7年間を支えてくれた人たち

少し早いけれども、弊社キズキのOBOGに 誕生日を祝ってもらった。

2010年、会社を休職し鬱病の中にいた僕は、2011年に自分の人生をやり直すために起業し、そこから2年間、必死に働いた。
祝ってくれたOBOGの一部は、その当時大学に通いながら、インターン・アルバイトとして支えてくれた子たちだ。

2013年は一時的に疲れから怠けたけれども、2014年から2年間は日本の事業を拡大させながらも、海外進出にチャレンジした。たくさんの学びはあったけれども、国内事業とリソースが分散してしまい、海外事業が大きく伸びることはなかった。
これをただの挫折に終わらせないように、再びチャレンジしなくてはいけないと思っている。けれども挫折だったことは、認めざるを得ない。

2016年からは再び日本の事業に注力し、採用制度の改革や経営人材の獲得、権限移譲を進め、塾事業を中心に億単位の事業に持っていくことができた。この2年は自分の経営者としての新たな戦い方を学べた年だった。アルバイトの方々を含めると社員数は100名を超えた。

*******
「何度でもやり直せる社会を創る」という僕が達成したいビジョンのために創った会社だった。この会社の存在意義は、「僕のやりたいこと」だった。

家族なし、発達障害、不登校、うつ病、引きこもり・・・
あらゆることを経験した僕にとって、このビジョンを達成することが自分の生きている意味だった。
また、パレスチナ・バングラデシュの人たちとの出会いで救われた僕にとって、「日本・海外問わず」そのミッションを達成していくことも大事なことだった。

この7年間、掲げたビジョンに共感してくれたたくさんの人がいた。
けれども、僕が優れた経営者だったことは一度もなかったように思う。怒鳴り散らしてばかりだった。掲げているビジョンに到達する姿が見えない・・・そんな苛立ちが毎日あった。
当然のように多くの人が離れていったけれども、それでも残ってくれた人たちがいた。

感謝、という言葉を安易に使うことは好きではない。
けれども自分勝手な僕のビジョンに付き合ってくれた人たちがいること、「来月会社が持つかわからない」「人がどんどん辞めていく」そんな苦しみを味わった後でも僕の誕生日を祝ってくれる人たちがいるということ。
感謝、という言葉以外見つからない。

12歳で家を出た時から、僕は「誰からも必要とされていない人間」だとずっと思っていた。30代半ばに差し掛かる今も、その時の記憶がいつもこびりついている。
けれども、僕はこの会社を作り、この会社のスタッフたちによって、自分の生きている意味を感じられた。
この7年はそんな時代だった。

******
最後に、一人の元スタッフの話をしたいと思う。
彼は、引きこもっていた頃に弊社のインターンに応募し、インターンではあるけれども優秀なウェブマーケターとして活躍した。
けれども内定を出して入社直前という時に、彼は、最後の最後で別の会社に行くことにした。
幼かった僕は怒り、「二度とキズキに顔を出すな」と言った。

そんな彼が、昨日は誕生日会に来ていた。

誕生会の後で家に帰り、彼からの誕生日プレゼントを開けた。手紙も入っていた。
「あのような形でキズキを離れることになってゴメンなさい。何度も謝りに行こうと思ったのですが、ずっと何も言えませんでした。」
「学生時代、引きこもりになっていた僕に居場所と目標をくれたのは安田さんでした。僕のせいで疎遠になってしまいましたが、今も安田さんに対する憧れの気持ちは変わりません。本当にありがとうございました。今後もキズキのことを応援しています。お誕生日おめでとうございます。」

*******
僕は自分の目標やビジョンを達成するために、7年間必死だった。
けれどもその裏で、たくさんの人たちが支えてくれていたこと、キズキという会社に夢を託してくれていたこと、必死で働いてくれていたこと、そのことを意識したことがなかった。全く気づいていなかった。

これからも、この会社は僕が達成したかった「何度でもやり直せる社会を創る」というビジョンを達成するために存在し続ける。
けれどもその裏には、多くの人の希望や期待、そして悲しみや苦しみがある。そのことは、絶対に忘れてはいけないと思った。

