚的でなければならない。

でも一方で、残念ながら、組織には共有できる価値観が必要なこともある。
違いすぎる価値観の人と一緒に心地よく働くことは、なかなか難しいからだ。

そこで、組織が大きくなるにつれて「行動規範」が重要になってくる。

自社の大事にしている価値観は何なのか。
それを明確に打ち出さないと、自社に合う人材は入ってこないし、一方で自社に合わない人材が入ってくる可能性もある。

本当は、すべての人を包摂できる組織でありたいけれども、それは難しい。
(すべての人を包摂できる組織だったら、採用面接はいらなくなる)

そんなことを考えながら、改めて自社のビジョン・ミッション・行動規範を読み直している。

7年間を支えてくれた人たち

少し早いけれども、弊社キズキのOBOGに 誕生日を祝ってもらった。

2010年、会社を休職し鬱病の中にいた僕は、2011年に自分の人生をやり直すために起業し、そこから2年間、必死に働いた。
祝ってくれたOBOGの一部は、その当時大学に通いながら、インターン・アルバイトとして支えてくれた子たちだ。

2013年は一時的に疲れから怠けたけれども、2014年から2年間は日本の事業を拡大させながらも、海外進出にチャレンジした。たくさんの学びはあったけれども、国内事業とリソースが分散してしまい、海外事業が大きく伸びることはなかった。
これをただの挫折に終わらせないように、再びチャレンジしなくてはいけないと思っている。けれども挫折だったことは、認めざるを得ない。

2016年からは再び日本の事業に注力し、採用制度の改革や経営人材の獲得、権限移譲を進め、塾事業を中心に億単位の事業に持っていくことができた。この2年は自分の経営者としての新たな戦い方を学べた年だった。アルバイトの方々を含めると社員数は100名を超えた。

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「何度でもやり直せる社会を創る」という僕が達成したいビジョンのために創った会社だった。この会社の存在意義は、「僕のやりたいこと」だった。

家族なし、発達障害、不登校、うつ病、引きこもり・・・
あらゆることを経験した僕にとって、このビジョンを達成することが自分の生きている意味だった。
また、パレスチナ・バングラデシュの人たちとの出会いで救われた僕にとって、「日本・海外問わず」そのミッションを達成していくことも大事なことだった。

この7年間、掲げたビジョンに共感してくれたたくさんの人がいた。
けれども、僕が優れた経営者だったことは一度もなかったように思う。怒鳴り散らしてばかりだった。掲げているビジョンに到達する姿が見えない・・・そんな苛立ちが毎日あった。
当然のように多くの人が離れていったけれども、それでも残ってくれた人たちがいた。

感謝、という言葉を安易に使うことは好きではない。
けれども自分勝手な僕のビジョンに付き合ってくれた人たちがいること、「来月会社が持つかわからない」「人がどんどん辞めていく」そんな苦しみを味わった後でも僕の誕生日を祝ってくれる人たちがいるということ。
感謝、という言葉以外見つからない。

12歳で家を出た時から、僕は「誰からも必要とされていない人間」だとずっと思っていた。30代半ばに差し掛かる今も、その時の記憶がいつもこびりついている。
けれども、僕はこの会社を作り、この会社のスタッフたちによって、自分の生きている意味を感じられた。
この7年はそんな時代だった。

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最後に、一人の元スタッフの話をしたいと思う。
彼は、引きこもっていた頃に弊社のインターンに応募し、インターンではあるけれども優秀なウェブマーケターとして活躍した。
けれども内定を出して入社直前という時に、彼は、最後の最後で別の会社に行くことにした。
幼かった僕は怒り、「二度とキズキに顔を出すな」と言った。

そんな彼が、昨日は誕生日会に来ていた。

誕生会の後で家に帰り、彼からの誕生日プレゼントを開けた。手紙も入っていた。
「あのような形でキズキを離れることになってゴメンなさい。何度も謝りに行こうと思ったのですが、ずっと何も言えませんでした。」
「学生時代、引きこもりになっていた僕に居場所と目標をくれたのは安田さんでした。僕のせいで疎遠になってしまいましたが、今も安田さんに対する憧れの気持ちは変わりません。本当にありがとうございました。今後もキズキのことを応援しています。お誕生日おめでとうございます。」

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僕は自分の目標やビジョンを達成するために、7年間必死だった。
けれどもその裏で、たくさんの人たちが支えてくれていたこと、キズキという会社に夢を託してくれていたこと、必死で働いてくれていたこと、そのことを意識したことがなかった。全く気づいていなかった。

