不登校の支援に必要なこと

僕が経営するキズキという会社のメイン事業の一つは、「不登校・中退経験者」を対象とした大学受験塾の運営だ。
不登校や中退を経験しながらも、「もう一度やり直したい」と願う若者たちが、僕たちのもとに通っている。

今は必死に頑張っている彼らであっても、相談に来た当初は「人よりも遅れてしまった」「もうやり直せないかもしれない」と悩んでいたことがほとんどだ。

そんなとき、僕はこんな話をする。
「学校がもし合わないなら、無理していく必要はないんだよ」
「不登校・中退でも、高卒認定試験合格して大学・専門学校に進み、楽しく生きている人は沢山いるよ」

こんな話をすると、不登校に悩む子どもたちは、うつむいていた顔を少しだけ上げる。
不登校はクラスに一人か二人しか発生しない。だから彼らは「自分が特別、他人より劣っている」「劣っている自分はもう何をしても無駄だ」と悩む。

けれども、考えてみれば当たり前だが、「学校が合わない」なんてことで、人生が決まるわけがない。学校が合わなければ、別の選択肢を考えればいいだけの話だ。

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今、ネットで炎上している「クラスジャパンプロジェクト」のウェブサイトを見て、とてもショックを受けた。
彼らはこのようなミッションを掲げている。

「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み通学していた学校に戻す」

このミッションを、不登校や中退の当事者が見たらどのように思うか?
学校にいけない自分に劣等感を持つ。

大人の勝手な「正論」を押し付けることが、不登校・中退の当事者の「社会復帰」に繋がるのか?
多くの子どもたちは劣等感を強め、ますます自分の殻に閉じこもるだけだ。

日頃から不登校・中退の支援をしている者にとっては自明である。
不登校の方を傷つけるようなメッセージが、メディアに取り上げられていることを、すごく悲しく思った。

精神科医の斉藤環先生もTwitterに
「思春期心性への配慮がまるで感じられないこのプロジェクトに強い戸惑いを禁じえません。」
「これまでの不登校支援をめぐって蓄積されてきた知見を完全に否認するかのようなプロジェクトに賛同する自治体があることが驚き。」
と書いていたが、まさにこのような思想に基づいた支援は、不登校支援にとってマイナスでしかない。

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考えてみれば不思議である。
大人になって「会社を辞めたい」「仕事を変えたい」と思ったとしても、それは社会問題として捉えられることはない。
けれども、子どもが学校に行きたくなかったら、「不登校」として社会問題化される。

だから不登校はスティグマとなり、「自分は他の同級生よりも劣っている」というコンプレックスに繋がる。そして、不登校の子どもたちの「やり直し」を阻む。「劣っている自分は、何をやっても無駄だ」と悩めば悩むほど、社会復帰は難しくなるからだ。

「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み通学していた学校に戻す」
こんなミッションを当事者が目にしたら、「学校に戻れない自分はダメだ」と子どもたちは意味なく自分を責める。それは彼らの「社会復帰」を考えた時に全く逆効果だ。

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公立学校に通う場合、多くは地域によって通う学校が決まる。そこに選択の自由はない。
選択の自由がない中で、その学校に合うか合わないかは、「運」のようなものだ。

学校制度とは誰かが百数十年前に創り出した制度である。だから当然合わない子どももいる。
だから、合わなければ逃げ出して良い。逃げてもいくらでも道はある。
大人が伝えるべきは、「様々な道」の存在であって、「学校しかない」という価値観の押し付けではないはずだ。

NGOエクマットラの応援

◎学生時代お世話になったNGO「エクマットラ」のクラウドファンディングの宣伝です(スタディクーポンが終わったばかりで恐縮なのですが)
https://readyfor.jp/projects/ekmattra55

私が応援しているバングラデシュのNGO、Ekmattra Japan エクマットラジャパンのクラウドファンディングの紹介させてください。
(本日、クラウドファンディング終了です)

エクマットラとは、2003年に渡辺大樹さんがバングラデシュの大学生たちと立ち上げた、ストリートチルドレンを支援するNGOです。創設から14年、現在ではスタッフ50名を抱えるバングラデシュでは有名なNGOになりました。