NPO法人と株式会社に分けた理由

「なぜNPO法人と株式会社に分けたのか?」
先日、あるプレゼンで頂いた質問だ。
「NPO法人の中で受益者負担と、寄付型の事業を、部門で分ければ良いのではないか?」

もっともな質問だと思う。

これについては、非常に悩んだ決断だった。
「儲けに走ったように見える」と、周囲からもとても反発があった。

けれども、今後の戦略を考えた時に、圧倒的なメリットがあった。それは「優秀な人材の採用」だった。
組織が拡大するということは、「権限を委譲」しなければいけないということだ。人間の持つ時間は限られているから、自分の見ることができる仕事の範囲には限界がある。
だから優秀な人材を採用しなければならない。

NPOが人材獲得が難しい理由の一つに、「待遇」があることは否めない(時代は変わりつつあるけれども)。
これは「NPOだから」「社会課題解決を第一の目標にしているから」というのもあるが、
「資本政策に制限がある」ことにも原因があるように、僕は思っている。

普通のベンチャー企業であれば、ストックオプションをはじめとした資本政策を用いることができる。
目先の給与が多少安くても、「株」によって将来的なリターンを期待できる。

株式会社とNPO法人に分けることによるデメリットもたくさんあったが、
僕はこのメリットを期待した。
そして昨年、株式会社に受益者負担の事業を移管した。

******
僕は7年間、目の前の仕事を回していくのに必死だった。
ビジネスモデルを創り、それを維持・拡大していく作業は、苦難の連続だった。

「安田は、何をしているのか分からない」と社内では言われ続けてきたけれども笑、
いつも重要な意思決定について、あれでもないこれでもないと悩んできた。
(株式会社・NPO法人に分けたときも、相当悩んだ・・・)

重要な局面において考え抜くことで、大きな失敗なくここまで事業を伸ばせたことは、とても誇りに思っている。
けれども、その思考の時間を「自社」を超えた「社会全体」のために使ってこなかったのも、また事実だった。

そして今、とてもワクワクしているのは、「より社会のために必要なこと」にコミットすることができるようになったことだ。

(個人として)本を2冊書くことで広く自分の経験を伝えること、(NPO法人として)困窮世帯向けの支援策のトライアルを始めることなどは、株式会社の方に優秀な人材が入り、権限移譲ができるようになって、可能になったことだ。
今までやったことのないタイプの仕事だからなかなかコツを掴めないが、それはそれで楽しい。
******

最近は、広い視野で、自分の仕事を見返すための時間を過ごせている。

「何度でもやり直せる社会を創る」という僕のミッションの達成に向けて、来年は次々に形になるといいなと思う。

「起業」と「経営」の違い

「起業」の時代はある意味で「楽」だった。

全ては自分の責任だった。毎年、目の届く範囲で、売り上げと利益を上げていればよかった。
自分の「ミッション」に沿った事業で、毎年160%の成長と約10%の利益率を確保できていた。
結果がダイレクトに見えることも楽しかった。

また「大きな意思決定の連続」であることも、楽しかった。
ミッションを定め、事業の中核を定め、マーケティング施策の柱を決め、(満足度と利益率が最大となる)現場のオペレーションを模索し、NPOと株式の二法人体制に変えて・・・

どれも毎晩うなされるようにして悩んだことだったけれども、毎日新しいことにチャレンジしていて楽しかった。

******
ところが、会社が大きくなると、社内のステークホルダーが増えてくる。一人一人のスタッフに対して、説明責任が出てくる。
ミッション達成のために、「直感的」にやるべきだと思っても、「社内に理解してもらう時間」が必要となる。

さらに起業家は往々にして朝令暮改なので、深く考えることなく何かを始め、「違う」と思ったら、変える。そうすると、社内は混乱する。

******
また、時間の使い方も変えなければいけない。
起業の頃は、一つ一つの意思決定について家で悩む時間をたくさん持てていた。

人に相談せずに一人でサクサク決めていくことが、僕には向いていたのかもしれない。
けれどもスタッフが増えてくると、一人で悩み考えている時間は取りづらくなる。

マネージメントについても、「創業時の熱さ」よりも「一人一人を丁寧にコーチングしていくこと」が大事になる。けれども、ピンチに強く平時に弱い僕は「崖から突き落とす」ようなマネージメント方法しか知らない。