これからも、この会社は僕が達成したかった「何度でもやり直せる社会を創る」というビジョンを達成するために存在し続ける。
けれどもその裏には、多くの人の希望や期待、そして悲しみや苦しみがある。そのことは、絶対に忘れてはいけないと思った。

NPO法人と株式会社に分けた理由

「なぜNPO法人と株式会社に分けたのか?」
先日、あるプレゼンで頂いた質問だ。
「NPO法人の中で受益者負担と、寄付型の事業を、部門で分ければ良いのではないか?」

もっともな質問だと思う。

これについては、非常に悩んだ決断だった。
「儲けに走ったように見える」と、周囲からもとても反発があった。

けれども、今後の戦略を考えた時に、圧倒的なメリットがあった。それは「優秀な人材の採用」だった。
組織が拡大するということは、「権限を委譲」しなければいけないということだ。人間の持つ時間は限られているから、自分の見ることができる仕事の範囲には限界がある。
だから優秀な人材を採用しなければならない。

NPOが人材獲得が難しい理由の一つに、「待遇」があることは否めない(時代は変わりつつあるけれども)。
これは「NPOだから」「社会課題解決を第一の目標にしているから」というのもあるが、
「資本政策に制限がある」ことにも原因があるように、僕は思っている。

普通のベンチャー企業であれば、ストックオプションをはじめとした資本政策を用いることができる。
目先の給与が多少安くても、「株」によって将来的なリターンを期待できる。

株式会社とNPO法人に分けることによるデメリットもたくさんあったが、
僕はこのメリットを期待した。
そして昨年、株式会社に受益者負担の事業を移管した。

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僕は7年間、目の前の仕事を回していくのに必死だった。
ビジネスモデルを創り、それを維持・拡大していく作業は、苦難の連続だった。

「安田は、何をしているのか分からない」と社内では言われ続けてきたけれども笑、
いつも重要な意思決定について、あれでもないこれでもないと悩んできた。
(株式会社・NPO法人に分けたときも、相当悩んだ・・・)

重要な局面において考え抜くことで、大きな失敗なくここまで事業を伸ばせたことは、とても誇りに思っている。
けれども、その思考の時間を「自社」を超えた「社会全体」のために使ってこなかったのも、また事実だった。

そして今、とてもワクワクしているのは、「より社会のために必要なこと」にコミットすることができるようになったことだ。

(個人として)本を2冊書くことで広く自分の経験を伝えること、(NPO法人として)困窮世帯向けの支援策のトライアルを始めることなどは、株式会社の方に優秀な人材が入り、権限移譲ができるようになって、可能になったことだ。
今までやったことのないタイプの仕事だからなかなかコツを掴めないが、それはそれで楽しい。
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最近は、広い視野で、自分の仕事を見返すための時間を過ごせている。

「何度でもやり直せる社会を創る」という僕のミッションの達成に向けて、来年は次々に形になるといいなと思う。

「起業」と「経営」の違い

「起業」の時代はある意味で「楽」だった。

全ては自分の責任だった。毎年、目の届く範囲で、売り上げと利益を上げていればよかった。
自分の「ミッション」に沿った事業で、毎年160%の成長と約10%の利益率を確保できていた。
結果がダイレクトに見えることも楽しかった。

また「大きな意思決定の連続」であることも、楽しかった。
ミッションを定め、事業の中核を定め、マーケティング施策の柱を決め、(満足度と利益率が最大となる)現場のオペレーションを模索し、NPOと株式の二法人体制に変えて・・・

どれも毎晩うなされるようにして悩んだことだったけれども、毎日新しいことにチャレンジしていて楽しかった。

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ところが、会社が大きくなると、社内のステークホルダーが増えてくる。一人一人のスタッフに対して、説明責任が出てくる。
ミッション達成のために、「直感的」にやるべきだと思っても、「社内に理解してもらう時間」が必要となる。

さらに起業家は往々にして朝令暮改なので、深く考えることなく何かを始め、「違う」と思ったら、変える。そうすると、社内は混乱する。

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また、時間の使い方も変えなければいけない。
起業の頃は、一つ一つの意思決定について家で悩む時間をたくさん持てていた。

