ブログの更新が遅れてた。テスト期間だったからだ。今日の夕方principle of sociology のレポートを出して終了!!留年は避けたい・・・
これからは団体の仕事に当分追われる。ためすぎた。
取り急ぎ、近況報告でした。今度ゆっくりブログ書きます。
26 土曜日 2月 2005
ブログの更新が遅れてた。テスト期間だったからだ。今日の夕方principle of sociology のレポートを出して終了!!留年は避けたい・・・
これからは団体の仕事に当分追われる。ためすぎた。
取り急ぎ、近況報告でした。今度ゆっくりブログ書きます。
17 木曜日 2月 2005
今日、プレゼンがあった。いつも通り適当な英語を話す。この団体のおかげで、スピーキング能力だけはアップしている気がしていた。しかし、授業終了後クラスメイトのM嬢に言われた言葉がある。
「英語、中東訛りあるよね」
この団体のせいで、英語の発音までおかしくなったらしい。最近どうもPの発音ができない。Bになってしまうのだ。この前も団体の勉強会で、マサ氏に同じことを言われた。
そういえば、昨日は某大学に通うパレスチナ人と昼飯を食った。英語を使った。僕にとって英語とはアラブ人とのコミュニケーションツールになっている。
思い出すのは彼女がメールで「possible」を「bossible」とスペルミスをしていたことだ。日本人がLとRを書き間違えるのと同じ感覚であろう。アラビア語には「P」がない。
16 水曜日 2月 2005
毎日忙しすぎる。ブログをゆっくり書いている時間などない。
とりあえず、明日(もう今日か)は大学のグループプレゼンだ。メンバーが五人をいて、パワポを使えるのが俺だけという、ありえないクラス。ミーティングなどには全くでないことを認めてもらう(毎日忙しすぎなため、学校の課題のために自分の時間は避けない)代わりに、全員分のパワポを作ってあげることになった。
しかしだ、一人は未だに原稿送ってこないし、二人の分はどんなパワポを作って欲しいのかわからない。俺が全部やれってこと??まともなものを送ってきたのは一人だけだ。
これからおそらく徹夜なので、いらいらしてちょっと愚痴ってみました。さぁやるか。
14 月曜日 2月 2005
金曜日は夜バイト。塾講師。二月一杯で辞めることになった。団体の仕事のせいで、バイトを休むことも多く、迷惑かけっぱなしだった。
でも4年間という少ないモラトリアムを無駄に過すわけにはいかない。この四年間で学術的知識は大学生の中でトップクラスになりたいし、同時に実際の活動でもある程度の成果を残したい。自分を学術的に高めながらも、世の中に対しできることをしたいのだ。周りの大学一年生を見渡せば、たいして本も読んでないし実際に将来に向けて活動してるわけではない。「世の中平和にしたい」みたいなことを言う人もいるけれども、結局何もしていない人が多い。だからこそ思う、口だけにはなりたくない。学生にだって世の中に対して何かができるはずだし、それを「まだ学生だから」とか「忙しいし」とか言い訳したくない。もちろん合コンしたり友達とダベッたりすることも楽しいけど、それを生活のベースに据えたくはないのだ。
今日のリングのミーティングの後に某Y氏と話した。彼は同じ大学の四年生で、当団体の発起人のお友達。一年生の僕から見ると、頭も良くて英語もできて、とても尊敬できる。そんな彼に二年生になるにあたっての授業の有効活用についての方法を聞いてみた。また海外の大学院についても聞いてみた。とても参考になった。
この一年間を振り返ってみて、大きな反省点は学術的な成長が見られなかったことであろう。ニ浪の疲れと団体の仕事が原因だ。今後は「生活の無駄を如何に省くか」がテーマとなる。時間は無限にあるわけではない。学問と活動を両立させようとするならば、無駄なパーティーに参加したり無駄に人脈広げたり生産性のないバイトを控えなければならないだろう。
さて話は変わる。昨日のミーティングには新メンバーの女の子が来た。上智の子で中東に11年も住んでいたらしい。しかも結構可愛く、服装がワタクシの好みでした。しかし薬指には指輪が・・・でも当団体の「熱さ」みたいなものを気に入ってくれた模様。とても嬉しい。その後は、昨日丸井で買ったお気に入りのスーツに身を包んだケイタと、ヨーコがうちに来た。その後、UNSAJのおサルとリングのタケも家に来た。軽く飲む。
