「ようやく社会人だね」という言葉を最近よくかけられるのだけれども、僕はこの「社会人」という言葉が嫌いだ。(前にも書いたけど)
労働=一人前の社会人、という発想は、ポストモダンのこの時代には全く馴染まない。
 
つまり、「労働」それ自体には、何の価値もない。僕は飯を食わなければいけないから、奨学金が切れてしまったから、親の支援が止まったから、働かなければいけない。
ただ、それだけのことだ。そもそも、労働が美徳だなんて誰が決めたんだ?
 
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そして労働によって夢をかなえることを美しいとする人は多い。
どっかの居酒屋チェーン店の社長が代表的である。
 
けれども、皆が夢なんて持っていたら世の中夢破れて絶望する人ばかりだし、社会なんて破綻してしまう。
なぜなら、もし個人個人が大きな夢を持って生きてしまったら、誰も工場では働かなくなるし、誰もコンビニでは働かなくなるし、誰もタクシー運転手にはならないし、誰も地方公務員にはならない。(失礼) 
 
人はそれぞれで、大きな夢を持って生きることに生き甲斐を覚える者もいれば、家族や友人に囲まれて「それなり」に楽しく生きることを望む者もいる。
「近代」という時代が、人をある目的に向かわせるような生き方を強制したとしても、それでもおそらく、毎日「それなり」に楽しく生きることを望む人の方が圧倒的に多い。
 
大学時代の友人たちは所謂「エリート」なので、何かしらのことを社会に残したいと考えている人が多いような気がするが、一方で僕の高校時代までの友人たちは、そんなに大きな夢なんて持っていなかった。田舎の親戚たちもそう。それでも毎日に不満を感じている人は少ない。
 
生きるために、最低限の仕事をする。それでいいじゃないか。
 
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ここで、「労働」について書かれた二つの本を紹介したい。
1つは夏目漱石の名著「それから」、もう1つは宮台真司の近著である「14歳からの社会学」という本だ。
 
 
「それから」の主人公の代助は、30になっても定職を持たず父からの援助でぶらぶらと暮していた。周囲から「働け」というプレッシャーはあるものの、代助は労働に全く価値を見出さない。
しかしある日、親友の妻と恋に落ちたことで親から勘当され、「生きる」ために仕事をせざるをえなくなる・・・
 
もちろん、親友の妻と恋に落ちたことに、代助は罪悪感を感じてはいない。なぜなら、「親友の妻と恋をしてはいけない」という倫理自体、なんの妥当性もない近代的な価値観だからだ。けれども、その恋を選んだせいで、代助は忌避していた「労働」に従事せざるをえなくなる。
 
ポストモダンを「全ての価値観の相対化」とするならば、代助は「ポストモダン」の人間だった。
しかし、時代は「近代」の真っ只中。人々は発展を志向し、西洋的な価値観に基づき倫理を構築し始めていた。代助は、親友の妻との恋を選んだことで、労働に従事しなければならなくなり、「近代」という時代に絡めとられる。「ポストモダン」の思考を持った人間が、「近代」の中で生きる苦しみを描いた名作だと僕は思う。
 
 
一方、「14歳からの社会学」は社会学者の宮台真司が、14歳向けに「社会」のことを書いた本だ。この中で、彼は「仕事に高い期待を持つな」と提唱し、アイドルの追っかけ(その多くが地方公務員!)を賞賛していた。彼らの多くは、アイドルを追いかけるために、平日は5時に帰れて土日が必ず休めて、給料もそこそこもらえる地方公務員という職業を選んだ。
 
「仕事」が「生活」なのではなく、「生活」のために「仕事」をしているわけだ。
 
そして、宮台自身も、「社会学者になりたい」なんて思ったことはなかったという。映画と本さえ読んでいれば幸せだったから、それらを楽しむ時間とお金が得るために、塾講師のバイトをしながら大学院生になったのだと。
 
「こんなふうに、ぼくは「最低限これがあればいい」っていう「最低限」を、「これが最低限か、あれが最低限か」とトーナメントで戦わせる方式でやってきた。・・・・・・自分がどんな人間で、何をしているときが幸せか。「これさえあれば自分は幸せ」と思えるものは何か。それをつかむためだけ「試行錯誤」して、おぼろげながらでもつかんでいく。そうすれば、自分に必要じゃないものに過剰な期待をしなくて済むようになる・・・」
 
 
何に価値の重きを置くか、それは人それぞれでよいということだ。 
 
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先月、開催した山谷勉強会で驚いたことの1つは、ホームレスの方々が、「お金をくれ」ではなく、「仕事をくれ」と要求していた点だった。
「労働は美徳である」、その価値観はホームレスの方々までも苦しめる。だから彼らの多くが生活保護の申請を拒否し、寒空のしたで生活をしながら夜な夜な空き缶を拾い集める。
 
この社会では、「仕事をしていない」ということが、人間として一人前であるかどうかを決めてしまう。
 
 
僕自身は、人生に意味を求め悩んだ時期もあったが、今は自分が何をしていれば毎日楽しく過ごせるかが分かるようになった。
究極的に言えば僕は、旨いものを食って、たくさん寝て、女の子と楽しく遊んでいれば幸せなのであり、その意味ではタイ辺りに移住して、安くて旨い飯を食らい、一日8時間以上寝て、毎日美女たちを戯れていれば、僕はそれなりに幸せな人生が送れる。
 
そういう生き方が、「夢をかなえる」、「一生懸命働く」生き方より、劣っているとは思わない。