攻撃しあうのではなく、お互いの痛みを理解する社会を創りたい

攻撃しあうのではなく、お互いの痛みを理解する社会を創りたい。2019年の抱負として、考えています。

2018年、特に印象の残っているのは自著の出版です。
この本を書く中で、最も伝えたかったことは「あとがき」に込めました。

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4年前に僕も30代になり、10代の頃に比べると少しは大人になったように思う。あの頃との一番の違いは、「誰かを恨まなくなった」ことだった。

幼いころを思い出すと、僕の父は感情をコントロールすることが難しかっただけだったように思う。母は子育てをする中で孤独になり、苦しかったのだと思う。当時の僕を標的にした不良少年たちは、僕よりもさらに過酷な家庭環境の中でもがいていただけだったように思う。

自分に害を加えてきたように見えた人、キツイ言葉を浴びせた人であっても、きっとその裏にはその人なりの悲しみや苦しみがある。そのことに気づけたことで、人間の多様性と豊かさに気づけるようになった。
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たとえば、不登校や中退の支援の現場にいると、「学校」や「先生」の批判をしたくなるかもしれません。けれども僕は、攻撃するのではなく、学校制度の背景や先生の葛藤を理解したいです。
キズキビジネスカレッジでも、低所得世帯への支援でも、それは全く同じです。意見の合わない人たちが、どういう思いや悩みを持っているのか。常に想像力を巡らせたい。

もちろん僕も完璧な人間ではないです。様々なことに苛立ちます。
けれどもそんな時に、「なぜこの人はこんな行動をするのか」「なぜこの組織はこうなってしまったのか」

攻撃しあうのではなく、お互いの痛みを理解する社会を創りたい。2019年を迎えるにあたって、考えていたことです。

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この社会は今、敵と味方に分断されて始めています。
それはトランプ政権以後のアメリカだけでなく日本でも。
そして暴力的な市民だけでなく、「リベラル」と呼ばれる人たちの間でも。

「自分と異なる意見を持つ相手であれば、徹底的に叩いても良い」
「道徳的に間違ったことをした人間であれば、再起不能なまでに叩くべき」

特に、社会で強い立場にある(ように見える人)が何か失敗を犯したら、SNSやメディアを通じて攻撃することが許されているように感じます。
しかし、それでは「新たな弱者」を創ってしまいます。

それは、トランプ政権の登場が示したアメリカの分断と全く同じ構図です。
ヒラリークリントンは、トランプ支持者たちのことを「みじめな人々」と演説し、そのことで社会から信頼を失いました。

ある側面ではトランプ支持者たちも「弱者」であるのに、「リベラル」は彼らを馬鹿にする。世界は、そんな「リベラル」のダブルスタンダードを目の当たりにしました。

自分の正しさを絶対視し、加害者の論理に想像力を働かせず罵倒し、その結果多くの人からの共感が得られなくなる。
それが、今日の世界中のリベラルの姿なのかもしれません。

SNSを通じて自分と似た意見の人としか交流が生まれなくなっている今、この「分断」は加速していくでしょう。

僕はこの分断を、自分の事業を通じてなくしていきたいと思います。

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「自分が信じる世界を実現したい」と思う時、様々な方法がこの社会には存在していると思います。
僕は20代の頃までは音楽や映画で世界を表現したいと思っていたけれども、今は事業家なので、事業を通じて僕が信じる世界を実現していくつもりです。

2019年のキズキは、次の時代の思想を創っていけるようなリーダーになれるように頑張りたいと思っています。皆さま今年もどうぞよろしくお願いします。

休暇中に考えていたこと

久々の休暇は、タイのサムイ島で過ごした。
帰りの飛行機の中で、このブログを書いている。35歳も目前となる中で、少し自分の仕事について振り返ってみたくなった。

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27歳から始まった起業生活は30歳の頃に少し落ち着いた。僕自身がフルコミットしなくても、短期的には会社が回る仕組みができた。そこから3年間、32歳ぐらいになるまで、どうも仕事に本気になれなかった。
考えてみると、僕が必死になる原動力はいつも「生きていけなくなる」という恐怖心だったように思う。そして30歳になって会社が順調に回り始め、やっと少しだけ「生きていけなくなる」という恐怖から脱することができた。
「生きていけなくなる」というのは、物理的に「給与がもらえなくなる」とか「飯が食えなくなる」とかだけの話ではない。キズキという会社は、やっとつかんだ「居場所」だったのだ。

居場所のなかった10代の頃を超えて、20代前半の頃はICUやイスラエル・パレスチナ、バングラデシュといった国々が僕の居場所となっていた。けれども新卒で働いた会社を4か月で休職すると、僕はどんどん居場所が消えていくのを感じた。自分が創ったキズキという会社だけが、家族のいない僕にとって大きな居場所となっていた。

