この二年間ぐらいは「バングラデシュ」一色だった。
何かを掴もうとして一生懸命だった一方で、色々な人と出会えたことは自分の財産になったと思う。
 
 
バングラデシュではずっと映画制作をしている。
僕はど素人なので右往左往しながら二年以上かかってしまったが、ようやく完成が見えてきた。
当然ここまでやってこれたのは僕ひとりの力ではなく、通訳を派遣して頂いたり、相談にのって頂いたりしているエクマットラというNGOの協力が大きかった。
 
スタッフは渡辺さんという日本人一人と多くのバングラデシュ人学生たち。
彼がすごいのは「日本人」としてではなく、「バングラデシュ人」として活動を続けているところだと思う。 
僕はバングラデシュに通うに連れて、外部の視点も持ちながらも、内部者として入り込む、そうすることで初めてその国のことが見えてくるのではないかと考えるようになった。今ベンガル語を勉強しているのは、そういった理由がある。
 
 
そのエクマットラで紹介されたのが、VERY50という団体。
日本で社会人向けの学校を行いながら、社会企業家支援事業を行っている。
ここに集まる人々は、目標としたいと思えるビジネスパーソンばかりで、特に代表の一人は、某外資コンサルM出身なので勿論優秀なのだけれども、さらに途上国を這うような泥臭さもあり、思想もある。
流行のビジネス本ばかり読んで思想を勉強しないビジネスマンや、「投資を通じて途上国に貢献します」と現場も見ずに語る元IBの人たちに嫌気がさしていた僕にとって、こういう人との出会いは貴重だった。
 
MHを含め、この二年間はバングラデシュという土地を通じて、色々な人に刺激を受けてきたと思う。 
目標としたい人たちがいることは、幸せなことだ。 
 
 
 
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さて、自分は何をするのだろうと考える。何がしたいのか見えない。
 
僕は大手の商社に行く。僕のこの進路の選択は、「大学卒業」という時間的制約の中で、他の企業との比較して消去法で決めたものだし、ある種の逃げがあったことは否めない。お金も所属もないのはつらいから。
 
それに、「投資を通じて途上国に貢献する」なんて、途上国に(わずか数年かもしれないが)関わってきた者としては、ギャグにしか聞こえない。経済発展はその国の問題を解決する一助になるかもしれないが、その逆も然りだ。(そのことを分かった上で、何ができるのかを考えているなら納得なのだけれども、そうでない人が多すぎると思う)
 
僕は何がしたかったのだろうか、そういった問いかけが段々と遠くなってきている。時間にただ流されている。
今の僕は、「まじめ」ではない。
 
 
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小学生の頃、比較的勉強ができた僕は、親に無理矢理、中学受験をさせられた。
意味も無く日本史の年号を覚えることの意義が分からなかった僕は、ある日、「何で勉強をしなければいけないのか」を親に尋ねた。
そして返ってきた答えは、「いい大学に行っていい会社に入るため」だった。
その時、僕は中学入学と同時に家を出ることを決意した。そして中学に入学し寮に入ると同時に、勉強を放棄し始めた。
 
その時のことを最近よく思い出す。少なくとも、僕は「まじめ」だった。 
それから紆余曲折してしまったし、人生全体を振り返れば非常に損な選択だったかもしれない。けれども今、あの頃の純粋さがなくなってきていることが悲しい。
 
 
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おもしろい記事があった。
 
何を目指せばいいのか、人は死ぬまで悩み続けるのか。