2009年からの二年間は、迷い続けた時間だった。

2009年4月に人より3年遅れてサラリーマンとなった。「商社マン」というやつだ。
生意気な話だけれども、学生時代から「時給」で働いてこなかった僕は、「社会人になる」という気負いが全くなかった。
(ただ、「少なくとも数年間は拘束される」という強迫には苦しめられた。今でも2009年3月31日の夜の不安は、覚えている)
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正直に言って会社はつまらなかった。
このまま自分がツマラナイ大人になってしまうのか?と毎日悩んだ。
夜は毎日会社近くのタリーズで、ノートを広げ、半年後・一年後・二年後・・・のありたい・あるべき自分の姿を書き続けた。でも、いくらノートを書きなおしても、「商社に残る」という選択肢は、出てこなかった。

僕が配属されたのは、アフリカの油田権益の投資を行う部署だった。
それだけを聞くと何かカッコイイ響きを感じるが、僕がやっていた仕事はエクセルの数字入力と英訳・和訳ぐらい。あとは、「油田のことを勉強しろ」と言われ、会社の書類をコツコツと読んでいた。

残念ながら、油田権益の投資は扱う金額がデカいこともあって、一年目の新入社員に任せられる仕事はほとんどない。
始めの3,4年は「我慢」だ。部署をいつ異動できるかどうかも分からない。
4年といえば大学生活と同じ年数なわけで、その長さに頭がクラクラした。

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僕は入社前の配属面談で、「途上国をかけずり回りたい」と話していた。
外資戦コン・マスコミなどの内定先からどこの会社に行こうか迷っている時も、「うちの会社なら好きなことをやらせてやる」と言われていた。

だから、「騙された」と思った。

今から考えると、僕が社会のことを知らないナイーブな子どもだった、というだけのことなのだけれど。
(一度内定を出した学生に断られるのはまずいから、会社が都合のいいことばかりを言うのは、当たり前のこと)

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会社での出来事はどこかで改めて書きたいと思っているのだが、入社して半年しか経っていないある秋の日に、僕は倒れた。

仕事がキツかったわけではない。
自分が何をすべきか、何ができるか、何をしたいのか、分からなくなってしまった。

それでも人は飯を食わなければいけない。
家族に恵まれて育った人ならば話は別だけれども、僕に頼ることができる家族はいなかった。
そして同年代の友人たちが、仕事を通じて成長していく姿を耳にするのも、つらかった。

でも会社員に戻るのは、もう怖かった。
僕はどんどんと取り残されていく気がした。

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起業して一年が経った今だって思う。

同い年の知人が議員になっていっているのを風の噂で聞いたり、すでに友人の一部が海外に駐在していたり、そういうのを見る度に焦る。

僕は「経営者」になったといっても、今にも潰れそうな中小零細ベンチャーNPOだ。
寝る前はいつも、頭に通帳の残高が浮かぶ。

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ただ一つだけ分かっていることは、僕は僕のペースでしか生きていけないということ。
毎日を自由に、自分の問題意識に従って生きていないと、僕はどこかで潰れてしまう。

二年間苦しんだ先にみえたのは、それだけのことだった。
でも僕の長い人生にとって、とても大事なことを知れたように思う。