昨日は、ダニエル、ナタリー、ベニ、アビゲイルとテルアビブで夕食を伴にし、今日はアクラムの家でアクラムとその妻(なんとフランス人と結婚していた!)と夕食を食べた。
いずれも三年半前、僕らが日本に招致したイスラエル人・パレスチナ人だ。
あの夏僕たちは一ヶ月もの間、日本の三都市で寝食を伴にして、紛争のこと、家族のこと、恋愛のこと、さまざまなことを語り合った。
 
 
アビゲイルは言った。
「あの会議は、私の人生を変えたわ。もしあの時、会議に誘われていなければ、いまだにパレスチナ人のことを理解しようとしなかったと思う。」
彼女に会ったのは、4年前のイスラエル建国記念日のパーティの時だった。父親がイスラエル大使館に勤務していた関係で、日本に遊びに来ていた。
そのパーティの席で同世代の学生を見つけた僕とE嬢が話しかけたのが出会いだった。日本に滞在しているわけで予算もかからない、ということで会議に誘ったのだ。
 
そんな彼女は、先日イスラエルのNGOのワークショップに参加し、西岸地区へブロンの町を訪ねたという。
今までパレスチナ人の生活を知りたいなんて思わなかったけれども、と。
 
そこでナタリーが言った。
「そろそろもう一度集まるときなんじゃないかな?3年半前はガザから入植地が撤去されて、情勢がよくなるように思っていたわ。けれども、どんどん状況は悪くなった。もう一度みんなに会って、何ができるか話し合いたい。」
 
アビゲイルがそこで口を挟む。
「エジプトかヨルダンで、もう一度会議をできないかな?それなら、予算もいらないと思うし。」 
 
 
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そして今日はパレスチナ西岸地区のラマンラに入り、アクラムの家を訪ねた。
フランス人の奥さんをもらっていたアクラムは、彼女と一緒にラマンラの中心部に家を借りていた。
今はイタリア系のNGOで働いているという。
 
昼からダラダラと世間話をしていたのだが、「もう一度、彼らと話し合いたい」という言葉が出た。
「日本で会議をやるとお金がかかる。けれどもジェリコ(西岸地区の一部)ならイスラエル政府もパレスチナ政府も開催を認めるんじゃないか。お前がアレンジできないか?」
 
 
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情勢は悪くなるばかりだけれども、三年半前に撒いた種は確実に根を張りつつある。 
もし彼らが望むなら、僕はできる限りのことをしたい。
日本に帰った後で、かつての仲間たちと話し合おうと思う。