最近のテレビニュースは派遣切りの話題ばかりだった。
 
「自分の会社の人間は歩いて五分でもタクシーを使ってしまうから、どうも今の日本の貧困はピンと来ない。」
とある先輩の話である。
坂本総務大臣政務官の発言の背景も同様だと思う。周りの人間が国会議員なら、日本の貧困なんてピンと来ない。
 
僕も周りの多くは所謂エリートなので、大方はこんな感じだ。20代で1000万程度年収があるのだから、そりゃピンとは来ない。
そして残念ながら年を経るほど社会は島宇宙化していくので、違うコミュニティに属する他者のことは分からなくなる。
小学校の時となりの席に座って放課後遊んでいた人とは、もう収入も社会的地位も、異なってしまっているのかもしれない。
 
幸い僕は出自が「エリート」ではないので、日本の貧困は実感を持って伝わるのだが。
 
 
年末年始は京都に留学しているバングラデシュの友人が東京に遊びに来ていて、うちに泊まっていた。
我が家は日雇い労働者の街「山谷」から一駅のところにあるのだが、近所を散歩しているついでに寄ってみた。
日本にもスラムがあるよ、と。
 
山谷の玉姫公園の周りを歩いていると、「越冬闘争」なるものがやっていて、おじさんたちが僕らを手招きした。
「おじさんたちは怪しい人じゃないから。少し話を聞いて欲しいんだ。」
テント村の中に入って、話を伺った。
暖かいものを飲みたくないか?と、近くのコンビニで甘酒をおごってくれた。
本当に寒かった。
 
 
結局二日ほど山谷に通ったのだが、社会の断絶、みたいなものを感じた。
山谷の日雇い労働者や、その支援者の方々は言う。「官僚や大企業が結託して、わざと我々を使い捨てにしている。」と。
僕の周りには、官僚や大企業の人間が山のようにいるので、「それは違う」と反論した。ただ彼らは「知らない。」のだ。
 「交流がないまま憎んでいても、しょうがないだろ。エリート層に現状を分かってもらう努力をしろ。」
僕はアドバイスした。
 
 
途上国でよく感じていたのは、社会のエリート層が貧困層を知らない、ということだった。
例えば、バングラデシュでは、往々にして「セックスワーカー=不浄な人々」と見なされている。中流以上の人々は特にそう見ている。
それは今の日本にでも同じなのだと知った。
 
また途上国において国際協力に関わる人でも、現地語を覚えず、資料や人の意見に頼り、現場を見ない人々がいる。
彼らは現状が見えていない。だから、的外れな事業ばかり行う。
一方で、青年海外協力隊の人々のように言語を覚え泥臭く仕事ができる人もいる。
しかしマクロな視点から政策決定に加わり、社会全体を変える事業を創りだせるような能力に関してはない人が多い、というのが僕の雑感だ。
 
社会に大きな変化を望むのなら、何か社会全体を変えるような事業を市民社会から作り出す、または政策決定に加わることが必要だ。
けれども、貧困層または泥臭く社会問題に関わっている人は、なかなかそれができない。 エリート層と「言語」が異なっているから、彼らに響く「言葉」を持っていない。
一方で、経済社会を動かしているビジネスパーソンや政治家・官僚たちは、底辺の現状を知らない。泥臭く動くこともできないから、たとえ知りたいと思ったとしてもチャンスがない。
両者には断絶がある。
 
 
実は山谷の方々から、「勉強会を主催して欲しい。」と頼まれた。
「エリート層に分かってもらう努力をしろ。」と言ってしまった手前、引くことはできないので、近いうちに山谷のスタディーツアーみたいなものを開催しようと思っている。
ある勉強会でお世話になっている方々に協力を依頼しているところなのですが、詳細等決まったらご連絡します。お時間のある方は参加よろしく。