青春について

忘年会シーズンがやってきた。昔の友人たちと会うことが多くなった。
あの頃は本当に楽しかったと思う。
自分が生きている世界が全てで、その中でただひたすらもがいていた。
 
 
 
髪を切った。
髪を黒くした。
ひげを剃った。
 
就職活動、である。
あの頃のように、熱くなれるもの(仕事)に出会いたい。

勉強会

水曜日、勉強会をします。ちょうど先日、Y氏と僕が、S氏のブログ上で「社会企業とNPO」に関する議論をしたのをきっかけに決まりました。
最近定期的にY氏が行っている勉強会の第三回として行われます。
参加希望の方は連絡ください。7時からJICAの広尾です。
 
それにしても、同世代の熱く優秀な友人たちと、定期的に意見交換できるのは嬉しいね。
こういう人たちと将来何かできたらおもしろいだろうなぁと思う。
 
 
以下Y氏のブログより抜粋
 
勉強会の方向性はshunが提案してくれたのですが
「世界の問題に切り込んでいく自分なりのアプローチを見つける」
ということにしたいと思います。 この方向性の中で、それこそ問題そのもの、それを規定するシステム、制度の話から 問題に対する様々なアプローチ、枠組み、具体的な手法に至るまで
あらゆる次元、あらゆる切り口で 参加者の主体性を尊重しながら行っていきたいと思います。

第1回目は東ティモール渡航報告会でした。 第2回目は実現力アップのための勉強会でした。
そして、第3回目は。。。 勉強会のシステムの確認を最初に行った上で
「そもそも何が問題なのか?」
問題意識を出し合いたいと思います。ざっくばらんに。
これまたshunの提案ですが、具体的な進行としては、 まずはどういった問題があるのか?
それに対してどういった対策が採られているのか? その問題点と限界は何か?他にどんなやり方があるか?
という感じで。

日時と場所ですが
12月19日(水)19:00~21:30
おそらく広尾で。場所については明日確認します。

強くあるもの

帰国した。
取材対象である娼婦街には、結局4日間の滞在となった。
 
ドキュメンタリーの主人公であるショキには子どもが生まれていた。
彼女は17歳の時、ブローカーに売られて娼婦街にやってきた。「首都ダッカにいい仕事があるから」という言葉を信じて、ブローカーに連れられてきた場所が娼婦街だった。
処女性を重んじるバングラデシュにおいて、一度娼婦になった者は、社会に戻る場所がない。また保守的なバングラデシュにおいて学歴のない女性が、過去を隠して誰も知らない場所に行くことは不可能である。まして父親のいない子どもが生まれた今、社会が彼女を受け入れる余地はない。
イスラム教の指導者たちは言う。「彼女たちは全員殺されるべだ」と。
purityはイスラム社会において絶対の価値を持つ。
 
 
ショキはある日言った。「私たちは汚れた存在だ」と。「生きていること自体が罪なのだ」と。
けれども、そこであるひとりの娼婦が反論した。
「私たち一人ひとりは神に創られた存在なのだから、この世界に生きている価値があるはずだ。」
娼婦たちを社会から排除しているものがイスラムなのだとしたら、娼婦たちに力を与えているものもイスラムだった。
 
ボンナという名前のその娼婦はこの夏、娼婦街を出た。今は、客の一人と結婚をして、夫の住む村にいる。
信頼できる人を見つけること、そして自分自身の価値を信じること。それが、絶望から抜け出す方法なのかもしれない。
 
そしてショキの家の近くでも、この夏二人の子どもが生まれていた。
母親たちは語った。 「子どもを学校にいかせたい。立派に育ってほしい。そのために私はこの娼婦街をでる」