月曜夜、NHKにて特集を組んで頂いた。10分弱のいい番組だったと思う(自分で言うのもなんだが)
それから問い合わせの電話が鳴り響き、そのうち数件は保護者の方からの電話だった。そこで団体として、相談窓口を持つことに決めた。http://ameblo.jp/kizukijuku/
もし周りで悩まれている方がいらっしゃいましたら、お伝え下さい。
少しずつだが、事業は着実に動いている。
19 水曜日 1月 2011
月曜夜、NHKにて特集を組んで頂いた。10分弱のいい番組だったと思う(自分で言うのもなんだが)
それから問い合わせの電話が鳴り響き、そのうち数件は保護者の方からの電話だった。そこで団体として、相談窓口を持つことに決めた。http://ameblo.jp/kizukijuku/
もし周りで悩まれている方がいらっしゃいましたら、お伝え下さい。
少しずつだが、事業は着実に動いている。
12 水曜日 1月 2011
先ほどまで、NHKに頼まれた過去の活動の写真を整理していた。とうとう放映は明後日金曜にせまっている。
それにしてもイスラエル・パレスチナ、ルーマニア、バングラデシュ・・・地に足のつかない生活を送ってきたなぁ写真を見ながら思った。本当に20代前半は、世界をフラフラと生きていた。
けれども結局日本に戻ってきたのは、「助けたい誰か」が見つからなかったからなのかもしれない。どんな場所にいても、生まれてきた感情は「同情」ではなく「共感」だった。何かを「一緒にやれたら」とは思ったが、何かを「やってあげたい」とは思わなかった。
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援助は自立を潰すとか、そういう底の浅い議論をしたいのではない。彼らも意思のある自立した強い個であるのだから、外部者が外部者として関わる限り何も生み出さないということが言いたいのだ。言語を覚え、同じ目線で何年も同じ生活をしなければ、本当に共感し合えることができないーこれは僕の確信でもあり、コンプレックスでもある。
僕自身、一度は現地に根付くことを決意し、現地語覚えて頑張ってはみた。でもリアルタイムでブログを読んでいらっしゃる方はご存知の通り、結局は逃げて就職し日本の商社に入った。
しかし会社に馴染めず(笑)、今度は自分が根付いていた(はずの)日本で起業。迷ってばかりで、何も形になっちゃいない。もう逃げたくはない。
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一方で、バングラで生活していた頃から(特にグラミン等を見て)、「正しそう」に見えることが実は「正しくない」ということに悩むようになっているのも事実だ。だから「本当に正しいこと」は何なのか、いつも考える。ある人から見て正しいことが、別の人から見たら正しくないということが往々にしてある。
だから各種メディアに取り上げて頂き、「社会起業家の卵」のように持ち上げて下さるのは、ミーハーな僕にはとっても嬉しいのだが、まだ自分のしようとしていることが「本当に正しいことなのか」悩むときがある。
けれども、その迷いを確信に変えるためには、もっと事業に邁進しなければならない。
06 木曜日 1月 2011
年末年始は南国に帰省していた。
もちろん日本語が最も得意な言語だし、海外に出始めたのも20歳を過ぎた頃だった。それに現地の美点ばかりが見えているわけではない。キツイことも山のようにあった。
それでも、僕にとってはあちらの方が心地よい。その理由をよく考えるのだが、一つに「人と社会」の関係性があるように思う。
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例えば、洋服屋の店員が椅子に座って携帯電話をいじって客に見向きもしない、なんて光景はイスラエル・パレスチナでも、ルーマニアでも、バングラデシュでも、タイでも、当たり前に見られる。
確かに服屋の店員が常に立って笑顔を振りまいている必要はない。経済効果もたぶんない。座って携帯電話をいじっているのが当たり前な社会であれば、店員の態度に関係なくモノは売れる。
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わずかな期間であったが会社員をしていた頃、オフィスでずっとPCをいじっているのに、スーツを着て革靴を履く必要性が分からなかった。だから革靴を脱いで椅子にあぐらをかいて仕事をしていたのだが、なぜか上司に怒られ、理由を聞くと「だらしない」と説明を受けた(そして僕は「やっぱり会社員は向いてないんだな」と納得したのだった)
実際にクールビズ28度のオフィスに革靴+靴下はつらく、2009年夏僕は人生初めての水虫になった。イスラエル人の仕事ぶりが懐かしかった。
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「人間」が集まり、「社会」が生まれる。それなのに、その「社会」が意味なく「人間」を苦しめる。
地球上のどこにも楽園なんてないことは20代前半の海外生活の中で痛いほど分かったが、それでも日本にいるのは苦しいなと思うことがある。
そういうときに南国に帰り一息つくことは、この社会で頑張っていく上で必要だと思った年末年始だった。