北朝鮮の独裁者が死んだらしい。

僕は北朝鮮問題にはそこまで関心がなかったのだけれども、一方で「独裁者」には縁があったように思う。
そもそも、イラク戦争への憤りがきっかけで大学受験を志したし、その後ルーマニアで生活していたこともあった。
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イラク戦争の頃、僕は「アメリカが間違っている」と熱く憤っていた。
そういう若者は、その頃よくいたように思う。
けれども、大学1年生の終わりに、イラクの若者をホームステイ先として受け入れることになってから、考えが少しだけ変わった。

ある晩、部屋でイラク問題について語っていると、そのイラク人の若者は、「アメリカに感謝している」と語ったのだ。「独裁者であるサダム・フセインを追い出してくれた」のだから。

その時から、「外部者」は何を語ることができるのか、悩むようになった。
https://yasudayusuke1005.wordpress.com/2005/03/17/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF/

苦しんでいる主体が、「我々」ではなく「彼ら」なのだとしたら、その「我々」に問題を語る資格があるのかわからなくなった。
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ルーマニアに住んでいた頃は正反対の経験をした。
「独裁者」が感謝されている、という状況だ。

ルーマニアにはかつてチャウシェスクという独裁者がいた。1989年、革命により独裁者が倒され、住民は歓喜したが、必ずしも「社会がよくなった」とは言えなかった。
社会主義の後に訪れた資本主義の波が、格差を拡大させた。

僕がルーマニアに住んでいた頃、「チャウシェスク時代の方がマシだった」という声をよく聞いた。
日本で聞いていた「独裁者」とは違った姿が、そこには存在した。

ちなみに、独裁者の打倒から20年以上が過ぎた現在では、56%の人が、「共産主義時代の方が大衆を尊重していた」と語っている。そして、1/3の国民は「革命は間違いだった」と評価している。
http://www.wsws.org/articles/2009/dec2009/roma-d24.shtml

つまり、人を幸せにしない社会体制・独裁政治が壊れたとしても、それ以上に人を幸せにしない社会がやってくるかもしれない。
世界は複雑だ。

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「独裁」とは直接関係ないが、バングラデシュでも、外部者と内部者の目線の違いに戸惑うことがあった。
特に日本国内において「ソーシャルビジネス」と持て囃される、グラミンバンクをめぐる言説が顕著だ。

https://yasudayusuke1005.wordpress.com/2008/10/25/microfinance/

考えてみれば、当たり前のことだ。

日本でも、ある政策・社会体制の正しさについて、100%全員が賛同するものなど存在しない。
例えば、小泉政権が正しかったのかなんて、未だに合意はない。
ある者は「格差を拡大させた」と言い、ある者は「格差の拡大なんて嘘だ」と言う。

ただ、それが未知の国になると、なぜかその背景に想像力が働かなくなる。
100%正しいことが、あるかのように見えてしまう。

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勿論、現場にいない者は何も語る資格がないのか、と言えば、それは違う。

でも大切なことは、「その場所に生きている人が本当に幸せなのか」 ということだ。
「独裁国家は間違っている」と噴き上がることは多くの人がやっているけれども、「本当にそこに生きる人が幸せになれる社会は何なのか」を真摯に悩む人は、あまりいないように思う。

そのことが残念だ。