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バングラデシュに滞在していた、宝物のような時間。

大学時代の後半、そして卒業後の一年間は、バングラデシュ一色だった。
僕は世界の最貧国の最底辺を生きる人々から、たくさんのかけがえのないものを受け取った。
たくさんの大切なことを教わった。

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僕は滞在中、大部分の時間を娼婦街で過ごした。

初めてバングラデシュに降り立った時、タクシーの運転手に連れて行かれた場所が娼館だったことが、この国の娼婦たちと交流し始めたきっかけだった。

(参照)

https://yasudayusuke1005.wordpress.com/2006/09/17/%E3%80%8C%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/

その後首都ダッカの娼館だけでなく、タンガイルというダッカから北へ3時間ほどの街にある、1000人もの娼婦たちが住む娼婦街に滞在するようになった。
そして、ただ「かわいそう」に見えた彼女らが、すごく複雑な生の中にいることを徐々に僕は知った。

(参照)

https://yasudayusuke1005.wordpress.com/2009/04/06/%E5%A8%BC%E5%A9%A6%E8%A1%97%E3%81%A7%E5%AD%A6%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%93%E3%81%A8/

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バングラの娼婦街で学んだことの一つは、社会の複雑性についてだった。

そこで生きる女性たちの多くが、村から売られてくる。
「ダッカにいい仕事があるよ」という誘いにのって。

人口爆発し仕事の少ない農村、首都への憧れ・・・様々なものが重なって、女性たちは農村を出る。
けれども到着した場所は「娼婦街」。
彼女たちはマダムに売られ、強制的に客を取らされる。
泣きながら体を売って得たお金の大部分は、マダムに取られる。

ところが、「かわいそう」なはずの村から売られてきた少女たちは、1、2年経つとそこでの生活に「慣れ」ていく。
体を売ることに慣れる。贅沢にも慣れる。

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娼婦街では、平均して2,3年経つとマダムの手を離れるのが、半ば慣習になっている。
けれども彼女らのほとんどが、その後も「娼婦」として仕事を続けてしまう。
「お金」と「自由」のために。

農村で生活していれば、農作業を手伝わなければいけない。勿論オシャレにお金を使う余裕はない。都市に出て工場で働けば、狭い部屋で寮生活させられ、飯を食うのがやっとの給料しかもらえない。

けれども娼婦街では、客を一日に数人とれば化粧品や小物を買えるだけのお金が手に入る。マダムの手を離れた彼女らは、体を売って得たお金の全てを手にできる。
そして一日中働き続ける必要もない。ほとんどの時間は、仲間の娼婦たちとお喋りしたり、行商人が持ってきた洋服やアクセサリーを眺めて過ごすことができる。

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とはいえ彼女たちが満足しているかといえば、おそらく違った。

彼女らは自らのことを「罪だ」とよく語っていた。
リストカットする子もたくさんいた。

皆、どこかのタイミングで「ここから出たい」と願っていた。
いつも「ここではないどこか」を目指していた。

けれども現実は厳しかった。
女性の一人は、客の男に恋し二番目の妻として娼婦街を出ていったものの、二年後娼婦街に戻ってきた時には暴力でピアスを引きちぎられ、耳が破れていた。
他にも、客の男と娼婦街を出ていき、全財産を取られて帰ってきた子もいた。

保守的なイスラム教国であるバングラデシュでは、娼婦の女性に尊厳は与えられない。
だから、「娼婦街にいる方がよっぽど幸せだわ」と、彼女たちは諦念の中で暮らすようになる。

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10年、20年と経ち、娼婦たちは、年をとって客をとれなくなると「マダム」になる。
「マダム」は娼婦街での成功者の証であり、「マダム」になれなかった女性は「物乞い」になるしかない。

彼女ら「マダム」は、かつて自分がされたように、村から少女を騙して娼婦街に連れ込み、客を取らせる。
悲しみは連鎖する。
でも生活するには仕方がない。

単に「娼婦街から出たい」という女性たちがいるなら、外での仕事を提供すればいい。
でも、彼女たちは普通のバングラ女性では経験できない「お金」と「自由」を経験してしまった。
教育を受けていない彼女らは、娼婦街の外に出ても、農作業か工場労働ぐらいの選択肢しかない。そしてそれらは低賃金で過酷だ。
さらに、彼女らを受け入れてくれる社会は、どこにもない。

だから彼女たちの社会復帰は難しい。現地NGOもプロジェクトから撤退した。

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バングラの娼婦街にいた頃、「自分がここにいてもできることがない」ということに苦しんだ。

でも、今「社会起業」の分野で起業し、一年間事業を行なってきたことで、おぼろげながら「社会事業の作り方」、みたいなものが少しだけ見えてきた。
来年、再来年になれば、もっともっと僕は成長できると信じている。

だからいつか、日本だけでなくバングラデシュの、ドロップアウトした若者の支援をしたい。
社会はあまりに複雑で、だから多くの問題が解決されないまま山積しているのだけれども、それらを前にしても怖じ気づきたくはない。

もう二年も訪れていないが、今も毎日彼女たちのことを考えている。
彼女たちからは大切なことを教えてもらった。かけがえのない時間を過ごせた。

そしてあの日々を思い出す度に、どこか温かい気持ちになる。