軽度の発達障害持ちの僕にとって、「人の気持ちを理解する」ことは最も苦手なことの一つだ。悩めば悩むほど、他のことを考えられなくなった。

そして、もともと得意だった「ゼロからイチを創る」ことについても頭が動かなくなり、バリューを出せなくなっていった。悪循環だった。

******
ビジネスモデルが確定し、会社が大きくなればなるほど、マネージメントとその仕組みが必要となる。
例えば「1対1のコミュニケーションを丁寧に行うこと」「予実管理・人事制度といった仕組みを創っていくこと」といったことが、重要になる。

そしてそれらは「起業」に必要なスキルとはだいぶ異なる。
ミッションの達成に対して次々と新しいことを仕掛けていきたい起業家にとって、「我慢」が必要になる。

これらは、僕が創業3年目ぐらいから、徐々に直面し始めた壁だった。

会社が大きくなればなるほど、経営者としてバリューが出せなくなっていくのを感じていた。

それにも関わらず、「海外事業をやらなければ、ミッションを達成したことにはならない」と思った僕は、海外にいることが増え、その結果社内はグチャグチャになった。

「僕に経営は無理なんだな」
と思った。

だから僕の友人で、当時日系企業のアフリカ支社の代表をしていた森本真輔に、入社してもらうことにした。
これについては、会社のホームページにも書いた

森本君は最も仲の良い友人だったから、友人関係が壊れてしまうことはとても怖かった。
けれども、それ以上に僕は「経営者に向いていない」と思うようになっていた。

そして現に森本君の入社後、ベンチャー起業だったキズキは、人事制度・予実管理などの仕組みが整い、急に「会社」になっているのを感じる。

******
そんなわけで、僕は森本君を9月に会社に招き、4月からは「共同社長」という立場に就いてもらった。
社内のことは森本君に任せることにした。

一方僕は、広報をはじめとした「数年後に重要になること」にまずはコミットすることに決めた。
とりあえず、長らく出版社の方々を待たせていた2冊の本の執筆から始めている。

******
再び僕の人生は、模索期に入っている。大企業が合わずに鬱病で引きこもっていた頃を、最近よく思い出す。

けれども模索し悩み続けた後には、いつも次の世界が開けていたので、ワクワクもしている。

「私はダニエル・ブレイク」を観て、福祉と効率について考えた

「私はダニエル・ブレイク」を観た。昨年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した作品。

監督であるケン・ローチは、社会の流れに翻弄される弱者の側に立った作品を描くが、「私はダニエル・ブレイク」にも「どんな人間も名前を持つ一人の人間だ」という強いメッセージを感じた。

本作は、医者からは就労を禁止されている心臓病持ちの老人が、(イギリス版の)ハローワークで、「就労可能」と認定されてしまうことから物語は始まる。

「就労可能」と認定されたからには、「求職活動」を行わなければ失業給付金がもらえない。だから、老人は街の工場を歩き回って履歴書を配り歩く。
けれども、医者からは就労を止められているから、実際は働くことはできず内定を断らざるをえない。

また、いくら工場を回って履歴書を配り歩いても、国が定めている「インターネット」を使った求職活動を行っていないことで、老人は失業給付金を止められそうになる。
「履歴書を配り歩いたことは、証明できないでしょ?本当に求職活動を行ったの?」とハローワークの職員に問い詰められる。
けれども老人はインターネットを使いこなせないから、国の定める求職活動はできない。

「インターネットを使った求職活動」を義務付けることは、求職活動を証明する「効率」を考えると、一見正しいように思える。しかし、その「効率」を重視することで、インターネットを使えない老人が阻害される。

******
「効率」を重視するために、多くの行政機関はKPI(数値目標)を設定する。しかし、そのKPI(数値目標)が的外れだと、何の意味もない行為を多くの人に行わせてしまう。

本作で出てくるイギリス版ハローワークでは、「求職活動をしている人数」を増やす、というKPI(数値目標)が設定されてしまっている。(本来であれば、「実際に就労した人数」をKPIに置くべき)
そのため、「病気で就労できない人に、求職活動を行わせる」という不可思議な状況が生まれている。

