考えてみると、僕は走ってばかりいた。
家を飛び出した家族から離れた中学時代、不良少年だった高校時代、一日13時間の勉強をした二年間の浪人時代、イスラエル・パレスチナでNGO活動をしていた頃、急かされるようにしてルーマニアに飛んだ頃、バングラデシュでひたすら映画制作を模索したいた頃、次々と「難関」企業の内定を手にした就活・・・そして商社に入った。
 
僕は自分のペースで生きることを知らなかった。
社会企業家やら、ベンチャーの社長やら、そういった勝間和代的なものばかり目指していた。
自分を探しながら、他者の承認を求めながら、ただ走っていた。
痛々しい生き方だった、と思う。
 
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「私は、部屋のインテリアを自分の好きなようにいじって、それを一時間以上眺めているときが一番幸せなの」
「私はあなたに認めてもらいたいとは思うけれども、多くの人に認めてもらいたいなんて思わない。」
 
ある女性が、ある日僕に言った言葉がある。
 
その時は分からなかった言葉の意味が、今なら分かる。
自分にとって大切なものは「不特定多数の他者の承認」ではなく、「僅かでも大切だと思える友人たちとの絆」のようなものだった。
そして、自分が 大切にしたい空間や時間のようなものだった。
 
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今、ゆっくり生きていくことを、少しずつ覚えている。
 
素敵な友人たちに囲まれて、多少のアドレナリンと多くの安らぎの中で僕は生きたい。
大切なことにようやく気づけたようなのかもしれない。