"It is not half so important to know as to feel" (知ることは感じることの半分も重要ではない)
-レイチェル・カーソン 「センス・オブ・ワンダー」より
高校生の時ぐらいまで、僕は世界が全て敵だと思っていた。
親も友人もいないようなものだったし、それでいいと思っていた。
でも、18歳の時、テレビや新聞で報道される世界の紛争や貧困を見て、「何かをしなければ」と思った。
不条理な環境で生きてきて、感受性が鋭くなりすぎていた。
最近になって思うのだけれども、あの時の僕は「誰かに必要とされたかった」のだと思う。
人に迷惑ばかりかけて、全ては大人のせいにして、でも自分に何の価値もないことぐらい分かっていた。
それでも、そんな自分に「存在している価値があるのだ」と信じたかった。
大学になんとか入って、その後二年半で、僕は色々なものを「感じ」ることができた。
何度もこのブログに書いていることだけれども、イスラエル・パレスチナの平和活動を行なう中で出会った人たちーイスラエル人・パレスチナ人、長岡や長野の人々、先輩・後輩から色々なものを受け取ったのだと思う。
その後アジアを旅して、ルーマニアで働いて、僕と今生きている世界が繋がった。
そして、僕はこれからもこんな風にして、世界やそこに生きる人を感じ、それに酔いしれたいと思う。
来週から三週間ほど、途上国が初だという後輩二人と共にバングラデシュに行くのだけれども、 春の映像の続きを撮る予定だ。
映像を撮りたいと思ったのも、今回の旅行に後輩二人を連れて行くのも、僕はただ、世界が「多様で美しい」ということを伝えたいのだと思う。
色々な人たちが色々な価値観の中で生きる世界の存在に、1人でも多くの人が気付けたらいい。
少なくとも僕は、そんな世界を感じたことで、自分と他者が繋がることで、人に優しくありたいと思えるようになったから。
「多面的なんですよ、世界は。現象や事件や、そもそも人も。それを単面的にしてしまうのが今のメディア。でもね、多面性がわかると、世界って豊かなんだなあって思えますよ。優しくなれる。少なくとも僕はそうです。昔はもっと殺伐としていたから(笑)。
時おり思うけれど、だから僕は、「こっちに来てみたら、もっと優しくて豊かでいいものが見えますよ」って言ってるだけなんです。余計なお世話かもしれないけれど。それに尽きます。気づけないなんてもったいないし、そうした方が、人は幸せになれると思うんです。同じ人生80年生きるんであれば、いろんな角度から物事を見た方が、より世界の多様性とか多面性とか実感できるし、その方が優しくなれますからね。」