8月に、起業してから3周年をむかえた。いつの間にか30代を迎えていて、先週には31歳になった。
苦しかった10代と比較すると、20代は「起業」をはじめとして意味のあった時代だったように思う。

何度もこのブログに書いているように、20歳でICU入学後イスラエル・パレスチナの平和構築に関わり、その後働きに行ったルーマニアで大きく挫折したけれども、バングラデシュで立ち直り、日本に戻って就職したけれどもすぐに退職、なんとか立ち直って起業・・・

挫折を繰り返しながらもなんとか這い上がり、起業をして3年が経ち、現在はアルバイトやインターンの方々を含めると50名以上のスタッフが働く法人となった。

このブログは20歳の時から自分の考えを整理するためにずっと書いているものだけれども、10代の頃の経験が起業にどう繋がったか、断片的にしか書いたことがなかった。というよりも、どのように書くべきか分からなかった。

だから、30代になり、起業から3年が経ったのを機に、少しだけ書いてみようと思ってブログを更新してみる。

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僕は横浜の中流家庭に生まれて、幼年期はそれなりに楽しく過ごしていた。
ただ、父の暴力癖や女癖の悪さから、3歳の頃から夜中の夫婦喧嘩で起こされていた。カッとなると、何をするか分からない人だった。とうとう、10歳ぐらいの頃に父は外に子どもを作り、帰ってこなくなった。母も精神的にやられてしまい、家に帰ってこない日が増えた。
僕は、これからは一人で生きていかないといけないのだと思った。そして、「人は不完全であること」「人間は自立しなければいけないこと」を学んだ。

12歳の時に家を出て寮に入ったものの、そこではイジメが待っていて、ベッドにゴミ箱を投げられていたり、卵を割られて投げ捨てられていたり、今でも寮にいたころの苦しい記憶は夢に出てくる。
14歳の時に寮を出てからは、祖父母の家で暮らしたり、父の再婚相手とその子どもと暮らしたり、二年おきぐらいに一緒に住む人や住む場所を変えた。

特に、父との再婚相手からは、時に執拗なイジメを受けた。ことあるごとに「お前の生みの母親がいかに汚い人間か」罵られた。改めて「人は何歳になっても不完全であること」を学んだ。

どこにも居場所のなくなった僕は、夜の街だけが居場所になりつつあった。深夜にコンビニの前でたむろしたり、バイクを乗り回したり、そういう中で自分の居場所を探そうとしていた。
ただ、昔からドンくさかった僕は、「明日までに2万もってこい」とカンパ集めを強制され、結局そういった場にもなじめなかった。

本当にどこにも居場所がなかったのが10代の記憶のすべてだ。
偏差値40台の大学進学率も二桁あるかないかの高校に通い、友人も少なかった僕にとって、最後の砦は「大学に行って、人生を変える」ことだった。

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大学受験では、第一志望の東大にはいけなかったけれども、第二志望のICUには合格できた。それが20代最初の思い出だ。1日13時間の勉強を2年間続けた結果だった。

そして一度つかんだ成功体験のおかげで、次の挫折においても「頑張れば、何とかなるかもしれない」と思えるようになった。頑張れば何でも叶うわけではないが、頑張らなければ何も叶わない。絶望の中にいても、なんとか頑張れるかどうかが、その後を分ける。

実際、イスラエル・パレスチナ、バングラデシュ、日本での起業と20代をそれなりに頑張れたのは、大学受験の成功体験があったからだ。
自分が大学に行けるなんて全く思っていなかった人間にとって、「大学進学」の意味は本当に大きかった。

弊社の事業の1つ、受験塾を始めた理由にはそういう思いがある。
中退・不登校などの挫折を経験した若者たちが、もう一度頑張れるように。そして頑張ることで成功体験を積めるように。
そういった成功体験を一回でも積むことが、次の挫折からも彼らを救ってくれることになると思っている。

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起業から3年経った今、行っている事業は下記になる。

中退者・不登校経験者向けの個別指導受験塾の経営。100名弱の生徒が在籍。

高等教育機関で発達障害・低学力などの課題を抱えた学生たちの中退を予防する事業。現在は8校の専門学校に講師を派遣すると同時に、いくつかの大学・専門学校で教職員研修の仕事も頂いている。
大学教職員研修センターさんのウェブにも、紹介頂いてます)

上記2つはビジネスとして行っている事業。加えて、下記が行政関係の事業である。

③東京都の単年助成事業として、「若者社会参加応援事業」
④新宿での委託事業として、新宿区在住の若者とその家族の支援を行う「若年者就労支援室」の運営

さらに、夏からはベトナムでも事業をスタートした。(こちらは、近日中に報告予定)

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10代の頃の経験、20代の頃のイスラエル・パレスチナやバングラデシュでの経験、そういう経験をしてしまった僕は、社会の中で困難を抱えている人たちを支援することを、自分自身の一生かけて成し遂げなければいけないミッションだと思うようになった。

けれども、創業からの3年間は目の前のことをこなしているだけで、あっという間に過ぎていった。この3年間で継続的にご支援させて頂いた受益者の方だけでも、600―700人近くにのぼるが、社会全体から見ればあまりに小さい。

だから、4年目はもっとミッションに忠実に、目の前のことだけでなく「社会」にインパクトを与えられるように努力しなければいけないと思っている。