その恐怖の時代に戻りたくない、という思いから、30歳から32歳までの間は、ある種の冒険をできなくなっていた。窮地での判断は間違えないようにしていたから事業自体は伸びていたが、「ミッションを達成すること」よりも「自分の居場所を守ること」を優先していた部分は否めない。
(とはいえ、この頃に構想していたことを最近次々と形にしているので、インプットの時期として大事だったようにも思う)

32歳の終わりぐらいから、「このままじゃ、あっという間に歳をとってしまう」と焦るようになっていた。そんな中で33歳の1年間は、経営についてよく悩み考えた。人生で最もつらい時代の一つとなったが、今はいい経験になったと思える。

34歳の1年間はスタディクーポンを通じて出会った仲間たちによって、ミッションに向かって奮闘する楽しさを知れた時間だった。またスタディクーポンだけでなく自治体との仕事が急速に増えたことで、自社だけでなく「社会」について考えることが多くなった。
また初の著書を刊行し、自分自身の生い立ちやミッションについて広く伝えることになった。人前に自分の過去をさらすことはずっと抵抗があったが、さらしてしまった以上隠すことはできない。だったら思いっきり、自分のミッションに自分の人生をかけていこうと思えるようになった。

ひたすら働いたこの一年間、土日休みも月に1回取れれば良い方だった。そんななかで今回の夏休みは一週間、タイにいた。パレスチナ、バングラデシュ、ルーマニアといった国々ほどではないが、タイにも僕の青春が詰まっている。
ひたすら寝て、ひたすらマッサージに行って、翌週から始まる「35歳」をどう生きるか考えた。やっぱり、自分が20代の前半で出会ってきた人たちのための仕事がしたいなと思った。起業してから小さく幾つか途上国での仕事をしてきたが、本気で彼らの抱える課題にコミットしたとは言えなかった。20代の前半、あれだけ僕の人生を変えてくれた人たちに対して何もできていないことは、思い出すといつも心苦しい。罪悪感がずっと消えない。次の1年間の間で、なんらかの足掛かりを作りたい。

そしてもう一つ、何もできていないことは「新卒ですぐにうつ病で退職してしまった経験」についてだ。僕は1年間の引きこもり生活ののちに奇跡的に社会に復帰することができたが、この経験を経て見えたことについて、何も形に残せていない。だから、10月に新しく大きなプロジェクトを立ち上げる。詳細はまだ言えないが、全く新しい事業のため、成否も分からない。改めて次のプロジェクトについて報告するので、その際は皆様応援頂けたら嬉しい。

スタディクーポンの時も、著書を刊行した時も、全く新しいプロジェクトだったから勝手がわからず、胃がキリキリした。多くの人を巻き込んで、時間とお金を使った。でも、意味はあった。
新しいことを始めるときはいつも苦しい。でも、やらなければいけないこと、できることは無数にある。先にあげた二つ以外にも、たくさんの新しい事業を小さく始めている。

こうやって次々と新しい挑戦ができるのも、既存の事業(塾の事業や行政や大学との事業)については、社員たちがどんどん拡大してくれているからだ。正直なところ、社内の既存の事業について僕の出る幕はあまりない。だから僕自身の役割は、この社会・世界の課題を丁寧にとらえて、まだ社会に存在していない持続可能な解決策(ビジネスであれ政策提言であれ)を示していくことだと思っている。

休暇が明けてまた仕事が始まるが、これまで以上に本気で働こうと思う。

教育とは何か。

教育とは何か。
親や教師が「あるべき子ども像」を押し付けることなのか。それとも、親や教師が「子ども自身の幸福」のために悩みながらも支援していくことなのか。
冷房の件には、日本の教育が抱える課題の一部でしかない。

教育関係者の「子供に我慢させるべき」という精神論が存在する限り、不登校は増える一方だろう。
(以前書いたように、平成の30年間で不登校の割合は3倍に増えた。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55494

実際、不登校当事者への調査によると「不登校の原因」に先生をあげる子は25%、学校の決まりをあげる子は10%存在している。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20161016-00063307/

「学校の評判を上げるために、生徒に国立大学を受けさせる進学校」とか、「学校の評判を下げないために、校則を厳しくする」とか、冷房と根っこにある課題は全て同じ。
中心が「学校や教師」にあり、子ども自身の存在を中心において物事を見ていない。
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ちなみに、素晴らしい学校も、素晴らしい先生方も、この日本にはたくさんある。一方で、そうでない学校が多いのも事実。冷房の件から、日本の本質的な教育課題に目が向けられるといいなと思う。