今日は昼に起床し、映画を見た後リングのミーティングへ。見た映画は、「ルート181」。国際交流基金が主催したイベントだ。少し遅刻していくと、広い会場は満員。はじめは立ち見となった。
この映画はイスラエルとパレスチナの国連の分割案のラインに沿って、そこに生きる人々を撮った作品。乾いた大地と車のクラクション、照りつける太陽を思い出す。アラブ人は無駄に車のクラクションを鳴らす気がするwでもその音が、僕に中東を思い出させるのだ。僕が中東に関わっているのは平和への思いもあるけど、あの空間が単に好きなんだろうとも思う。
会場には、たくさんの知り合い(お世話になっている方々)がいた。某新聞記者さんやら、某NPOの人やら・・・中東に関わる日本人は意外に少ない。中東系のイベントに行くと、だいたい知り合いに会う。その狭いコミュニティーの一人に僕もなってしまったのかと思う。
某市役所からの帰りに、K嬢と日本の中東研究者について話していたのも思い出す。「結構小さなコミュニティーですよね~」、とか「色々よくわからない中東研究所がありますね~」とか他人ごとの様に話していたのだが、そこで言われた一言がある。「あんたも私もその中の一員になる可能性はあるんだよね。」
とりあえず、三月の中東旅行楽しんできますわ。
12 土曜日 2月 2005
水曜日の合コンは最悪だったという話を書いた。もうあの女の子たちに会うことなどないのだろうと思っていた。
しかしだ、今日朝、一人の女の子(最後まで残った女の子二人のうちの一人で、幹事じゃない方)からメールが来た。
「覚えてますか?また遊んでください」
社交辞令だと思い、適当に
「また遊びましょう」
みたいなメールを返す。その後、
「今度いつ暇ですか?」
メールが返って来た!!合コンが失敗だと思ったのは、僕らだけだったのだろうか!?女の子は意外に楽しんでいたのだろうか!?
イマドキの女の子と遊ぶ時間が、僕の大学生活の中でちょっとぐらいあってもいいかな、と考え直す。ただし、次は割り勘です。
11 金曜日 2月 2005
昨日は昼に起床し、池袋で某E嬢と待ち合わせ。微妙な二日酔いのせいで遅刻する・・・ゴメンなさい!
サンシャインシティで丸井の特別セールがやっていたので、それに行ったのだ。このE嬢とは服の趣味やらが合うので、買い物に行っても楽しい。途中分かれて、僕はスーツやら鞄やらを買う。計5万円。カードで一括。さぁどうやって支払おうか・・・収入のあてはない。でもスーツとそれ用の鞄が欲しかった。
その後、E嬢とともに新宿三丁目へ。トルコ研究家の渋沢さんとお食事。この方はかの有名な小説家、渋沢龍彦さんのお姉さま。トルコ料理をご馳走になる。メチャメチャ旨かった。トルコについての様々なお話を聞く。E嬢は3月下旬にトルコに一人旅に行く予定なので、色々教えてもらっていた。話も本当におもしろかった。秋休みにはトルコに行きたい!
途中、アザ-ンに似た音楽が流れてきた。アザーンと車のクラクションで思い出すのは、カイロやアンマンの町並み。僕も3月に行く中東への思いで熱くなる。僕はもう当分は中東から抜け出せない気がする。
11 金曜日 2月 2005
昨日は合コン。7時半に新宿東口へ。男は六人来たのだが、学生団体系の友人やら予備校時代の友人やらで、集めた人間同士は何の面識もなかったりした。某S女子大の五人娘と合流。見た目のレベルはまぁまぁ。悪くない。皆お姉さま系。予備校時代の友人一人に「完全に安田好みを集めたね」と言われる・・・そして学生団体行き付けの某飲み屋に行く。
正直、つまらなかった。色々話をしたが、女の子たちの入ってるサークルは「東大のサッカー部マネジャー」とか「東大のスノボ部のマネジャー」とかかなり意図が透け透けでした。会話に生産性がなく、すぐ飽きた。飲み屋にあるテレビではサッカーの北朝鮮戦がやっていた。極めてナショナリズムの薄い僕は、日本が勝とうが負けようが、どうでもよかった。ただこのとき、某N氏の言った言葉が示唆に富んでいた。
「日本が勝った方が日本人のナショナリズムを満足させられるから、外交交渉が上手くいく。日本が負けたら、またマスコミの反北朝鮮報道が始まるんだろ。そしたら、また北朝鮮政策が上手くいかなくなる。」
対北朝鮮世論を見ていると、日本人の頭の悪さを思い知らされる。「国益」とは国民としてのアイデンティティーを満足させるということが全てなのか?
