バングラデシュの友人たちは、都市の生活よりも電気のない村の生活を美しいと、よく話す。
もし開発(他動詞的な意味でのDEVELOP)が、バングラデシュのような途上国を、日本のような先進国にすることを意味するならば、そこにはたいした意義がないように思う。
確かに、日本人は経済的に豊かだ。しかしそれは、人間の幸せとは相関しない。
日本では、フリーターや派遣労働者でさえ、月に10万円以上稼ぐことができる。
多くの場合20万円近い。最低限の衣食住は確保される。
それなのに、なぜ秋葉原の事件をはじめとする日本の「貧困」問題は起こっているのか。
それは、人は「尊厳」によって生きているからだと 僕は考えるようになった。
「金銭」や「便利さ」によって生きているように見える人であっても、それは「金銭」「便利さ」がその人に尊厳を提供しているだけのことなのだと思う。
人は他者からの承認を求めたり、自分が守るべきものを守りたいと思ったり、そういった物事によって、時に苦しみ、時に喜んだりしている。
それこそが、バングラデシュの娼婦たちやイスラエル・パレスチナに生きる人々から学んだことだった。
世界は発展などしていない。「便利さ」と「発展」を混同してはいけない。
そこにあるのは、山のように降りかかる問題と、それにひたすら対処する人間の姿であるように思う。
ある問題が解決されたとしても、また問題がふりかかってくるだけのことであり、バングラデシュと日本の違いとはそれぐらいなような気がする。
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今日、久しぶりに娼婦街のある町から、首都ダッカに戻った。
今回初めて、彼女たちと心が通じ合った気がする。ちょっとだけだけれども。
もっと言語を覚えて、最貧国の「底辺」から世界を見てみたい。