ということを、最近よく考えている。
 
BRICSを始めとした途上国への投資ブーム、「経済発展=途上国の人々の幸せ」という安易な言説を最近よく聞くのだが、僕はずっと違和感を持っていた。
(驚くべきことに、「開発」に携わる人でさえ、上記のようなことを発言していたりする)
 
僕はこの二年間、グローバル化による外資企業の進出と繊維産業の勃興、それに伴う都市への急速な人口移動、スラム化などの都市問題・・・そういったものをバングラデシュで見ていた。
一方でバングラデシュの友人たちが、「自分たちはインドと違って経済的な発展はなくても、家族がいて友人がいて、そういうものだけで十分幸せなんだ」とよく言っているのを聞いていた。
経済がうまく回っていても社会が回らなければ、何の意味もないんじゃないかと考えていた。
 
最近は、いわゆるワーキングプアの問題に関心があって、本を読んだりNPOに参加したりしている。
そこでも原因を突き詰めていけば、グローバル化による企業間の競争が大きい。
グローバル化による途上国への生産拠点の移動と、それに伴う日本社会における単純労働力の需要減の帰結として、当然日本の単純労働者の賃金は減少する。
 
「企業は弱者を保護しろ!」と叫んだところで、政策的に日本の労働者の経済状況・雇用状況を保護しようとしても、それには少なからず限界がある。なぜなら、日本企業も世界の企業と闘い続けなければならないから。そしてその「世界」とは、今後先進国だけではなく、途上国も含まれることとなる。
 
バウマンがいうところの、近代の特徴である「限りない前進」をグローバル化が支えている。我々の社会は常に進まなければいけない。
 
 
これまでの先進国の繁栄は、途上国の犠牲の上に成り立っていたという一面があるのだから、日本の「衰退」と途上国の「発展」は正義だといえるかもしれない。
しかし、「発展」しているはずの途上国でさえ、人間がどこまで幸せになっているのか、よく分からない。
だとしたら、この前進には何の意味があるのだろう。