先月は、1年ぶりにバングラデシュに帰った。
そして僕がかつて過ごしていた北部の娼婦街には、3年ぶりに帰った。
(去年は洪水の影響でダッカ市内から動けなかった。)

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ダッカから車で北へ3時間、タンガイル県の中心部に、その娼婦街はある。
セックスワーカーだけで1000人程度、その子どもや住み着いているギャングも含めると2000人程度がその街で暮らしている。

娼婦街に入り、迷路のように入り組んだ道を右へ左へと曲がった先の少し開けたところに、友人たちは以前と変わらず住んでいて、この場所で過ごした時間がつい昨日のように感じられた。
(バングラの娼婦街の話は、以前ブログにも書いた⇒ 「バングラデシュ、娼婦街での日々」

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当時、最も親しくしていたのが「ショキ」という女性だった。
バングラデシュ北部のサイドプールという街から、騙されて売られてきた子だった。
僕の下手くそなベンガル語を訂正してくれたり、娼婦街でギャングの抗争があるときは「今は部屋の中にいなさい」と守ってくれたり、そんな姉御気質な女性だった。

出会って1年ぐらいの頃(2007年)、彼女はシングルマザーとなった。
「なんで子どもをつくったの?相手は分かってるの?」
僕が聞くと、
「彼は結婚していたけれども、子どもはいないって言ってたの。だから子供ができれば、私のところに来てくれると思った。」
とショキは語った。でも実際には、その男には2人の子どもがいて、子どもができたと分かると娼婦街を訪れることはなくなった。

若く綺麗なショキは、バングラの農村で暮らしているよりも、お金はあった。自由もあった。
でも、いつも孤独感に苦しんでいた。その度に客と恋をして、また傷ついた。

イスラム教の保守的な社会で娼婦という仕事を続けることは、僕らには想像できない侮蔑や排除があるらしかった。

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もう一人、仲良くなった女性にボンナという子がいた。
彼女も幼い頃に、村から騙されて売られてた。

2007年の春、彼女は客の一人と結婚し、娼婦街を出た。
リキシャで1時間ぐらいの小さな村だったから、その年の夏、一度訪ねてみることにした。

村の離れにある誰もいない部屋で、静かな声で彼女と話した。
娼婦街にいたことは、村では秘密だったからだ。

一通りの世間話をした後で、
「今は幸せ?」
という聞くと、彼女は、
「幸せよ」と答えた後に
「でもそれがいつまで続くか分からないけどね。」
と、付け加えた。
何か含みがあるような気がして、その言葉がずっと引っかかっていた。

それから2年後の2009年夏、娼婦街を訪れるとしばらく見ていなかった顔があった。
耳の形が変形し、細い穴だらけになったボンナだった。
つけていたピアスを、いくつか引きちぎられたのだと想像できた。

「私の居場所はここしかないの」
夫の暴力に耐え兼ねて、娼婦街に戻ってきたのだ。

たとえ運良く娼婦街の外を出ることができても、そのスティグマは彼女たちを追いかけ続ける。

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一方、この娼婦街からさらに北へ1時間ぐらい行ったダンバリーという村に、友人の実家があった。
その友人の実家で、僕は休日をよく過ごした。

明け方、モスクから流れるアザーン(イスラム教の礼拝の合図)の音で目を覚まし、うたた寝をしていると小鳥のさえずりが徐々にうるさくなってくる。
眠れないので目を開けてベッドから降り、熱い紅茶を一杯すする。時計を見るとまだ朝6時前で、朝靄がかかっている。

夜はしょっちゅう停電になるけれども、そんな時は外に出て星空の下で他愛もない話をする。電気がない分だけ星がきれいだった。
そんな毎日が続く。今日も明日もそれほど変わらない円環時間が流れる。

テレビもない、冷蔵庫もない、冷房もない。
でも僕はその生活を美しいと思った。
おそらくそれは「先進国」の人間のノスタルジーではなかった。
多くのバングラ人たちもその生活を「美しい」と表現していたからだ。

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バングラデシュが抱える問題は、衛生・医療・教育など多々あるものの、決して餓死するという類の貧困ではなかった。
貧しくても、幸せそうに生きている人々が沢山いる。

医療・教育、といったものは、多くの場合、相対的なものなのかもしれない。
例えば平均寿命が50歳の国であれば、死をそういったものとして人は死を認識する。
日本だって将来、平均寿命が120歳になるかもしれないが、平均寿命が80歳の今を「不幸だ」とは誰も思わない。

確かにバングラデシュの農村は、この近代化した社会の中で遅れていた。
だからといって彼らが「不幸」だとは、僕には思えなかった。

一方で、イスラム教国における極貧の農村にいるよりは、はるかに所得もあり、自由も保障されているはずの娼婦達の中に、リストカットを何度も繰り返す者がいた。彼女たちは、自分の存在が罪だ、と語った。誰からも承認されず、孤独に苦しんでいた。

「人はどんなに貧しくても、『お金や暮らし向き』によってではなく、『尊厳』のようなものによって生きている」、彼女らと生活するにつれ、僕はそう考えるようになった。そしてそれは、世界どの場所にいっても、変わらない真実のように思えた。

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今回のバングラデシュ訪問は3日間だけだったけれども、それでも、自分の原点を思い出すには十分な時間だった。
僕はこの時から、人の尊厳を守るような仕事がしたい、と考えるようになった。
(参考:以前インタビューして頂いた記事 )