女の子と話しているより、N氏と北朝鮮問題を語ってる方がおもしろかった。
そして午後9時、最悪の出来事が起こった。
寮の門限がある女の子三人が帰ったとき、料金を払う素振りすら見せなかったのだ!!っつーか同じ大学一年生じゃん。女子高生とかなら、そりゃ奢りますけど、何でお前らに奢る必要があるんだ。同じ奢るなら、K嬢やらE嬢やら、いつもの仲間に奢る方が楽しかった・・・
そうなると最後まで残った二人の女の子にも払わせるわけにはいかない・・・男6人が払うことになった。会計の時、某大学院生の笹本氏が、「俺が一万出すから」と。「今日楽しかったから、全然気にしなくていいよ」
なんて人間のできた人なんだろう。こんなつまらない合コンに「楽しかった」と言ってくれるなんて。この日来た予備校時代の友人のヌマも「笹本さんと知り合いになれてよかった」と、女の子との出会いよりも喜んでました。笹本氏とはパレスチナにも一緒に行くことになったのだが、本当に楽しみだ。
飲み会が終わったあと、学生団体繋がりの三人でゴールデン街にて飲みなおす。前の彼女がパレスチナ人の某N氏の発言。
「やっぱ日本人は無理だ」
僕もイマドキの女子大生みたいのは無理なんだと思う。この日来た予備校時代の友人二人は僕のギャル男時代の話を何度もしてたが、もうあの頃には戻れないのだ。あの頃女の子と何の話をしていたのか、マジで考えた。
しかし問題があって、僕は未だに見た目が派手であり、国際問題とかに興味があるような女の子からの受けは最悪なのだ。しかも僕自身も、女の子にオシャレさを求める。僕は自分の好みを説明する時「JJ系で国際問題が語れる頭のいい人」ということにしている。まぁJJ系じゃなくても、ある程度はオシャレな子がいい。そして「そんな子いるわけないじゃん」と友人から返されるわけです。
「あと2年は彼女できないだろう。」というのが、いつも出る結論です。
09 水曜日 2月 2005
月曜日、放課後Y嬢とリング用の原稿についてアドバイス。たまたま当団体メンバーのI嬢が通ったので、夜にあったJVCのパレスチナの活動報告会にさそう。エッセイのdueが延びたので行けるとのこと。上野のJVCの事務所に向かう。
パレスチナで子供の支援をしていた女性の活動報告を聞く。懐かしい写真もでてきた。ラマンラの中心街、カランディアの検問所、壁、あの場所で出会った人たちを思い出し胸が熱くなった。僕はパレスチナで、そこで生きる人の日常を見た。人懐っこい彼らとのやりとりを思い出すと彼らが僕にとって「他人」ではなくなる。どこか空虚に感じていた「中東和平」というスローガンが、現実味を帯びた瞬間であった。
けれども彼女の語るパレスチナは、僕の知るパレスチナではなかった。破壊される幼稚園の校舎、栄養失調に喘ぐ子供達・・・見なくてはならない現実の一つなのだと思う。「普通」と「悲劇」が交差するのが、パレスチナの現実なのだから。
僕が思い出す「悲惨」なパレスチナの姿は少ないけれども、思い出すのはカランディアの検問所を抜けた時、僕の目に飛び込んできた銃弾で窓ガラスの割られた車の姿。とんでもない出迎えを受けたと思った。パレスチナの内部に居る時なんかは何分かに一回はどこかで銃声が聞こえていた、場所や時間にもよるけど、そんな時があった。
それよりももっと衝撃だったのは、タクシーの中でのことだった。このタクシー運転手は「どうしようもない」パレスチナ人で、砂漠のど真ん中でいきなり、「お前の払った金ではここまでだ。これ以上行きたかったら今すぐ金をもっと払え」なんて言って来た輩だ。そんな彼がだ、「壁」の近くを通った時カメラを取り出した僕に言った。「今すぐタクシーを降りてこれを写真に収めてくれ。そしてお前の国でこの現実を伝えてくれ」
報告の終了後に名刺を交換し、3月パレスチナにて色々案内してくれると約束してくれた。パレスチナに行く楽しみがまた増えた。
07 月曜日 2月 2005
仕事が立て込んでいるので、書きたいことはたくさんあるけど、余りかけません。