さらに、たとえKPIが正しく設定されていたとしても、KPI達成に重きを置き過ぎると、「支援効果が出やすい人」に支援が集中することになりうる。

本作では、インターネットも使えない人は阻害されているが、彼らの支援は時間がかかり「効率」が悪い。だから支援の手も、差し伸べられづらい。

******
キズキという僕の会社は、不登校・中退の子たちの塾を「ビジネス」として行っている。
「ビジネス」として行うということは「効率」を重視することである。そして、その「効率」を重視すること自体は、限られたリソースの中で、多くの人を救うためには必要なことだと僕は思っている。

一方で、「社会的インパクト」や「効率」を重視すればするほど、そこから取り残されてしまう人がいる。そのことに、我々は自覚的にならなければならないと思う。

例えば、キズキが頂く授業料の中ではご支援できない方(=宿泊型支援や、医療的な支援が必要な方)について、我々は現状お断りをしなければいけない。

けれども、「本当に圧倒的に困難を抱えた人たち」にも支援の手を届けられるような会社を創っていきたいと、起業家・経営者として僕は改めて思った。

******
本作の中では直接描かれていないけれども、2000年前後のイギリスの社会保障政策には「社会投資」という視点があった。

「福祉国家」として有名だったイギリスが、社会保障費の増大で立ち行かなくなり、そこで現れたサッチャーが1980年代に福祉を切り捨てていく。しかし福祉を切り捨てたが故に、「社会」が回らなくなり、失業者が溢れた。
そこで、労働党のブレア政権は「Tax EaterをTax Payerへ」という号令の下、「将来の税の担い手」になる若者の支援が拡充されたのだ。

しかしながら、「将来税の担い手になれない」人たちの支援を、社会保障費が増大している現代社会において、どのように考えれば良いのか。僕はまだ答えが出ていない。

*本記事のURL変えたら、Facebookのシェアが0になってしまった・・・

読書メモ:「ルポ 児童相談所」

著者の慎泰俊さんから献本頂いたため、遅ればせながら読書メモを書いた。

ルポ 児童相談所: 一時保護所から考える子ども支援 (ちくま新書1233)

******
 恥ずかしながら「一時保護所」についてあまり知らなかったので、とても勉強になった。一時保護所とは、「実家庭で暮らすことが最善ではない」と児童相談所に判断された子どもたちが、平均1ヶ月滞在する場所のこと。(その後、実家庭に戻れない場合、社会的養護や特別養子縁組を受けて、実親を離れ生活することになる。)

 本書は、一時保護所の厳しい規律や、そこに滞在する子どもたちの精神的な不安定さについて、ルポ形式で描かれている。また、一時保護所にも「良い保護所」と「そうでない保護所」があり、その違いについても詳細に記述されている。
 
 抑圧的な一時保護所については、「人間は教育と養育によって成長するという認識が欠けているような気がしてなりません。前者を担う組織の代表格は学校、後者のそれは家庭です。」と批判的に描かれている。
 一方で、「真夜中に電話で呼び出される」など児童相談所の職員の過酷な労働環境、子どもを取り巻く問題が児童相談所に一極集中し「ガラパゴス化」する現状についても言及し、行政レベルでの改革・民間人ができることについて提言している。
 
 個人的には、第3章の(5)の「増加する貧困と虐待」は、データ集としてもよくまとまっていて、参考になった。
 貧困率の各国比較、虐待による死亡数の推移、一時保護所の子どもの親の学歴などのデータだけでなく、「なぜ等可処分所得は平方根で割って計算するのか」「絶対的貧困と相対的貧困」といったコラムも有益だった。
 「アダム・スミス以来、多くの経済学者たちが、貧困とは単に生命を維持するための物質を買うことができないことを含むだけでなく、一般の人々であればできることができないことにある、と考えました」といった記述は貧困問題を語る上で重要だが、一般には知られていないと思う。
 
 その他印象に残ったのは、下記の記述。
 「親に養育の意思がないために児童養護施設に入所した子どもが、施設内で暴力事件と性加害を起こしてしまった、というものがありました。こういうケースにおいては、その子どもは一旦児童養護施設を離れて一時保護所に戻り、その次の処遇を考えることになります。」
 「次の方向性が見出せないまま一時保護したものの、保護所内でも問題を起こしてしまい、個室に隔離され、一年間閉じこもって生活しているという少年がいました。かといって私にできることはなく、無力感を抱くしかありませんでした。」
 