好奇心から全ては始まる

ちょっと前だが、某クラウドファンディングの中止を見て思い出したこと。
僕も大学生の頃、パレスチナでデモに参加して催涙弾とゴム弾の中を逃げ回ったり、バングラデシュの娼婦街に通っていたりしていた。今になると「世界を知りたい」という好奇心は、「誰かを助けたい」という気持ちと同じぐらい価値があった。
好奇心なしに、社会課題を理解することはできない。データや理論を超えた想像力や経験が、将来社会を動かすかもしれない。若さ故の無謀さは、可能性を含んでいる。

引きこもりの当事者と会う時、未だに僕の心にあるのは「好奇心」だったりする。「10年引きこもった世界からは何が見えてるんだろう?」と想像すると、ワクワクすることさえある。
好奇心なき支援は、時に当事者を傷つける。「社会問題の対象者」「可哀想な誰か」と見るよりも、「あなたのことに興味がある」と言った方が、フェアで対等な関係性が築けることもある。

上辺だけ社会課題をなぞるよりも、「あなたに興味がある」という姿勢を大事にしてほしい。バングラデシュの娼婦街にいた頃、僕にあったのは単なる好奇心だった。けれどもそこで、人間の尊厳とは何かを知った。大事な友人もできた。「スラム街を知りたい」、そんな好奇心から全ては始まるのかもしれないと僕は思っている。

本を書きました

皆さん、こんにちは。安田です。
昨日、初の著書が発売されました。
昨晩から徐々に、全国の書店に並び始めているようです。

「暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由」(講談社)

僕は人前に出るのが苦手なので、できるだけ目立たずにいたい。生まれてから現在のことを書くなんて、正直とても恥ずかしい。
それに、この本を書くことで傷つく人がいる。

全て事実ではあるけれども、生まれ育った環境について書くことにはためらいが最後までありました。
けれども、本を出すことで、一人でも多くの苦しんでいる人を助けられるのであれば、全てを書こうと決めました。
不登校や高校中退で悩んでいる方、家庭環境で悩まれている方、うつ病で通院されている方、会社が合わなくて辛い方・・・

そんな「生きづらさ」を抱えた人たちが、
「生きていれば、いいことがあるかもしれない」
そう思ってほしくて書いた本です。

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もしかしたら前半は、読んでいて苦しい気持ちになるかもしれません。
生まれながらに発達障害があったこと。父が暴力的であったこと。父が外に子どもを作って帰ってこなくなった時のこと。母も外に恋人を作って帰ってこなくなったこと。そして12歳で家を出た時のこと。暴走族に追いかけ回されていた日々のこと・・・

けれども、後半からは再生と希望の物語が始まります。
20歳の時に運良く大学に合格し、そこで様々な人の助けがあったこと。せっかく入った大企業を4ヶ月でドロップアウトしたけれど、そこでもたくさんの人たちが助けてくれたこと。そして、起業・・・

今のキズキを形作る全てのことを書きました。
また、この本は誰かを非難するために書いた本ではありません。
僕に害を加えてきた人であっても、その裏には必ず、その人なりの苦しみや悲しみがありました。発達特性や家庭環境、それに「孤独」や「憎悪」が存在していました。
そのことを知ったことで、人間の多様性や豊かさについて気づいたことも、僕にとっては大事な経験でした。

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一つお願いがあります。
本を手に取ってくださった皆さま、ぜひSNSやブログ、Amazonなどで感想を書いていただけたら嬉しいです。
そうすることで、様々な「暗闇」を抱えた当事者の方、そのご家族の方、支援の世界で試行錯誤している方、一人でも多くの方の目にこの本が触れることにつながっていきます。

また、本の売上は、一部経費等を除き、キズキが行っている少年院支援や低所得世帯向けの塾内奨学金給付などに使用していく予定です。
全ての生きづらさを抱えた人に、この本が届いて欲しい。
そう強く願っています。

人間には変えられるものと変えられないものがある

少し前の話だが、ある卒業生が急に訪ねてきた。

「怖くて死にきれなかった」
自殺を思い止まって、その足で1年ぶりにキズキを訪ねてくれた。椅子に座るとすぐに、ただひたすら涙を流していた。
30分ほど経って、ようやく状況を話してくれた。

大学でもアルバイトでもうまくいかず、「自分は普通になりたいだけなのに」と悩んでいた。
だから「僕なんて、普通の人より5年も遅れて働き始めたよ。」と僕自身の話をした。
子どもの頃の話、会社を4ヶ月で辞めて引きこもっていた頃の話、そして経営者になっても人間関係で問題を起こしてばかりで悩んでいると話をした。未だに普通には生きられない・・・と。