私とエクマットラの出会いは、2006年、私が大学3年生の頃です。
当時、バングラデシュの娼婦街でドキュメンタリー映画を創っていた私(今も細々製作中・・・)は、インターネット検索で知ったエクマットラに、「インタビューの翻訳に協力してほしい」とお願いに行きました。

そこで出会った渡辺大樹さんに、当時大学生だった私はとてつもなく大きな影響を受けました。
まず、ベンガル語が現地人たちと全く同じレベルで使えること。現地のことを100%理解した上で、本当に現地に必要な支援を考え抜いていることです。
その上で、「日本から寄付をもらわない」ことを15年間ポリシーとしていました。なぜなら、「現地の課題は、現地の人たちで解決するべきだ」と渡辺さんは考えていたからです。渡辺さんは、バングラデシュの大手企業や富裕層を回り、ベンガル語を用いて、寄付依頼をしていました。

「バングラデシュという国が、どうあるべきなのか」
「バングラデシュの人達は、どうあるべきか」

現地人と同じ目線で考え抜いてました。
「僕もこんな人になりたい」
社会問題に取り組む上で、「当事者の目線を徹底的に持つ」という姿勢は、私は起業当初からとても大事にしていることです。
その姿勢は、全て渡辺大樹さんから学びました。

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それから10年、久々に渡辺さんにお会いすると、クラウドファンディングを始めたとの事でした。
積極的には「日本からの寄付を受け取らない」
そう決めていた渡辺さんが、初めて日本で大々的に寄付募ることにしたそうです。

ストリートチルドレンたちのための全寮制の職業訓練校を作りたい。その準備を9年かけてやってきた。けれども、どうしても最後の数百万が足りない。
そこで、今回クラウドファンディングを始めることになったそうです。

私は聞きました。
「ストリートチルドレンの寄宿舎に、そんなにお金をかける必要があるのか?」
すると、渡辺さんは答えます。

「ストリートチルドレンたちの学校だからこそ、富裕層の子どもたちが通いたくなるような施設が必要なんだ」
「ストリートチルドレンこそ、豊かな教育を受けるべきなんだ」

私は自分の浅はかな発想を恥じました。

渡辺さんが目指しているのは、ストリートチルドレン達が大逆転できる世界です。どんな状況にあったとしても、平等に機会が提供されている社会。
私はその理念に100%共感し、この度クラウドファンディングの応援をすることにしました。

寄付できない方は、少なくともシェアだけでもしませんか?
詳しくは、本文をお読みください!!
https://readyfor.jp/projects/ekmattra55

相対的貧困とスタディクーポン

昔、テレビもシャワーも冷蔵庫もないバングラデシュの農村で、しばらく過ごしていたことがあります。
不便な生活でしたが、僕の目には、彼らが特段不幸には見えませんでした。バングラデシュの農村でも、東京と同じような普通の日常が営まれていました。

「隣の家にテレビがなければ、自分の家にテレビがなくても、不幸を感じない。」

その時に学んだことです。人は「周りとの比較」によって、不幸を感じる。

確かに、歴史上これまで多くの経済学者たちが、貧困とは「単に飯が食えない状態」ではなく、「一般の人々であればできることができない状態」にある、と考えています。つまり格差のある状態のことです。

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日本の子どもたちの場合、教育「格差」は「学校外」で広がります。
日本の公教育は安く、かつ、収入が少なければ無償になるため、公教育それ自体は差がつきづらいからです。
また、高校や大学に序列が明確にある以上、富裕層の親は子どもの将来のために学校外教育に投資するからです。そこから格差が生まれます。

そこで、このスタディクーポンです。低所得世帯の子どもたちに、学校外教育に使えるクーポンを配布します。
そのことで、他者と比較して「自分だけ塾に行けない」と子供達が劣等感を感じたりすることも、そのことで将来的に学力に開きが出てしまうことも、なくしていきます。
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スタディクーポン、いよいよあと3日。ネクストゴールまで、あと200万円切りました。あと一押しです。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします!
https://camp-fire.jp/projects/view/42198

