バングラデシュという国は、僕の青春を過ごした場所だ。

大学2年生の頃、南アジアを旅する途中にただ立ち寄るだけのつもりだったバングラデシュで、セックスワーカーの女性たちと出会い、その後娼婦街でドキュメンタリー映画を作っていた話は、昔のブログに書いたことがある。*1

https://yasudayusuke1005.wordpress.com/category/バングラデシュ/

この矛盾だらけの社会で自分は何をしたいのか、そして何をすべきなのか、そういう種類のことに悩み続けていた20代前半の頃、その答えを僕にくれたのはバングラデシュで出会った人たちだった。

バングラデシュでできた親友は、ストリートチルドレンたちを見るたびに僕に言った。
「毎年3万人が自殺する日本人よりも、あの子たちが不幸かどうかは分からないわ。人間の幸せなんて、そんな簡単にわかるものじゃないのよ。」

農村から売られてきたセックスワーカーの女性たちは、農村にいるよりもはるかに稼ぎは良かったが、それでも、
「自分の存在は罪だ」
と語っていた。リストカットをする女性もいた。

人の尊厳を守るような仕事をしたいと思うようになったのは、彼らとの出会いがきっかけだった。

それに彼らはとても情に厚く、優しかった。12歳の頃に家を出てからは他者に心を開けなかった僕に、人の温かさを教えてくれたのも彼らだった。

*******
バングラデシュという国を理解するためには、歴史を知るのがてっとり早いと思う。
第二次世界大戦まではバングラデシュも、隣のインドも、イギリスの植民地だった。その後、ヒンドゥー教徒のベンガル人が多く住む地域は「インド」の「西ベンガル州」として独立した。

一方、イスラム教徒のベンガル人が多く住む地域は「東パキスタン」として独立した。西パキスタン(=現在のパキスタン)とはインドを挟んで1000キロ以上離れているにもかかわらず、同じ国となった。
つまり、バングラデシュは、同じベンガル人の国家を作ることを望まず、民族は違っても同じ宗教を持つ人々と国を創ったのだ。
けれども、その30年後、パキスタン政府が東パキスタン(=現在のバングラデシュ)に対して「ベンガル語」の使用を禁止したことから、ベンガル人の民族意識が高まり、独立戦争が起こる。結果として、「東パキスタン」は「バングラデシュ」として、パキスタンから独立することとなった。*2

このようにバングラデシュは、第二次世界大戦後に一度は「宗教」共同体としての独立を果たしたものの、その後ベンガル人という「民族」共同体としての独立に方針転換した国だ。

「同じイスラム教徒であっても分かり合えなかった」という歴史があったからこそ、バングラデシュの人達はとても他宗教に寛容だ。

また、非常に親日国だ。僕がこれまで訪ねた世界50カ国ぐらいの中で、バングラデシュほどの親日国を見たことがない。
広島・長崎のことを小学校で習うため、戦後の焼け野原から復興・発展した日本に対する印象は極端に良い。それに、バブル期には多くのバングラデシュ人が出稼ぎ労働者として日本にやってきたが、多くの人は日本人との交流を楽しげに語る。

だから、今回の事件で、「日本人だ。殺さないでくれ。」と叫んだ方がいたのことは、とても理解できる。僕がこの場にいたら同じことをしていただろう。

「バングラデシュ人が日本人を殺そうと思うわけがない」
バングラデシュで生活した経験のある者であれば、誰しも思うのではないか。

********
そんなバングラデシュだが、僕が現地で映画を製作していた2008年頃、原理主義的な発想を持つ若者たちに出会った。イスラム教がセックスワークをどう捉えているのか知りたいと思い、ウットラー地区(バングラデシュの高級住宅街の一つ)に住む若者たちのイスラム教勉強会に参加したのだ。
ちなみに、50人ほどの参加者は皆、私立大学の学生だった。バングラデシュは平均年収が5万円程度の国であるが、私立大学の学費は年間十数万円にもなる。私立大学に通えるのは、相当の富裕層だ。

「セックスワークについてどう思うか?」
僕はリーダー格の若者にカメラを向けた。するとアメリカで生まれ育ったという彼は、訛りの少ない英語で僕に語った。
「イスラム教では、女性は守るべき存在だとされている。例えば、テレビCMで女性が自らの美しさを使って商品を宣伝しているが、あれはセックスワークと同じでイスラムでは禁止されている。」*3
「この国では度々女性の強姦事件が起こるが、それは正しくイスラム教が実践できていないからだ。バングラデシュは、もっとイスラム教を正しく実践すべきなのだ。正しくイスラムを実践しないから、こんなに社会に問題があふれているのだ。」

今回の事件が起こったグルシャン地区では、近年富裕層の若者のドラッグが度々話題になっていた。富裕層であっても、充実した生活が送れているわけではない。

僕が長く関わったパレスチナでも、ある友人が原理主義に染まっていったことがあった。
元々は酒を飲み、可愛い女の子を追い掛け回していた友人が、数年ぶりに再会すると「敬虔なムスリム」になっていた。「なぜお前はイスラム教を信仰しないのか」と僕に説教を始めた。
ちょうど、イスラエルからの侵攻が激しくなった時期だった。また彼は「仕事がない。何かいい仕事はないか」と僕によく聞くようにもなっていた。

