ちょっと前だが、某クラウドファンディングの中止を見て思い出したこと。
僕も大学生の頃、パレスチナでデモに参加して催涙弾とゴム弾の中を逃げ回ったり、バングラデシュの娼婦街に通っていたりしていた。今になると「世界を知りたい」という好奇心は、「誰かを助けたい」という気持ちと同じぐらい価値があった。
好奇心なしに、社会課題を理解することはできない。データや理論を超えた想像力や経験が、将来社会を動かすかもしれない。若さ故の無謀さは、可能性を含んでいる。

引きこもりの当事者と会う時、未だに僕の心にあるのは「好奇心」だったりする。「10年引きこもった世界からは何が見えてるんだろう?」と想像すると、ワクワクすることさえある。
好奇心なき支援は、時に当事者を傷つける。「社会問題の対象者」「可哀想な誰か」と見るよりも、「あなたのことに興味がある」と言った方が、フェアで対等な関係性が築けることもある。

上辺だけ社会課題をなぞるよりも、「あなたに興味がある」という姿勢を大事にしてほしい。バングラデシュの娼婦街にいた頃、僕にあったのは単なる好奇心だった。けれどもそこで、人間の尊厳とは何かを知った。大事な友人もできた。「スラム街を知りたい」、そんな好奇心から全ては始まるのかもしれないと僕は思っている。