福祉におけるウェブマーケティングの重要性

座間の事件を受けて、「死にたい」「自殺」などのワードで検索をかけてみる。
残念ながら、「福祉的な支援情報」は、そこまで多くは上位表示されていない。

困難を抱える若者への福祉的支援を考える時、インターネットは有効なツールだ。
スマホ時代になり、ほとんどの若者が、グーグルやツイッターで検索をする。

当然、我々若者支援者も、インターネット検索に詳しくならなければいけない。

グーグル検索の場合、
・どのようなウェブサイトが、検索で上位表示されているのか。グーグルのアルゴリズムを知ること。
・どのようなウェブサイトであれば、深く読み込んでもらえるか。読みやすい文章・デザインにこだわること。(離脱率等で、仮説検証していく)
が、基本となる。

Twitterであれば、
・「#自殺」「#死にたい」などの言葉で、10分に1回ぐらい繰り返し投稿すること
・エンゲージメント数を見ながら、「何がベストな140字なのか」投稿の文章を変え続けること
などが考えられる。

福祉分野でアウトリーチというと、「直接家庭を訪問する」イメージが未だに強い。
もちろん、それは大事なことだが、我々支援者はもっとインターネットを使いこなさなければいけない。

弊社キズキのメイン事業である不登校・中退経験者向けの学習塾には300名弱の生徒が通っているが、ほぼ全員がインターネット経由で塾を訪れている。インターネットを通じたアウトリーチは非常に有効なのだ。

もちろん、幾つかのNPOが、インターネット上でも自殺予防を行っている。
しかし検索結果を見る限り、インターネットでのアウトリーチを行う組織がもっと増えなければいけないように思う。
弊社キズキも、できることを模索中だ。

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ちなみに、本日16時25分にグーグルで「自殺」と検索した時の、上位表示4つ。(シークレットモード・東京都から検索)

夏のガザの思い出

少し前のことだけれども、昨年と同様、この8月はパレスチナ・ガザでのビジネスコンテストに参加した。
大学時代の先輩が立ち上げたガザの女性起業家を対象としたビジネスコンテスト「ガザビジ」。
その2回目がこの8月開催されたのだ。

パレスチナ・西岸地区には7回ぐらい訪れているけれども、ガザ訪問は昨年に引き続き2回目。
国連からのサポートなどがない限り、普通の旅行者は入ることができない場所。このビジネスコンテストのおかげで、去年も今年もガザに来ることができた。

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ガザの街を歩くと、ひと昔前のバングラデシュのように、多くの人たちの注目を浴びる。
「どこから来たのか?」
「何をしに来たのか?」
たくさんの言葉を投げかけられる。

水やコーラを買いに商店に入れば、なかなかお金を払わせてくれない。
「君はゲストだ。何でも好きなものを持っていってくれ」と彼らは言う。

紛争のイメージしかない場所だけれども、
イスラエルとの戦闘さえなければ、牧歌的で温かい人々と、美しい海とシーフードがある、そんな魅力的な街だ。

ガザ到着初日、今年3月に日本に招致したアマルに街を案内してもらった。
(ビジネスコンテストの優勝者は、日本に来ることができるため)

彼女は昨年と比べて、英語が流暢になっていた。

「初めてガザの外に出て、ちゃんと英語を使う機会があって、英語で人に伝えることの重要性を知ったわ。」
日本からの帰国後、映画を英語字幕で何度も見て単語や表現を増やした、と。

ガザはイスラエルによって封鎖されているため、なかなか外に出ることができない。そんな監獄の中で25年間生まれ育った若者が、ガザの外に「たった1週間」出るだけで、これだけ成長できるのだと知った。
世界における機会の不平等が、優秀な若者の可能性を潰していることを、知った。


(イスラエルからガザに抜けるチェックポイントの様子)

その翌日、実際のビジネスコンテストが始まった。まずは1次選考。
僕は審査員ではなかったものの、どんなビジネスプランが出てくるのか楽しみにしていた。
しかし実際には、あまりにプレゼンテーションのレベルが低く、戸惑った。論理的に説明する力、審査基準を想像する力など、すべてが欠けていた・・・

「これでは、審査以前の段階だ・・・」
そのため、その日のプログラム終了後、僕は1チーム1チームを周り、「人に伝わるプレゼンテーションとは何か」レクチャーして回った。