若者たちが何かしらの社会の矛盾を感じた時に、イスラム教はそこに解決策をくれる。「イスラム教の教えを皆が正しく実践すれば、素晴らしい世界が待っているはずだ」と。
そして、一部の若者たちは、イスラム教を信じない者を侮蔑し、糾弾するようになるのかもしれない。

******
富裕層のイスラム原理主義者が起こしたテロ事件として、最も記憶に新しいのは9.11だ。
9.11の主犯格であったモハメド・アタは、元々敬虔なイスラム教徒ではなかったが、コネがないために母国エジプトで就職できずドイツに留学した。そのドイツ留学中にイスラム原理主義に目覚めた。(ちなみに、大学を出てもコネがないと就職が難しい状況は、バングラデシュでも同じである)

詳細は9.11直後の朝日新聞での連載をまとめた本『テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う』に詳しいが、そこにはヨーロッパでの差別、母国の政治腐敗、その中で徐々に若者たちがイスラム原理主義に目覚めていく過程が描かれている。

アタの母国であるエジプトでは地震が起きても政府は何もせず、食事を配り医療支援をしたのはイスラム原理主義団体「イスラム同胞団」だった。希望を失った若者たちが頼るのは「政府」ではなく、「イスラム原理主義」となってしまう。

******
「イスラム原理主義がなぜこれほどまでに広がってしまったのか」を考えると、サウジアラビア人たちがオイルマネーを用いて世界へのイスラム原理主義への普及させたことがあげられる。
実際に9.11の実行犯は、19人中15人がサウジアラビア出身だった。サウジアラビアはイスラム原理主義の源流となっている「ワッハーブ派」を国教とする国だ。

しかし、それだけでは、イスラム原理主義が一部のイスラム教徒たちの心を掴んでしまっている理由にはならない。
そうではなくて、イスラム世界には様々な不正義や疎外があるということ、そのことがイスラム原理主義の拡大の大きな一つの理由なのではないか。
それは経済的なものに限らない。パレスチナ紛争、イラク戦争、イスラム系移民への差別、国内政治の腐敗、若年者の失業・・・

イスラム原理主義の裏にあるのは、昨年のフランスのテロのような「貧困」だけではない。そうではなくて、あらゆる不正義や矛盾なのだ。「貧困」は、あらゆる矛盾の一形態に過ぎない。そして絶望感のその拠り所が「イスラム原理主義」となる。

********
先日のクローズアップ現代で、NGOシャプラニールのメンバーとして長くバングラデシュで活動されていた聖心女子大教授の大橋正明さんも、下記のように話していた。

「バングラデシュの人って、最初に申し上げましたけど、本当にいい人たちです。99.99%の人たちは、今回のテロなんかは、とっても受け入れられないと思っていると思いますが、しかし、その人たちの心の中に世界内の、あるいは国内のいろいろな不正義と思えることがたくさんあって、その不正義をどうにかしていかないと、そういうところの、ちょっとささくれ立ったみたいなところから、いろんな過激な思想というのが入ってきてしまうんじゃないかと思っています。そこをどうにかしないといけないだろうと。」

イスラム教の側から見れば、そもそもキリスト教をベースに成り立っている西洋近代社会には多くの違和感があることは変えられないかもしれない。それでも様々な世界の不正義や矛盾の減らしていくことは、確実に原理主義に走る若者を減らすだろう。

だから僕は、自分の会社を通じてあらゆる人たちが包摂される社会を創りたいと強く思う。原理主義に走る多くの若者たちは、社会から包摂されなかったことで生まれるからだ。
ちょうど昨年からはベトナムでも事業を始めたが、僕はあらゆる人々が包摂される社会を、日本だけでなく世界で創って生きたいと強く思っている。

******
僕は今の仕事ではイスラム教国と関わりはないけれども、20代前半の青春時代をパレスチナとバングラデシュで過ごし原理主義の若者達と交流を持ったことで、少しだけだけれども原理主義に走る若者達の心情を理解するようになった。(理解はするが、共感はしないが)

僕は宗教学者やジャーナリストではないので、事実誤認があるかもしれない。だから、昔に少しイスラム原理主義の若者達と多少交流があった者から見た風景の一つとして、理解してもらえればと思う。

 

*1
学生時代から作っていたドキュメンタリー映画は昨年から現在プロデューサーの方が加わり、来年の劇場公開に向けて動き出している。7月後半は、3年ぶりにバングラデシュを訪問する予定だった。今回の事件は、その矢先の出来事だった。

*2
この時の様子は、バングラデシュで初めてアカデミー賞の外国語映画部門に出品された、”Cray Bird”(日本未公開)という映画に詳しい

*3
このインタビュー映像をバングラデシュのイスラム教の友人たちに見せると、とても憤っていた。「こんな偏狭な考えをバングラデシュ人のイスラム教の一般の考え方だと思われたら困る」と。原理主義はバングラデシュで一般的なイスラム理解では全くないのだ。