******
 僕も親に養育能力がなかったため、12歳の時から親元を離れて生活をしてきた。だからインタビューを読んでいると当時を思い出し、とても苦しかった。

残業とは経営陣の責任である

経団連が、残業規制に反対していた一連の出来事を見て、とても驚いた。
「残業なしで勝負できるビジネスモデルを創れません」と自ら言っているのと同じだからだ。

そもそもイケてるビジネスモデルがあれば、残業なんて必要ない。
「残業しなければ成り立たない」ビジネスモデルしか考えつかなかった時点で、経営陣としては能力不足だと言える。

例えば、営業系会社で働くある友人は、「夜にクライアントから問い合わせがあったらその場で対応しないと、クライアントは逃げてしまう。だから残業するんだ。」と言っていた。
しかし、競合他社がひしめく業界で勝負していて、競合と同じような価値しかクライアントに提供できないのであれば、残業が増えるのも当然だ。
付加価値が「時間差」しかないようなビジネスは、誰でも考えられる。

そして、そんなビジネスモデルでしか勝負できないのは、「経営陣」の責任である。

******
もう一つ、「やるべき仕事」と「やらなくても困らない仕事」を分けられていないことによる問題がある。

ある施策を準備・実行している最中に、「そもそもこの施策をやる必要があったっけ?」と考えることは多いと思う。
それを防ぐために、事前にどれだけ考え抜いたかが、経営陣に問われる資質だ。(これは、経営陣だけでなくマネージャーにも言える)

有限な時間の中で「何をやるべきなのか」を始めに考え切ること、そのことで必要最低限のタスクに絞ることができる。
始めにイシューツリーを書き切り、「手戻り」をできる限りなくした方がいい。

******
偉そうなことを書いたけれども、僕もかつては、そんな経営をしていた。
ちなみに、これについては年末もブログに書いた

僕の経営している会社は創業6年目で安定もしていないし、給与水準も普通の中小企業並みでしかない。
だからこそ働きやすさ、特に「労働時間」にはこだわらなければいけないと、途中気づくことができた。

採用活動をしていると、男女共働きの時代になったせいか、若くて優秀な人たちも「労働時間」に関して敏感になってきたのを感じている。
自戒を込めて、「残業を必要としないビジネスモデル」を今後も経営者として創っていきたいと思う。

不登校・中退と大学受験

今年も合格発表の時期が来た。
色々な生徒の合格報告が届く。会社が大きくなって僕と現場との距離はだいぶ離れてしまったけれども、それでも「キズキがなければ、引きこもりのままだった」という声を聞くたびに、明日も頑張ろうと思える。

******
けれども、「〇〇大学に受かった」ということ自体は、社会全体にとってはプラスの意味もマイナスの意味もないと僕は思っている。

例えば、「慶應大学に受かった」というのは、塾の実績としては良いことかもしれない。
けれども社会全体で見れば、「A君が慶應大学に合格した分、B君は慶應大学に不合格になった」ということになる。
大学の合格者の枠が限られている以上、大学受験とは「ある人が大学に合格したら、別の人がその大学から落ちる」というゼロサムゲームに過ぎないのかもしれない。

だから僕は、普通の塾が行うような、「偏差値の高い大学に受かった生徒がすごい」という教育には全く関心がない。
(現に、塾のウェブサイトには「早稲田大学〇〇名、慶応大学〇〇名!」みたいなことをアピールはしていない)

僕の塾から大学の合格者が出てくれることは嬉しいけれども、それは「難関大学」だったからではない。
高校中退や不登校を経験して長い間苦しみの中にあった彼らが、次の希望に満ちた進路に踏み出せたこと、そのことをいつも嬉しいと思っている。
(もちろん、難関大学には合格者を輩出しているけど)