僕のアドバイスに対して、必死でメモを取る彼らの姿に手応えを感じながらも、
「翌日の最終選考で、良いチームを選べるのだろうか・・・」
不安が募った。

そして翌日、最終選考。1次プレゼンを突破したチームのプレゼンを再度聞いた。
すると、どのチームもスライドをほぼ全て作り直していた。たった一晩の間で、10枚以上のスライドのほとんどを修正したのだ。しかも彼らの母国語ではない英語で。
多分、ほぼ徹夜だったのではないかと思う。

一番熱心にスライド修正に取り組んだチームは、「廃材から家具を作る」ビジネスプランを持っていたチームだった。彼女らの最終プレゼンは素晴らしいものだったけれども、残念ながら彼女らは2位に終わり、優勝することはできなかった。優勝者には日本への招待と賞金が提供されるが、それ以外のチームに特典はない。

けれども、彼女たちは僕に、とびっきりの笑顔で話しかけてくれた。
「優勝できなかったから、私たちは日本にも行けないし、お金ももらえない。でもこのコンテストに参加して、本当に良かった。今まで知らなかったビジネスのことを、たくさん知ったわ。」

実は、僕は起業家・経営者でありながらも、ビジネスそれ自体にはあまり価値を感じていない。便利な社会がより便利になったところで、人間の幸福はそれほど変わらないと思っているから。

けれども、ガザでの起業支援は「普通のビジネス支援」とは決定的に異なる。
若年者失業率60%という仕事がないという絶望を希望に変えることができる。そして、我々外国人の支援によって「世界から見捨てられている」という悲しみも希望に変えることができる。

そしてこのビジネスコンテストは、改めて僕自身が今後の人生で何をするべきなのか、考える機会にもなった。
僕はこの社会・世界で圧倒的に不利な立場にある人たちが、尊厳を持って生きられる手助けをしたい。

7年前に中退・不登校の方を対象とした塾を創った時から、ずっと変わっていない思いだった。その思いは、対象が日本であっても海外であっても、同じなのだと思った。

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まだまだ海外でできることは少ない。
でも人生は長いので、コツコツと積み重ねていくつもりだ。

スタディクーポンを立ち上げようと思った理由

今でも時々思い出すのは、少年院から出たばかりのある若者。
6年前、まだ築50年の巣鴨のアパートで、不登校・中退の若者のための学習塾「キズキ共育塾」を開いたばかりの時のこと。

「実は、僕、この前まで少年院にいたんです」
入塾面談で、目の前の少年は話し出した。

10代の頃、僕の周りにそういう境遇の人は何人かいたので、
「そうなんだ」
と僕は返しただけだった。

その反応が意外だったのか、
「僕、大学に行きたいんです。心理学が勉強したいんです。なんとかアルバイトしながらキズキに通います。」
と彼は言ってくれた。

当時は、講師のアルバイト・インターンも少なかったから、僕が彼の授業を受け持つことになった。
夜の授業だったから、授業が終わった後はよくダラダラと会話をした。その頃のキズキは生徒も少なくて、僕も時間があった。

「安田さんと、チェスやりたいんです」
彼はある日、チェスを持ってきた。
すごく大きく重い盤で、彼がチェスに特別な思い入れがあることが分かった。

ダラダラとチェスをやりながらも、ふと彼の顔が曇ることがあった。
「時折、子どもの頃のことを思い出してしまい、気が落ち込んで、何もできなくなってしまうんです。」
「安田さんなら、こういう時の気持ち、分かりますよね。親からボコボコにされた時のこと、親がいなくなった時のこと。」
彼はふとした瞬間に、自分の生い立ちを語った。
子どもの頃、虐待を受けて施設に預けられていたと言った。
その頃の出来事を思い出すと、急に気持ちが落ち込み、アルバイトにも行けなくなるらしい。

塾には何とか通ってくれていたけれども、授業料はなかなか払ってくれなかった。
彼が3ヶ月ぐらい授業料を滞納したある日、僕は思い切って聞いてみた。
「授業料、いつ払えるかな?」