今日は夕方まで寝て(今週初の4時間以上の睡眠!)リングのミーティングに参加した。場所は東大の本郷キャンパスなので、家から自転車で行った。約15分。
詳しいことは後々書くが、いくつか自分の団体運営方法に関して反省があった。
リングの良いところは、それぞれのメンバーがそれぞれで自分のプロジェクトを運営していることだ。うちの団体は、僕が多くを主導してしまっている気がする。ミーティングでも僕がずっと話しっぱなしだ。合宿に参加したY嬢からもその違いを指摘された。
僕が主導することで良いものができているならば、それでいいのかもしれない。でも実際はどのプロジェクトも中途半端だ。
先ほど、当団体の土曜日のミーティングの議事録が流れてきた。僕がいなかったミーティングだ。けれども僕のいる普段のミーティングより、ずっと良い内容になっていたみたいだ。色々なことが決まり、素晴らしい案も出ていた。
「何でも僕が決めたい」的なエゴイズムのせいで、他のメンバーの力を押しつぶしている気がする。メンバーの力を引き出すような代表には、なれていないみたいだ。猛省したい。
06 日曜日 2月 2005
金曜~土曜日はRINGという団体の合宿に参加した。金曜日学校が終わると、僕は当団体のヨーコ嬢と共に川崎へ。
この団体はイラクやイスラエル・パレスチナ、アフガニスタン、コソボ、アメリカなどの地域から若者を招き、合宿をしながらお互いの意見を交換し、それをシンポジウムにて社会に発信していくという試みを行っている。若者達はが考えていることを共有しあい何か社会に伝えていこうということだ。三月に「テロはなぜ起きるか」というテーマのもとでシンポジウムが行われるのだが、当団体もそれに協力しようということで合宿には参加した。リング代表のゲッツとは、考えていることが近く妙に馬が合う。この日の合宿の様子は、後ほどブログに書く。
この日、シンポジウムのポスターを見た。
「つきあってください。」
その文字と共にハートマークやらの入った戦車が描かれており、その砲筒の上には男女が向かい合って立っている。男の手には、ハートの型が載せられている。(写真参照)
かなりシビれた。胸の奥が暖かい気持ちになった。全てがそこに凝縮されているような気がした。ヨーコ嬢も気に入っていたみたいだ。
リングの合宿が終了しメンバーと別れた後、渋谷にて飲み会があった。某年上の女性に誘われたのだ。25歳前後の人たちが11人ぐらいいた。
ICU卒の人も多かったし、オックスフォード卒の人までいた。皆一流企業に勤めている。結構派手目でキレイなお姉さま方もいた。(←そういうのが好み)けれども、余り楽しくなかった。話の中で学ぶべきところがなかった。二次会は行かず、「明日忙しいから」と適当な理由をつけて帰った。リング合宿が本当に楽しかったから、それとの差で一層退屈に感じてしまったのだろう。
先日はブログにてぐたぐた書いたが、結局のところ僕は「平和」とか「国際関係」とかそういった世界以外では生きられない気がする。苦しんでいる人を助けたいし、苦しんでいる人が幸せになる姿を見ると僕も嬉しい。もうその「相互関係」から抜け出せないような気がする。
そして、今日の飲み会やらリングの合宿(恋愛分科会が開かれた笑)を経て考えたこと。
僕は今までお姉さま系で年上で、頭が良くて・・・と好みのタイプを列挙していたが、実はそんなことはどうでもよく、「根底にある感情が共有できること」が最も大切なことのような気がする。
前の彼女と付き合っていた頃、たまたま近所でやっていたイラクの劣化ウラン弾の写真展にいった。写真を見た瞬間、涙が勝手にあふれ出した。何もしてない、できない自分が悔しくてどうしようもなかった。けれども彼女は特に何も感じていなかったようだった。その時、「根底にある感情」が共有できない辛さを知った。キレイで年上であっても、「感情」を共有できなければ辛いだけなんだろうなぁと思った。
まぁそんな理想論を語ったところで彼女ができる当てはない。「根底にある感情」を共有できる彼女を募集中。それでちょっとオシャレなら尚嬉しいです(笑)