今年も合格発表の時期が来た。
色々な生徒の合格報告が届く。会社が大きくなって僕と現場との距離はだいぶ離れてしまったけれども、それでも「キズキがなければ、引きこもりのままだった」という声を聞くたびに、明日も頑張ろうと思える。

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けれども、「〇〇大学に受かった」ということ自体は、社会全体にとってはプラスの意味もマイナスの意味もないと僕は思っている。

例えば、「慶應大学に受かった」というのは、塾の実績としては良いことかもしれない。
けれども社会全体で見れば、「A君が慶應大学に合格した分、B君は慶應大学に不合格になった」ということになる。
大学の合格者の枠が限られている以上、大学受験とは「ある人が大学に合格したら、別の人がその大学から落ちる」というゼロサムゲームに過ぎないのかもしれない。

だから僕は、普通の塾が行うような、「偏差値の高い大学に受かった生徒がすごい」という教育には全く関心がない。
(現に、塾のウェブサイトには「早稲田大学〇〇名、慶応大学〇〇名!」みたいなことをアピールはしていない)

僕の塾から大学の合格者が出てくれることは嬉しいけれども、それは「難関大学」だったからではない。
高校中退や不登校を経験して長い間苦しみの中にあった彼らが、次の希望に満ちた進路に踏み出せたこと、そのことをいつも嬉しいと思っている。
(もちろん、難関大学には合格者を輩出しているけど)

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高校中退、不登校といった経験は、「クラスの中の1,2名しか経験しない特別な挫折経験」だ。
そして、自分の意志とは無関係に発生してしまった、とても不条理な経験でもある。

だから中退・不登校を経験すると、時に「自分は特別に劣った存在だ」という考えに苛まれる。
「自分なんて、どうせ努力をしても無駄な人間なんだ」と。

けれども、そんな彼らが、彼らなりの努力をして大学に進学をすると、その考えは徐々に消えていく。
受験勉強における「努力」は一定程度、報われるからだ。

他者と比較したら勉強の進みが遅いこともあるかもしれないが、1か月前・2か月前の自分と比較すると、確実に成長していることが分かる。
そして大学に合格した時に、「努力」は一定程度報われるものだということに確信を持てる。

実際、キズキ卒業生たちの多くは、受験を通じて自信を獲得し、その後アクティブに大学生活を送っている。
「ミャンマーをバックパックした」
「ニューヨークでインターンしている」
風の噂で聞こえてくる卒業生たちの活躍を聞く度に、数年前の引きこもっていた彼らを思い出し、とても誇らしく思う。

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また、「適切な進学先」を選ぶサポートをすることも、キズキの重要な使命だ。

「大学に進学後また再び通えなくなってしまった・・・」「その後の就職先が合わずにまた引きこもってしまった・・・」
そうなってしまったら、キズキが介在した価値はあまりなくなってしまう。

だから普通の塾のように「偏差値60のあなたは、早慶とMARCHを受けて、滑り止めに〇〇大学を受けたらどうですか?」といった受験指導は、キズキでは絶対に行わないことにしている。

大事なことは、キズキを卒業していった若者たちが、自己肯定感を持って、「自立」していくということなのだ。
特に少子高齢化の進む中で、「若者の自立」は社会にとって喫緊の課題だ。
長期間引きこもった後に生活保護などの「税の貰い手」になるよりも、引きこもりから脱却して働いて「税の払い手」になった方が、社会全体にとっては良い。

だから、「偏差値の高い大学」に合格させることを使命とするのではなく、「本人の自己肯定感」を高め、将来的な自立に繋がる進学先に送り出すことが、キズキの使命だと僕は考えている。

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起業してから5年間いろいろな事業をやってきたけれども、ずっとメインとなってきたのは、不登校・中退を経験者のための受験塾だった。
この「キズキ塾」は、元々代々木にしか校舎はなかったけれども、昨年末に秋葉原にも校舎を出して、今年5月には大阪にも校舎を出す予定だ。
来年度も、たくさんの若者たちの自立を支えられたらいいなと思う。