そこから連絡が取れなくなった。
何度か電話したけれども、電話に出ることはなかった。

3ヶ月後、思い出したように急に電話があって「元気にしてますよ」と言っていた。
その時は、もうただ幸せにやってくれていればいいと思った。
*******

その半年後、また似た境遇の若者が入塾したことがあった。
髪はあまり切っていないように見えた。
着古した洋服を着ていた。

彼は、幼い頃に両親が離婚、小学生の時に継母と折が合わず家を出たと言った。
その後は、野宿をしたり鑑別所に入ったりを繰り返していたが、
「もう一度勉強したい」「学校にちゃんと通いたい」
と思うようになったという。
そこでキズキのことを知り、大学受験を目指すことにした。

生徒も増え、人も増えた頃だった。
彼が通塾するたびに悩みを聞きながらも、しっかりと時間を取ってあげることはできなかった。
彼のような圧倒的な困難な境遇にある若者の場合、どうしても通常の塾の授業だけでは難しい。一対一のカウンセリング・個別指導を超えた支援が、どうしても必要となる。
でも僕は何もしてあげられなかった。

結局彼は半年の通塾の後で、いきなり塾をやめた。
授業料は2ヶ月滞納したままだった。

何度メールしても返信はこない。
「このまま支払いがないと、何らかの手段をとることになります」
と厳しいメールを送った。

増え始めた生徒、増え始めた社員・・・
とにかく余裕がなかった。僕は感情的な言葉をぶつけた。
******

僕は決して情が深い人間ではない。むしろドライで、他人のことを気にしない。
でもその出来事から6年間、いつもどこか胸の奥で何かが引っかかっていた。

組織だから、ビジネスとして成り立たせなければいけない。
けれども、あの時のあの行動は正しかったのか。

その頃の僕は、日々の売上を上げるのに必死だった。
クラウドファンディングで参考書代などをかき集めたこともあったけれども、彼にフルコミットしてサポートしていたわけではない。

売上を立てて利益を上げることは、本当に難しい。ビジネスモデルを創ることは難しいし、人を採用しマネージメントしていくことも難しい。
塾を広げていくことも、その他の事業を立ち上げて伸ばしていくことも、必要なことだった。
キズキも組織だ。組織ということは働いている人がいる。
少なくとも僕は無償ではフルコミットできない。

そうやって自分を正当化しつつも、自分が100%正しいことができているのかと問いかけると、どうも引っかかってしまう・・・

だから、いつか経済的に豊かでない家庭の子どもたちにも必要な教育を届けたい、ずっとそう思ってきた。

そんな時に、思い切って公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンの今井さんに声をかけてみた。すでに東北と関西でクーポン事業を始めていた今井さんと、「東京でクーポン事業をスタートできないか?」と声をかけた。
スタディクーポンの仕組みであれば、子どもたち自身が自分で通う塾を「選ぶ」ことができる。
ベストな仕組みだと思った。

その後、自治体へのアプローチ、資金調達、その後の政策化・・・何度も議論を重ねた。
そこにスマートニュース、キャンプファイアーなどの仲間が加わり、一気にドライブがかかった。
やっと本格的に動き出せる体制が整った。
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彼が持ってきたチェスは、今も僕の家に保管してある。

そのチェスを見るたびに、「どんな家庭に生まれ育ったとしても、自分の望む教育を受けられる社会を創りたい」と思う。
スタディクーポンは、その大きな一歩になると信じている。

*スタディクーポン・イニシアティブは、皆様からいただいた大切な寄付を元手に、低所得世帯の子どもたちにスタディクーポンを届ける事業です。子どもたちはクーポンを使って、自分が選んだ学習塾などに通うことができます。
詳しくは、こちらをご覧ください。
https://camp-fire.jp/projects/view/42198

スタディクーポンの立ち上げ

先週、facebookに投稿した文章です。

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◎新しい挑戦を始めます。キズキだけの枠組みを超えて、仲間たちとともに「教育格差」の問題に取り組んでいきます。

みなさんこんにちは。安田です。

先ほど文部科学省で記者会見を行い、低所得世帯の子どもたちの教育機会を、社会全体で支えていくためのプロジェクトの発足を発表しました。
それが「スタディクーポン・イニシアティブ」です。

