僕がこの数年間ーバングラデシュで生活する中で、日本でサラリーマンをする中で、会社を経営する中で、困難を抱えた若者たちと接する中でーずっと考えてきたことは、「何が人の幸福をつくるのか」ということだった。

小学校を卒業してから住む人・住む場所を転々としてきた僕は、その後必然的に、社会の中で最も不遇な立場にある人に関心を持つようになった。
http://subsite.icu.ac.jp/prc/mail_magazine/contents/081030/yashuda/yasuda_01.html

イスラエル・パレスチナでの学生NGOでの活動を機に、大学二年生が終わると休学してルーマニアの平和研究所で働くようになった。しかしまもなく、一緒に働いていたアメリカ人たちが、現場を知らずに途上国の課題を語っていることに苛立つようになった。そして僕は、ルーマニアでの仕事を辞め、バングラデシュに通い始めた。

世界の底辺と呼ばれる国で、底辺を生きる人達と共に過ごして、彼らの側から世界を見てみたかった。
何が正しくて、何をすべきなのか、考えるのはその後でもいいように思えた。
だからバングラデシュの娼婦街に籠った。
当時は「地球の歩き方」さえ出版されていない国だった。

その後バングラデシュという国に魅せられて、これまで合計9往復した。合計滞在日数は1年を超えた。
下手ではあるけれども、日常のだいたいの用事は、ベンガル語で済ませることができるようにもなっていった。

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娼婦街での出来事は、以前下記のエントリーにまとめた。
https://yasudayusuke1005.wordpress.com/2011/06/27/bangladesh-sexworker/

けれども、バングラデシュにいた頃、セックスワーカーの女性たちだけと接していたわけではない。
たくさんの現地の大学生たちの力を借りて、映画を制作していた。

友人の大学生たちは言っていた。
「バングラデシュはこれからも発展していくけど、その代わりにもっと大切なものを失わないようにしなければいけない」「農村に仕事さえあれば、故郷で家族と共にゆっくりと仕事をするような生き方ができるはずだ」

先進国の人々が想像するよりずっと、彼らは「未来」を見据えていた。
ただ単に「お金が欲しい」「発展したい」、そんなことを話しあったりはしなかった。
何が人の幸せを創るのか、愚直に悩んでいた。

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その中で僕は、日本のことをよく考えるようになった。
「日本はバングラデシュより人口は少ないけど、毎年三万人以上が自殺するよ」
そんな話をよくした。
現地の友人たちも日本の課題について関心を持つようになった。

今日よりも明日が、明日よりも一年後に、何か良い事が待っているはず―発展の途中にあるバングラデシュでは、どこかでそんな感情を皆持っていた。

でも物心ついた時には日本のバブルが終わっていた僕には、「社会がもっと良くなる」なんて感情を抱くことは難しかった。

そんな時に秋葉原での大量殺人事件・リーマンショックが起こった。

「バングラデシュの人々よりも、日本の人々の方が不幸なのかもしれない」
そんな疑問に答えを出すために、日本に事業をやることにした。

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何が人の幸福を創るのか、なんてことは未だ勿論分からない。
そして、バングラデシュと日本を比較してどっちが幸せか、なんてことも僕には言えない。

けれども、自分自身の十代の頃の経験から、そしてバングラデシュのセックスワーカーと生活してきた経験から、「自分が社会の底辺にいる」という感覚は、すごくつらいことだとわかった。自分の存在を肯定できない状態は苦しい。

人は「飯が食える」「金がある」ことによって生きているのではなく、究極的に言えば「尊厳」みたいなもの、によって生きているのだと僕は思う。
https://yasudayusuke1005.wordpress.com/2008/08/
だから、その「尊厳」を守り、「自己肯定感」を人に提供するような事業を行いたいと考えるようになった。