人に相談せずに一人でサクサク決めていくことが、僕には向いていたのかもしれない。
けれどもスタッフが増えてくると、一人で悩み考えている時間は取りづらくなる。

マネージメントについても、「創業時の熱さ」よりも「一人一人を丁寧にコーチングしていくこと」が大事になる。けれども、ピンチに強く平時に弱い僕は「崖から突き落とす」ようなマネージメント方法しか知らない。

軽度の発達障害持ちの僕にとって、「人の気持ちを理解する」ことは最も苦手なことの一つだ。悩めば悩むほど、他のことを考えられなくなった。

そして、もともと得意だった「ゼロからイチを創る」ことについても頭が動かなくなり、バリューを出せなくなっていった。悪循環だった。

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ビジネスモデルが確定し、会社が大きくなればなるほど、マネージメントとその仕組みが必要となる。
例えば「1対1のコミュニケーションを丁寧に行うこと」「予実管理・人事制度といった仕組みを創っていくこと」といったことが、重要になる。

そしてそれらは「起業」に必要なスキルとはだいぶ異なる。
ミッションの達成に対して次々と新しいことを仕掛けていきたい起業家にとって、「我慢」が必要になる。

これらは、僕が創業3年目ぐらいから、徐々に直面し始めた壁だった。

会社が大きくなればなるほど、経営者としてバリューが出せなくなっていくのを感じていた。

それにも関わらず、「海外事業をやらなければ、ミッションを達成したことにはならない」と思った僕は、海外にいることが増え、その結果社内はグチャグチャになった。

「僕に経営は無理なんだな」
と思った。

だから僕の友人で、当時日系企業のアフリカ支社の代表をしていた森本真輔に、入社してもらうことにした。
これについては、会社のホームページにも書いた

森本君は最も仲の良い友人だったから、友人関係が壊れてしまうことはとても怖かった。
けれども、それ以上に僕は「経営者に向いていない」と思うようになっていた。

そして現に森本君の入社後、ベンチャー起業だったキズキは、人事制度・予実管理などの仕組みが整い、急に「会社」になっているのを感じる。

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そんなわけで、僕は森本君を9月に会社に招き、4月からは「共同社長」という立場に就いてもらった。
社内のことは森本君に任せることにした。

一方僕は、広報をはじめとした「数年後に重要になること」にまずはコミットすることに決めた。
とりあえず、長らく出版社の方々を待たせていた2冊の本の執筆から始めている。

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再び僕の人生は、模索期に入っている。大企業が合わずに鬱病で引きこもっていた頃を、最近よく思い出す。

けれども模索し悩み続けた後には、いつも次の世界が開けていたので、ワクワクもしている。

「私はダニエル・ブレイク」を観て、福祉と効率について考えた

「私はダニエル・ブレイク」を観た。昨年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した作品。

監督であるケン・ローチは、社会の流れに翻弄される弱者の側に立った作品を描くが、「私はダニエル・ブレイク」にも「どんな人間も名前を持つ一人の人間だ」という強いメッセージを感じた。

本作は、医者からは就労を禁止されている心臓病持ちの老人が、(イギリス版の)ハローワークで、「就労可能」と認定されてしまうことから物語は始まる。

「就労可能」と認定されたからには、「求職活動」を行わなければ失業給付金がもらえない。だから、老人は街の工場を歩き回って履歴書を配り歩く。
けれども、医者からは就労を止められているから、実際は働くことはできず内定を断らざるをえない。

また、いくら工場を回って履歴書を配り歩いても、国が定めている「インターネット」を使った求職活動を行っていないことで、老人は失業給付金を止められそうになる。
「履歴書を配り歩いたことは、証明できないでしょ?本当に求職活動を行ったの?」とハローワークの職員に問い詰められる。
けれども老人はインターネットを使いこなせないから、国の定める求職活動はできない。

「インターネットを使った求職活動」を義務付けることは、求職活動を証明する「効率」を考えると、一見正しいように思える。しかし、その「効率」を重視することで、インターネットを使えない老人が阻害される。

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「効率」を重視するために、多くの行政機関はKPI(数値目標)を設定する。しかし、そのKPI(数値目標)が的外れだと、何の意味もない行為を多くの人に行わせてしまう。

本作で出てくるイギリス版ハローワークでは、「求職活動をしている人数」を増やす、というKPI(数値目標)が設定されてしまっている。(本来であれば、「実際に就労した人数」をKPIに置くべき)
そのため、「病気で就労できない人に、求職活動を行わせる」という不可思議な状況が生まれている。