市民の皆様一人一人からクラウドファンディングで応援の寄付をいただくことで、高校受験に取り組む中学3年生の子どもたちが学習塾や家庭教師などに利用できる「スタディクーポン」を、一人でも多くの子どもたちに届けていきたいと考えています。
第一弾プロジェクトは渋谷区と協働で実施します。長谷部区長とも、会見をご一緒しました。

******
キズキを創ったのが2011年。
この7年間、個別指導塾の事業を通じて、1000名以上の不登校・中退の子どもたちを支援してきました。
けれども、一方で「お金がなくて辞めていく」生徒も数多く見てきました。
そのたびに、寄付を募って、彼らの学費や参考書代を集めていたこともあります。
とても苦しい経験でした。

経済的な事情など、本当に困難を抱えている子どもたちを支援しきれていない、そんな罪悪感がありました。いつか経済的に豊かでない家庭の子どもたちにも必要な教育を届けたい、ずっとそう思ってきました。

その思いが、チャンス・フォー・チルドレン、新公益連盟、ETIC、SmartNews 、Campfire・・・
志を同じくする仲間たちと、今回のプロジェクトを立ち上げることにつながりました。
https://camp-fire.jp/projects/view/42198

スタディクーポンの仕組みはとてもシンプルです。
①皆様からいただいた大切な寄付を元手に、
②低所得世帯の子どもたちにスタディクーポンを届けます。
③子どもたちはクーポンを使って、自分が選んだ学習塾などに通うことができます。
スタディクーポンの仕組みの最も優れたところは、子どもたち自身が自分で通う塾を「選べる」ということです。

これまでキズキとしても、幾つかの自治体から委託を受けて低所得世帯の学習支援に取り組んできました。しかしこのやり方だけでは応えきれない課題やニーズがあることにも気づきました。

それは「自治体が指定した塾・NPOしか選ぶことができない」ということです。
普通の家庭であれば自分で選んだ塾に行けるのに、低所得世帯は自分で塾を選ぶことができない…

貧困の苦しみは「周りが当たり前にできていることが、自分にはできない」ことにも起因しています。
僕自身、何度も親が離婚をしましたが、「なぜ自分だけが・・・」という苦しみは深く傷に残っています。

スタディクーポンの取り組みを通じて、少しでも多くの低所得世帯の子どもたちに学びの機会を届けていきたいです。

そこで、皆さんへのお願いが2つあります。
ぜひ寄付という形で参加していただけないでしょうか?
もし寄付が難しければ、この投稿のシェアだけでも是非お願いします。
クラウドファンディング(寄付)はこちら。
https://camp-fire.jp/projects/view/42198

1年目はクラウドファンディングで1000万円を目標に寄付を集めます。その後、渋谷区の子どもたちにスタディクーポンを届け、その効果を測定します。その結果を踏まえつつ、2019年度以降、国や自治体など行政の政策として取り入れて頂くことを私たちは目指しています。

光の当たっていない問題に光を当てたいと思っています。私たちの力を合わせてできることがあると信じています。
是非、皆さんの力を貸してください。
どうぞよろしくお願いします。

スタディクーポン・イニシアティブ
安田祐輔

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本日の記者会見の様子はこちらからご覧いただけます。
テレビ朝日 http://news.tv-asahi.co.jp/news_soc…/articles/000111995.html
NHK http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20171012/0001743.html
ハフィントンポスト http://www.huffingtonpost.jp/…/shibuya-study-coupon_a_2324…/
*ミヤネ屋でも取り上げて頂きました。ありがとうございます。

人それぞれに正義がある〜行動規範の重要性

組織が拡大する中で苦しんだことの一つが、「異なる価値観をどのように受け入れるか」ということだった。

例えば、商売は得意だけれども、きちんと納期通りに仕事ができない人がいたとする。一方で納期通りにきちっと仕事はするが、商売には向いていない人がいたとする。

その二人に対する評価は、おそらく「それぞれ」だ。
営業でキャリアを積んだ人は前者の人を評価するだろうし、バックオフィスでキャリアを積んだ人は後者を評価するかもしれない。(若干極端な例だけれども)

例えば、仲良く家族的な雰囲気で働くことが得意な人もいれば、ドライに仕事は仕事だと割り切って働く人もいる。
前者のような態度を良しとする職場もあれば、後者のような態度を良しとする職場もある。

