学生時代の前半NGO活動をしていたころ、「世界のことを考える前に、日本の問題に目を向けるべきだ」とのお叱りをうけたことが、幾度となくあった。
 
日本と、日本以外の世界を短絡的に分ける考え方はあまり好きではない。どこからどこまでが自分の所属する社会で、どこからどこまで「外側」の世界なのか、境界は曖昧だからだ。
現に僕は、行ったことのない富山県よりも、地図なしでも動けるダッカの街の方が、身近に感じる。
 
けれども一方で、僕には東京ほど住み心地のよい街がない気がしている。
どこにいってもキレイで、世界各国のレストランがそろっていて、インターネットの速度が速くて、女の子が薄着で(バングラデシュの女性は「オロナ」と呼ばれる布で、胸の形まで隠さなければならない!)、やっぱり居心地がいい。
そして大事な友人がたくさんいる一方で、押し付けがましくて適当な約束ばかりするバングラデシュ人が嫌になることもある。往々にして仕事も適当だ。
やっぱり「日本人」と「バングラデシュ人」は違うのかなと、思ったり。
 
 
僕は今、「開発」というイシューにほとんど関心がなくなっている。
一方で、人が「尊厳」によって生きているのだと考え始めてから、30歳手前ぐらいでロースクールに行き、弁護士になりたいなぁと思うようになった。
そうなると、もう世界との関わりがあまりなくなってしまうわけで、それも寂しいのだけれども。