「起業」の時代はある意味で「楽」だった。

全ては自分の責任だった。毎年、目の届く範囲で、売り上げと利益を上げていればよかった。
自分の「ミッション」に沿った事業で、毎年160%の成長と約10%の利益率を確保できていた。
結果がダイレクトに見えることも楽しかった。

また「大きな意思決定の連続」であることも、楽しかった。
ミッションを定め、事業の中核を定め、マーケティング施策の柱を決め、(満足度と利益率が最大となる)現場のオペレーションを模索し、NPOと株式の二法人体制に変えて・・・

どれも毎晩うなされるようにして悩んだことだったけれども、毎日新しいことにチャレンジしていて楽しかった。

******
ところが、会社が大きくなると、社内のステークホルダーが増えてくる。一人一人のスタッフに対して、説明責任が出てくる。
ミッション達成のために、「直感的」にやるべきだと思っても、「社内に理解してもらう時間」が必要となる。

さらに起業家は往々にして朝令暮改なので、深く考えることなく何かを始め、「違う」と思ったら、変える。そうすると、社内は混乱する。

******
また、時間の使い方も変えなければいけない。
起業の頃は、一つ一つの意思決定について家で悩む時間をたくさん持てていた。

人に相談せずに一人でサクサク決めていくことが、僕には向いていたのかもしれない。
けれどもスタッフが増えてくると、一人で悩み考えている時間は取りづらくなる。

マネージメントについても、「創業時の熱さ」よりも「一人一人を丁寧にコーチングしていくこと」が大事になる。けれども、ピンチに強く平時に弱い僕は「崖から突き落とす」ようなマネージメント方法しか知らない。

軽度の発達障害持ちの僕にとって、「人の気持ちを理解する」ことは最も苦手なことの一つだ。悩めば悩むほど、他のことを考えられなくなった。

そして、もともと得意だった「ゼロからイチを創る」ことについても頭が動かなくなり、バリューを出せなくなっていった。悪循環だった。

******
ビジネスモデルが確定し、会社が大きくなればなるほど、マネージメントとその仕組みが必要となる。
例えば「1対1のコミュニケーションを丁寧に行うこと」「予実管理・人事制度といった仕組みを創っていくこと」といったことが、重要になる。

そしてそれらは「起業」に必要なスキルとはだいぶ異なる。
ミッションの達成に対して次々と新しいことを仕掛けていきたい起業家にとって、「我慢」が必要になる。

これらは、僕が創業3年目ぐらいから、徐々に直面し始めた壁だった。

会社が大きくなればなるほど、経営者としてバリューが出せなくなっていくのを感じていた。

それにも関わらず、「海外事業をやらなければ、ミッションを達成したことにはならない」と思った僕は、海外にいることが増え、その結果社内はグチャグチャになった。

「僕に経営は無理なんだな」
と思った。

だから僕の友人で、当時日系企業のアフリカ支社の代表をしていた森本真輔に、入社してもらうことにした。
これについては、会社のホームページにも書いた

森本君は最も仲の良い友人だったから、友人関係が壊れてしまうことはとても怖かった。
けれども、それ以上に僕は「経営者に向いていない」と思うようになっていた。

そして現に森本君の入社後、ベンチャー起業だったキズキは、人事制度・予実管理などの仕組みが整い、急に「会社」になっているのを感じる。

******
そんなわけで、僕は森本君を9月に会社に招き、4月からは「共同社長」という立場に就いてもらった。
社内のことは森本君に任せることにした。

一方僕は、広報をはじめとした「数年後に重要になること」にまずはコミットすることに決めた。
とりあえず、長らく出版社の方々を待たせていた2冊の本の執筆から始めている。

******
再び僕の人生は、模索期に入っている。大企業が合わずに鬱病で引きこもっていた頃を、最近よく思い出す。

けれども模索し悩み続けた後には、いつも次の世界が開けていたので、ワクワクもしている。