さらに、たとえKPIが正しく設定されていたとしても、KPI達成に重きを置き過ぎると、「支援効果が出やすい人」に支援が集中することになりうる。

本作では、インターネットも使えない人は阻害されているが、彼らの支援は時間がかかり「効率」が悪い。だから支援の手も、差し伸べられづらい。

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キズキという僕の会社は、不登校・中退の子たちの塾を「ビジネス」として行っている。
「ビジネス」として行うということは「効率」を重視することである。そして、その「効率」を重視すること自体は、限られたリソースの中で、多くの人を救うためには必要なことだと僕は思っている。

一方で、「社会的インパクト」や「効率」を重視すればするほど、そこから取り残されてしまう人がいる。そのことに、我々は自覚的にならなければならないと思う。

例えば、キズキが頂く授業料の中ではご支援できない方(=宿泊型支援や、医療的な支援が必要な方)について、我々は現状お断りをしなければいけない。

けれども、「本当に圧倒的に困難を抱えた人たち」にも支援の手を届けられるような会社を創っていきたいと、起業家・経営者として僕は改めて思った。

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本作の中では直接描かれていないけれども、2000年前後のイギリスの社会保障政策には「社会投資」という視点があった。

「福祉国家」として有名だったイギリスが、社会保障費の増大で立ち行かなくなり、そこで現れたサッチャーが1980年代に福祉を切り捨てていく。しかし福祉を切り捨てたが故に、「社会」が回らなくなり、失業者が溢れた。
そこで、労働党のブレア政権は「Tax EaterをTax Payerへ」という号令の下、「将来の税の担い手」になる若者の支援が拡充されたのだ。

しかしながら、「将来税の担い手になれない」人たちの支援を、社会保障費が増大している現代社会において、どのように考えれば良いのか。僕はまだ答えが出ていない。

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読書メモ:「ルポ 児童相談所」

著者の慎泰俊さんから献本頂いたため、遅ればせながら読書メモを書いた。

ルポ 児童相談所: 一時保護所から考える子ども支援 (ちくま新書1233)

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 恥ずかしながら「一時保護所」についてあまり知らなかったので、とても勉強になった。一時保護所とは、「実家庭で暮らすことが最善ではない」と児童相談所に判断された子どもたちが、平均1ヶ月滞在する場所のこと。(その後、実家庭に戻れない場合、社会的養護や特別養子縁組を受けて、実親を離れ生活することになる。)

 本書は、一時保護所の厳しい規律や、そこに滞在する子どもたちの精神的な不安定さについて、ルポ形式で描かれている。また、一時保護所にも「良い保護所」と「そうでない保護所」があり、その違いについても詳細に記述されている。
 
 抑圧的な一時保護所については、「人間は教育と養育によって成長するという認識が欠けているような気がしてなりません。前者を担う組織の代表格は学校、後者のそれは家庭です。」と批判的に描かれている。
 一方で、「真夜中に電話で呼び出される」など児童相談所の職員の過酷な労働環境、子どもを取り巻く問題が児童相談所に一極集中し「ガラパゴス化」する現状についても言及し、行政レベルでの改革・民間人ができることについて提言している。
 
 個人的には、第3章の(5)の「増加する貧困と虐待」は、データ集としてもよくまとまっていて、参考になった。
 貧困率の各国比較、虐待による死亡数の推移、一時保護所の子どもの親の学歴などのデータだけでなく、「なぜ等可処分所得は平方根で割って計算するのか」「絶対的貧困と相対的貧困」といったコラムも有益だった。
 「アダム・スミス以来、多くの経済学者たちが、貧困とは単に生命を維持するための物質を買うことができないことを含むだけでなく、一般の人々であればできることができないことにある、と考えました」といった記述は貧困問題を語る上で重要だが、一般には知られていないと思う。
 
 その他印象に残ったのは、下記の記述。
 「親に養育の意思がないために児童養護施設に入所した子どもが、施設内で暴力事件と性加害を起こしてしまった、というものがありました。こういうケースにおいては、その子どもは一旦児童養護施設を離れて一時保護所に戻り、その次の処遇を考えることになります。」
 「次の方向性が見出せないまま一時保護したものの、保護所内でも問題を起こしてしまい、個室に隔離され、一年間閉じこもって生活しているという少年がいました。かといって私にできることはなく、無力感を抱くしかありませんでした。」
 
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 僕も親に養育能力がなかったため、12歳の時から親元を離れて生活をしてきた。だからインタビューを読んでいると当時を思い出し、とても苦しかった。