本当は、単に「適材適所ではない」「自分と考えが合わない」だけかもしれない。
けれども人は往々にして「あいつは仕事ができない」と自分の物差しで他人を測り、その価値観の差から派閥争いが生まれる。

僕自身、商社時代全く使えない新人だったが、起業したら意外と上手くいった。
つまり、仕事の質を測る絶対的な価値など存在しないのだ。仕事による、会社による、としか言いようがない。

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20代前半の頃に様々な国で過ごしたことで、人の正義は本当にそれぞれであることを知った。
人の価値観は多様であり、その多様さを受け入れられない時に、対立が起きる。

それは日本の会社だけでなく、民族や宗教間でも同じだ。
だから、僕は「人の正義はそれぞれであること」「それらの正義を包摂すること」を大事にしたいと思う。

******
つまり、人は自分の物差しで相手を測る。
そのことに自覚的でなければならない。

でも一方で、残念ながら、組織には共有できる価値観が必要なこともある。
違いすぎる価値観の人と一緒に心地よく働くことは、なかなか難しいからだ。

そこで、組織が大きくなるにつれて「行動規範」が重要になってくる。

自社の大事にしている価値観は何なのか。
それを明確に打ち出さないと、自社に合う人材は入ってこないし、一方で自社に合わない人材が入ってくる可能性もある。

本当は、すべての人を包摂できる組織でありたいけれども、それは難しい。
(すべての人を包摂できる組織だったら、採用面接はいらなくなる)

そんなことを考えながら、改めて自社のビジョン・ミッション・行動規範を読み直している。

7年間を支えてくれた人たち

少し早いけれども、弊社キズキのOBOGに 誕生日を祝ってもらった。

2010年、会社を休職し鬱病の中にいた僕は、2011年に自分の人生をやり直すために起業し、そこから2年間、必死に働いた。
祝ってくれたOBOGの一部は、その当時大学に通いながら、インターン・アルバイトとして支えてくれた子たちだ。

2013年は一時的に疲れから怠けたけれども、2014年から2年間は日本の事業を拡大させながらも、海外進出にチャレンジした。たくさんの学びはあったけれども、国内事業とリソースが分散してしまい、海外事業が大きく伸びることはなかった。
これをただの挫折に終わらせないように、再びチャレンジしなくてはいけないと思っている。けれども挫折だったことは、認めざるを得ない。

2016年からは再び日本の事業に注力し、採用制度の改革や経営人材の獲得、権限移譲を進め、塾事業を中心に億単位の事業に持っていくことができた。この2年は自分の経営者としての新たな戦い方を学べた年だった。アルバイトの方々を含めると社員数は100名を超えた。

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「何度でもやり直せる社会を創る」という僕が達成したいビジョンのために創った会社だった。この会社の存在意義は、「僕のやりたいこと」だった。

家族なし、発達障害、不登校、うつ病、引きこもり・・・
あらゆることを経験した僕にとって、このビジョンを達成することが自分の生きている意味だった。
また、パレスチナ・バングラデシュの人たちとの出会いで救われた僕にとって、「日本・海外問わず」そのミッションを達成していくことも大事なことだった。

この7年間、掲げたビジョンに共感してくれたたくさんの人がいた。
けれども、僕が優れた経営者だったことは一度もなかったように思う。怒鳴り散らしてばかりだった。掲げているビジョンに到達する姿が見えない・・・そんな苛立ちが毎日あった。
当然のように多くの人が離れていったけれども、それでも残ってくれた人たちがいた。

感謝、という言葉を安易に使うことは好きではない。
けれども自分勝手な僕のビジョンに付き合ってくれた人たちがいること、「来月会社が持つかわからない」「人がどんどん辞めていく」そんな苦しみを味わった後でも僕の誕生日を祝ってくれる人たちがいるということ。
感謝、という言葉以外見つからない。

12歳で家を出た時から、僕は「誰からも必要とされていない人間」だとずっと思っていた。30代半ばに差し掛かる今も、その時の記憶がいつもこびりついている。
けれども、僕はこの会社を作り、この会社のスタッフたちによって、自分の生きている意味を感じられた。
この7年はそんな時代だった。