*******
高校中退、不登校といった経験は、「クラスの中の1,2名しか経験しない特別な挫折経験」だ。
そして、自分の意志とは無関係に発生してしまった、とても不条理な経験でもある。

だから中退・不登校を経験すると、時に「自分は特別に劣った存在だ」という考えに苛まれる。
「自分なんて、どうせ努力をしても無駄な人間なんだ」と。

けれども、そんな彼らが、彼らなりの努力をして大学に進学をすると、その考えは徐々に消えていく。
受験勉強における「努力」は一定程度、報われるからだ。

他者と比較したら勉強の進みが遅いこともあるかもしれないが、1か月前・2か月前の自分と比較すると、確実に成長していることが分かる。
そして大学に合格した時に、「努力」は一定程度報われるものだということに確信を持てる。

実際、キズキ卒業生たちの多くは、受験を通じて自信を獲得し、その後アクティブに大学生活を送っている。
「ミャンマーをバックパックした」
「ニューヨークでインターンしている」
風の噂で聞こえてくる卒業生たちの活躍を聞く度に、数年前の引きこもっていた彼らを思い出し、とても誇らしく思う。

******
また、「適切な進学先」を選ぶサポートをすることも、キズキの重要な使命だ。

「大学に進学後また再び通えなくなってしまった・・・」「その後の就職先が合わずにまた引きこもってしまった・・・」
そうなってしまったら、キズキが介在した価値はあまりなくなってしまう。

だから普通の塾のように「偏差値60のあなたは、早慶とMARCHを受けて、滑り止めに〇〇大学を受けたらどうですか?」といった受験指導は、キズキでは絶対に行わないことにしている。

大事なことは、キズキを卒業していった若者たちが、自己肯定感を持って、「自立」していくということなのだ。
特に少子高齢化の進む中で、「若者の自立」は社会にとって喫緊の課題だ。
長期間引きこもった後に生活保護などの「税の貰い手」になるよりも、引きこもりから脱却して働いて「税の払い手」になった方が、社会全体にとっては良い。

だから、「偏差値の高い大学」に合格させることを使命とするのではなく、「本人の自己肯定感」を高め、将来的な自立に繋がる進学先に送り出すことが、キズキの使命だと僕は考えている。

******
起業してから5年間いろいろな事業をやってきたけれども、ずっとメインとなってきたのは、不登校・中退を経験者のための受験塾だった。
この「キズキ塾」は、元々代々木にしか校舎はなかったけれども、昨年末に秋葉原にも校舎を出して、今年5月には大阪にも校舎を出す予定だ。
来年度も、たくさんの若者たちの自立を支えられたらいいなと思う。

競合の登場と社会的意義

年明けから、弊社の社員向けに週報を書くことにした。

塾の校舎が代々木と秋葉原、行政から委託を受けている事業所が東新宿、中退予防のお手伝いをさせて頂いている専門学校・大学が全国にある中で、どうしても僕自身が現場と離れてしまっているからだ。

週報は毎週の経営課題の話が中心にしてるのだけれども、その中で僕個人の日々の雑感も書くことにしたので、ブログにもアップしておこうと思う。

******
安田です。みなさん、年末年始はいかがお過ごしでしたか?

33歳独身の年末年始は、友人たちと沖縄に行ったり大阪で天皇杯決勝を見に行ったりしていました。
そんな僕のプライベートの今年の目標は結婚です。

さて、今日の話は「ウェブのマーケティング」です。
僕がキズキを作った頃、不登校・高校中退の方々を対象とした塾は、日本にほとんど存在しませんでした。だからこそ、この社会に必要だと感じ起業したのです。

けれども、僕が起業してから数年経つと、幾つかの業者が出てきました。
それら業者の初期のウェブサイトや料金体系、文章などは、明らかに弊社を真似したものでもありました。

キズキという会社で考えれば、このことはとても辛いです。
経営者としても、とても苦しい状況です。

しかし社会全体で見たら、どうでしょうか?
不登校・中退の方に多くの選択肢ができたことになります。

ウェブサイトは不登校や高校中退、引きこもりの方々にとってとても重要です。
友人関係が絶たれた多くの若者にとって、「インターネット」は重要な社会との接点だからです。

