この四日間、ずっと泣いていた。
今までの人生で流した涙の総量を超えたと思う。
生まれて初めてできた友達が死んだ。
僕は4歳から小学生の頃まで、横浜の郊外にあるマンションに住んでいた。
そして、僕の家族と同じ時期に引っ越してきたのが彼とその家族だった。
彼は僕の弟と同い年で当時一歳、僕は四歳で、彼の兄は三歳だった。
引越した当日から、仲良くなった。そして四人は兄弟のようにして育てられた。
放課後は毎日のように缶けりやら、泥警やらで遊んだ。
GWになれば一緒に旅行に行き、クリスマスの夜は毎年一緒に過ごすことが決まっていた。
当時はまだ僕の両親が離婚していなかったため、彼の家族と僕の家族が一緒に夕飯を食べて、僕ら四人兄弟は一緒にゲームをした。
そしてサンタクロースを信じていた僕たち兄弟は、夜9時ぐらいになるとサンタからの電話を待った。
電話の子機を使って父が隠れて電話をかけ、その電話を僕が取る。
するとサンタは「玄関にプレゼントを置いたよ」と一言残し、電話を切る。そして僕ら兄弟は慌てて玄関に向かう。
四人はそれぞれ新しいゲームソフトをもらって、一晩中遊ぶ。
すごく幸せな時間だった。
******
四人兄弟は同じ幼稚園に通い、同じ小学校に通った。同じスイミングスクールに通い、同じ塾に通った。
彼の家族がシンガポールに転勤した時は、シンガポールまで遊びに行った。
中学はそれぞれ別になったけれども、彼の兄とは大学で同じになった。(僕は二浪してしまったため、彼が1つ上の学年になってしまったが)
最近はお互い忙しくなり疎遠になってきたけれども、それでも兄弟だった。
それぞれが結婚して子どもができた頃には、昔と同じようにクリスマスを過ごすんだろうなと、当たり前のように考えていた。
******
僕の弟は今でこそ、東大⇒外資系投資銀行というエリート街道を歩いているけれども、小学生の頃は無口でシャイで友達もなかなかできなかった。
そんな弟に唯一優しかったのが彼だった。
「たーち(弟のあだ名)、遊ぼうよ」
いつも、我が家のインターフォンを押して、弟を遊びに連れ出してくれた。
そして弟にとっても、彼だけが唯一自分から遊びに誘える友人だった。
彼の家のインターフォンだけは、押すことができた。
唯一の親友だった。
******
一方、彼は僕とよく似ていた。
僕は出来の良い弟(現役東大)を持ち、彼は出来の良い兄(現役ICU)を持った。
そして少し不器用だった。だから特に仲が良かった。
僕と同じように中学・高校とグレてしまい、学校を中退した。
僕と同じように、この社会の中で上手く居場所を見つけられなかった。
ただ違ったのは、僕はたまたま大学に通う中で友人ができ、自分の居場所を見つけることができた。
彼も一念発起して大学に通うことになったけれども、うまく自分の居場所を見つけることができなかったのかもしれない。鬱病と闘い、毎日大量の薬と酒を飲んでいた。
僕よりも繊細で、そして優しかった。不器用だった。
最近は少し調子が良くなったと聞いていた。
でも、3月9日の深夜、吐き出した酒と食事が器官に詰まり、亡くなった。
まだ23歳だった。
******
彼が亡くなったことを聞いた時、全く実感が湧かなかった。
弟はその夜、「彼が死んだのはうそだった」と夢を見たという。
まだ涙も出なかった。
でもお通夜の日、式場の階段を上がった時、彼の位牌に飾られた写真が見えた。
その瞬間、目から水滴が知らぬ間に零れていて、それが口までつたった時、僕は泣いていることに気づいた。
そして嗚咽が聞こえ、振り返ると普段は感情を表に出さない弟が口を押さえていた。
弟の涙を見たのは、初めてのことだったかもしれない。
彼のお母さんが言った。
「祐輔君とたーちは、自慢の友達だったんだよ。」
と。そして、
「顔を見てあげて」
と言った。
棺桶に眠る彼は、幼い頃の優しさに溢れた顔と、何も変わっていなかった。
彼のお父さんは言った。
「3月9日の0時過ぎまで、彼は生きていたんだよ。きっとそれは、僕たちにサンキューと言うためだったんだと思う。」
涙をこらえるように、力強く言った。
******
翌日は告別式だった。
棺桶の蓋を閉める前、彼の体に触った。
ドライアイスで冷たくなっていたけれども、まだ肌には弾力があった。
「たくさん触ってあげて。」
彼のお母さんは僕に言った。
僕は彼の顔を忘れないように、そしてその肌の手触りを忘れないように、何度も見て、何度も触った。
火葬場に行くために、棺桶を閉める時間がやってきた。
もう彼に触れることも、見ることもできない。
嗚咽した。彼の名前を叫び、そして「ありがとう」と言った。
生まれてきてくれて、本当に嬉しかったと思った。
彼の両親に頼まれ、火葬場まで行った。
親族以外では、僕と弟と母の三人だけだった。
「本当に四人は兄弟だったからね」
彼にとって、僕と弟は特別な存在で誇りだったと、彼の両親は何度も言った。
僕と弟にとっても、彼の存在は特別で誇りだったと思った。
優しくて、純粋で、友人思いで、彼に代わる存在はこの世にいなかった。
******
一時間後、彼は焼かれ、骨になった。
その骨は箱に詰められ、袋にくるまれた。
それでも、「ゆーすけ君、遊ぼうよ」
幼い頃に何度も聞きなれた言葉が、頭の中で何度も響いた。
ずっと忘れていた幼い頃の声だったのに、何度も何度も聞こえてきた。
今、このブログを書いている瞬間も、聞こえてくる。
何故なのかずっと考えていたのだけれど、それはきっと、彼の肉体はなくなっても、彼の存在は僕の心の中で生き続けているからなのだと思った。
******
僕は今、思う。
彼に恥ずかしくないような生き方がしたい。
僕は凡庸で、いや凡庸以下のどうしようもない人間だけれども、それでも彼は僕のことを誇りに思ってくれていた。
彼が精神的に苦しんでいることを聞いていたのに、僕は忙しい大学生活・会社員生活に追われ、何か救いの手を伸ばそうとはしなかった。それでも彼は僕のことを誇りに思ってくれていた。
彼のように純粋で優しくて、少し不器用だからこそ、自分の居場所を見つけられないような人々に何かがしたい。
そういう人々を助けることができるような仕組みを創りたい。
彼のために生きる、といっては少し傲慢かもしれないけれども、天国に行った彼が笑っていられるような、そんな社会を創りたい。
優しくて純粋な人が苦しむ社会なんて、おかしいと思うから。
******
僕の心の中ではまだ時間は止まっていて、それはずっと続くのだと思う。
思い出はいつになっても現実のものだし、「ゆーすけ君」と聞こえてくる声も現実のものだったからだ。
つらいことは忘れたいけれども、それよりも感謝の気持ちで一杯だから、僕はこれからも彼と共に生きていく。
5年先も10年先も20年先も、四人はずっと兄弟であり続ける。