「安田さんは、人生焦りませんか?」
と最後に聞いてきた。
「人生に遅れた分、90歳ぐらいまで働けるように筋トレしてる」
と真面目に話したら、最後は笑って帰ってくれた。

人間には、変えられるものと変えられないものがある。
顔や身長と同じように、自分の発達特性や感受性を変えることも難しい。だから変えられるものにフォーカスを当てて、自分なりの生き方を探していくしかない。
キズキとして「学習」や「受験」以外のサポートももっと力を入れたいと改めて思った。

「長すぎた入院」

衝撃的なドキュメンタリーだった。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259602/index.html

統合失調症、軽度知的障害などの方々が、「経済発展に役立たない」という理由で何十年も病院に押し込められていたという事実。
「実家に帰りたい」という子どもに、「負担が重すぎる。迷惑だ。人生をやめてもらわないと。」とテレビカメラの前で堂々と発言する親。

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僕はひきこもり支援の重要性を、「社会投資」として説明することが多い。TaxEaterがTaxPayerに変わることは、少子高齢化社会の中で必要だから。
そして、ひきこもり支援のみならず行政の事業はもっと費用対効果を考えて行われるべきだとも思っている。きちんとしたKPIが置かれず、適切な評価が行われない事業がとても多いから。
けれども、功利主義に陥ってはいけない。より重要なことは人間の尊厳が守られることだ。それらを無視した社会政策には意味がない。
追記。
僕はこの親を批判する気は無いし、その資格があるとも思わないが、カメラの前で堂々と「人生やめてもらいたい」と言えてしまう感性が、ある意味この国が精神障害を持つ方をどのように見てきたのかを物語っているように感じた。

スタディクーポンとアウトリーチ

最近は、週2回〜3回ぐらい、足立区でひとり親で生活保護世帯のアウトリーチ(家庭訪問支援)を、僕自身がやっている。
久々に現場に入れて、とても楽しい。

渋谷区で4月から開始するスタディクーポンは、
・普通の子どもと同じような選択肢が提供されるため、スティグマを生まない。
・民間資源を利用するため、効率が良く、量的なインパクトを出しやすい。
というメリットがある。

一方、教育へのモチベーションが高くないため、そもそも「塾を選ぶ」ことをしない家庭もあります。自ら支援の現場を探し通うことが難しい方もいます。待っているだけでは支援の現場に来てくれない方もいる。
そこで弊社は、足立区にて生活保護世帯のひとり親家庭に直接お伺いして、子どもたちに学習支援を行なっている。

スタディクーポンもアウトリーチも、どちらも大事なことだと思っている。
必要な人に必要な支援が、届きますように。

弊社インターン生からの、スタディクーポンへの想い。

ひとり親の生活保護世帯から国立大学に入学した経験を持つ弊社のインターン生が、スタディクーポンについて熱い想いを Facebookに投稿してくれていた。
無料塾も素晴らしい支援の形だと思うけれども、一方で「自分に合った支援を選びたい」という当事者にとって、スタディクーポンは重要な支援の形なのだと再認識した。

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(以下、引用)
高校生だったとき、ぼくは東大を目指していた。
受験塾に通いたかったけれども、家にはお金がなかった。
当時(今も?)、子どもの貧困支援といえば、貧困世帯向けの無料塾が定番だったと記憶している。でも、小さなNPOがやっているような無料塾はレベルが低いし、善意を煮詰めたような雰囲気が息苦しかった。
貧困や親の精神疾患などが重なって、ぼくはおかしくなった。勉強も手がつかない。このことは誰にも相談しなかった(できなかった)。毎日家庭の心配なんてしなくてよい豊かな生まれの同級生(ぼくの偏見が多分に含まれているだろう)をみては、心を乱した。
結局、東大に落ちた。浪人の計画を立てたが、どうにもならなかった。およそ「東大と差別化できるから」という理由で選んだ第2志望の大学に入った。
それからはずっと、当時の自分を救う方法を探してきた。
そして、心から納得できる方法の1つをやっと見つけた。
それがこのスタディクーポン。
塾に使えるクーポンを配る仕組みが画期的だ。
子どもは、大手学習塾からメンタル支援の塾まで、一人ひとりのニーズに合った塾を選べるし、スティグマを感じることもない。教育専用のクーポンだから、「家計の足し」に消えることなく、子どもの教育費として使われる。
このモデルが成功すれば、全国各地に広がりはじめるだろう。ぼくはこの歴史の最前線に立って、家庭環境にかかわらず、子どもが将来を選べる社会をつくりたい。