彼らが「通いたい」と思える塾のホームページを作り、
何年も引きこもっていた彼らが実際にアクションを起こすことを手伝うことは、「支援」の第一歩になります。

競合が出てきた悔しさを味わう度に、「これは社会にとって良い方向になる」と思い直し、日々の仕事に取り組んでいます。

経営者として考える残業、2017年の誓い

おっさんたちが「残業」を好む理由の一つは、「自分もそうやって仕事をしてきた」からだと思う。
「自分は長時間働くことで、仕事の能力をつけてきた」と思っているからこそ、他者にもそれを押し付けてしまう。

僕自身も起業してから2年ぐらいは、1日15時間働き、休みもなかった。だから「全社員、長時間必死で働くべきだ」と心のどこかで思っていた。
僕に限らず起業家の多くは「寝ずに働いたことで、今の自分がある」と思うだろうし、外資金融コンサルの多くも「バリュー出なければ長時間働くべし」と思うだろう。

でも今は、そういう自分の価値観を他者に押し付ける「幼さ」から脱皮できて、とても良かったと思う。

自分と同じ成長曲線を他者がたどるとは限らない。
自分と同じような価値観を他者が持っているとは限らない。
自分と同じような体力を他者が持っているとは限らない。

自分と他者は全く異なる存在だという認識なしには、会社も社会も適切に回すことができない。

僕が、そう思えるようになったのは去年ぐらいのことだった。
それまでも労働時間の管理はしていたけれども、今年からは電子タイムカードを導入するなど、幾つか仕組みを整えた。その結果、1日平均残業時間を30分程度まで抑えることができた。

僕自身も労働時間が減ったことで、仕事に必要な本を読んだり、友人たちに仕事の特定のテーマについて相談したり、または仕事とは直接関係のない文学や思想の本を読む時間も取れるようになった。

そういった仕事に一見関係が薄いことにも時間を使ったが、それらは確実に仕事にも活きた。
現に、巣鴨駅から徒歩15分/築40年のアパートから始まった会社は、5年間でアルバイトを含めると100名を超える規模になった。

******
「20代のうちはもっと仕事をした方が力がつく」「もっとたくさん働きたい人もいる」
労働時間の規制の話になると、必ずこの手の反論が出てくる。

僕も前述したように20代後半のその時期は必死で働いたし、そのおかげでだいぶ力がついたとも思っている。

けれども普通の大企業であれば、たくさんの人が入社してくるのだから、単一的な価値観を押し付けてはいけない。
成長曲線も価値観も体力も、人はそれぞれ異なる。

仕事以外の時間について、仕事が大好きな人は仕事に関わる自己研鑽に使えばいいと思う。
でも一方、家族や恋人と過ごす人がいても良いと思う。家族や恋人と過ごしリラックスすることで、仕事のパフォーマンスが上がる人もいるかもしれない。

そして何より、電通の一連の出来事みればわかるように、「過労」は時に取り返しのつかない状況を生んでしまう。
だから過剰な残業を会社(上司含めて)が社員に強制してはいけない。

******
人は鬱状態になると、正常な判断ができなくなってしまう。「こんな会社辞めてやる」ではなく「能力が低い自分はどこに行ってもダメなんだ」となってしまう。

実際に転職市場は、新卒ですぐに辞めた人には厳しい。
僕自身も新卒すぐに鬱になって会社に行かなくなったことがあった。
「新卒一年目で辞めたら、もうどこにも雇ってもらえなくなる」と悩み、住んでいたマンションの7階から飛び降りようと何度もした。

だから、「会社が合わなければ、辞めればいい」なんて論理も、成り立たないと僕は思っている。

******
僕を知っている人はわかると思うけど、僕は人とのコミュニケーションがあまり得意ではない。
だからできることは数少ないけれども、来年は残業削減だけでなく、社員のキャリアアップ制度を作ったり、360度評価の仕組みを入れたりなど、できることを丁寧にきちんとやっていきたい。

社員一人一人がもっと働きやすい環境を作る、それが2017年の僕の経営者としての誓いだ。

経営方針

 今年は激動の年だった。そのうちの一つが、NPO法人でやってきた事業のほとんどを、昨年作った株式会社に移管したことだった。今後弊社(キズキ・グループと呼んでいる)は、きちんと利益の出る事業を株式会社で行い、利益は出ないが社会変革に必要な事業をNPO法人で行っていく。
 その体制変更に伴い、弊社が今後どのような道を目指していくのかを文書にまとめ社内に告知することが、年末の大きな仕事の一つだった。
 完成したものを、備忘録的に僕のブログにも転載しておこうと思う。
 