******
最後に、一人の元スタッフの話をしたいと思う。
彼は、引きこもっていた頃に弊社のインターンに応募し、インターンではあるけれども優秀なウェブマーケターとして活躍した。
けれども内定を出して入社直前という時に、彼は、最後の最後で別の会社に行くことにした。
幼かった僕は怒り、「二度とキズキに顔を出すな」と言った。

そんな彼が、昨日は誕生日会に来ていた。

誕生会の後で家に帰り、彼からの誕生日プレゼントを開けた。手紙も入っていた。
「あのような形でキズキを離れることになってゴメンなさい。何度も謝りに行こうと思ったのですが、ずっと何も言えませんでした。」
「学生時代、引きこもりになっていた僕に居場所と目標をくれたのは安田さんでした。僕のせいで疎遠になってしまいましたが、今も安田さんに対する憧れの気持ちは変わりません。本当にありがとうございました。今後もキズキのことを応援しています。お誕生日おめでとうございます。」

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僕は自分の目標やビジョンを達成するために、7年間必死だった。
けれどもその裏で、たくさんの人たちが支えてくれていたこと、キズキという会社に夢を託してくれていたこと、必死で働いてくれていたこと、そのことを意識したことがなかった。全く気づいていなかった。

これからも、この会社は僕が達成したかった「何度でもやり直せる社会を創る」というビジョンを達成するために存在し続ける。
けれどもその裏には、多くの人の希望や期待、そして悲しみや苦しみがある。そのことは、絶対に忘れてはいけないと思った。

NPO法人と株式会社に分けた理由

「なぜNPO法人と株式会社に分けたのか?」
先日、あるプレゼンで頂いた質問だ。
「NPO法人の中で受益者負担と、寄付型の事業を、部門で分ければ良いのではないか?」

もっともな質問だと思う。

これについては、非常に悩んだ決断だった。
「儲けに走ったように見える」と、周囲からもとても反発があった。

けれども、今後の戦略を考えた時に、圧倒的なメリットがあった。それは「優秀な人材の採用」だった。
組織が拡大するということは、「権限を委譲」しなければいけないということだ。人間の持つ時間は限られているから、自分の見ることができる仕事の範囲には限界がある。
だから優秀な人材を採用しなければならない。

NPOが人材獲得が難しい理由の一つに、「待遇」があることは否めない(時代は変わりつつあるけれども)。
これは「NPOだから」「社会課題解決を第一の目標にしているから」というのもあるが、
「資本政策に制限がある」ことにも原因があるように、僕は思っている。

普通のベンチャー企業であれば、ストックオプションをはじめとした資本政策を用いることができる。
目先の給与が多少安くても、「株」によって将来的なリターンを期待できる。

株式会社とNPO法人に分けることによるデメリットもたくさんあったが、
僕はこのメリットを期待した。
そして昨年、株式会社に受益者負担の事業を移管した。

******
僕は7年間、目の前の仕事を回していくのに必死だった。
ビジネスモデルを創り、それを維持・拡大していく作業は、苦難の連続だった。

「安田は、何をしているのか分からない」と社内では言われ続けてきたけれども笑、
いつも重要な意思決定について、あれでもないこれでもないと悩んできた。
(株式会社・NPO法人に分けたときも、相当悩んだ・・・)

重要な局面において考え抜くことで、大きな失敗なくここまで事業を伸ばせたことは、とても誇りに思っている。
けれども、その思考の時間を「自社」を超えた「社会全体」のために使ってこなかったのも、また事実だった。

そして今、とてもワクワクしているのは、「より社会のために必要なこと」にコミットすることができるようになったことだ。

(個人として)本を2冊書くことで広く自分の経験を伝えること、(NPO法人として)困窮世帯向けの支援策のトライアルを始めることなどは、株式会社の方に優秀な人材が入り、権限移譲ができるようになって、可能になったことだ。
今までやったことのないタイプの仕事だからなかなかコツを掴めないが、それはそれで楽しい。
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最近は、広い視野で、自分の仕事を見返すための時間を過ごせている。

「何度でもやり直せる社会を創る」という僕のミッションの達成に向けて、来年は次々に形になるといいなと思う。