********
 キズキは「何度でもやり直せる社会をつくる」ことをミッションとしていて、このミッションを一刻も早く達成したいと考えています。(このミッションは、ウェブサイトでも書いているように安田自身の幼少期の頃の経験やバングラデシュでの経験に基づいています)
 そして、一刻も早いミッション達成のためには最もインパクトのある方法で事業を遂行する必要があります。
 
 一般的に社会的な事業では、「寄付」「行政委託」「ビジネス」の3つの事業遂行の形態があります。
 
 ・「寄付」について
 たとえば貧困世帯の支援等、利益獲得が困難な事業を遂行する上では有益な手法となりえますが、そのためには継続的に寄付を募る能力の獲得が必要となります。現状キズキには継続的に寄付を集める能力が備わっていないため、NPO法人の中で今後力を入れていく事業になります。

 ・「行政委託」について
 行政は市場の失敗を補完する上で歴史的に重要な役割を果たしていきましたが、教育・福祉分野の委託事業については、現状では幾つかの課題があると感じています。これらの課題解決を行政に訴えかけながら、今後は徐々に行政委託事業に力を入れていきます。
1:質の向上に向けた切磋琢磨よりも、行政が決めた枠組みに沿ってきちんと事業を行うことが最も重視されがちです。
2:現状、多くの委託事業では、「行政が委託業者を選ぶ」というやり方が行われています。そのため、困難を抱える方々が「どの業者によるサービスを選ぶか」という選択権を持っていないケースがあります。キズキの事業で言えば、普通の生徒たちは塾を選べるのに、貧困などの若者は行政が指定した業者のところに通わざるをえないという状況が生まれているのです。
3:教育・福祉の行政委託事業では、間接費の設定が認められていない場合が多々あるなど、事業の継続性を考えると委託を受けるのが難しいことがあります。
 
 上記の裏返しの表現になりますが、「質の向上に向けた切磋琢磨を行うこと」「利用者が最も良いサービスを選択できること」「持続可能な組織であること」が、社会課題解決において重要なことだとキズキは考えています。また、少子高齢化の中で国の社会保障費が増大する中で、「できるだけコストをかけず」社会課題を解決できる仕組みも重要だと考えています。
 これらを満たしているものが、「ビジネス」だと考えています。ビジネスであれば、他者との競争の中で質の向上を生まれ、顧客は質が高いサービスを選びます。また、適切な対価を頂くことで組織として継続していきます。もちろん行政の補助が出るような事業も多々ありますが、基本的には行政がコストを払う必要は無くなります。
 そのため、キズキでは、一定レベルの所得層の方々を対象とした事業は、きちんとビジネスとして対価を頂くべきだと考え、ビジネスを基軸に事業を展開していきます。

 もちろん現実には、この「売上」と「社会的価値」が必ずしもリンクしないビジネスが沢山あります。いくら売り上げを上げても、一部の人が幸福になり多数の人が不幸になってしまうようなビジネスもあります。
 キズキは、このような事態を回避するため、「より多くの困難を抱える人に質の高いサービスを届ける」ことと、「売上・利益といったビジネスの結果指標を直結させる」ことに徹底的にこだわります。
 そのため、例えば学習教室事業では、生徒一人一人の半年以上の通塾継続率を事業にとって一つの重要な指標として定義し、継続率向上に向けて徹底的にサービスを改善しています。なぜなら、一度学校をドロップアウトし、他の塾にも通えなかった若者たちが、キズキで半年以上通い続けられたならば、彼らの社会復帰にとって重要な出来事となるからです。一方で月謝制のため、顧客に継続してもらうことが、売り上げを継続的にあげる上では重要です。
 また、生徒数の拡大こそが、「より多くの困難を抱える人に質の高いサービスを届ける」ことにつながると考え、多くの生徒に対し授業を提供できる講師をより高く評価する設計としています。
 今後他の事業に参入する場合も、その選択においては、ミッション達成とビジネスの成果達成が直結されることが担保されることを不可欠の条件とすることをここに宣言します。