就活中、よく会社説明会で聞いていた話が、「仕事を通じて社会に貢献する」というせりふだった。
僕はこれが大嫌いだった。
 
 
たとえばコンサルについて考えてみる。
あるコンサル会社が、あるメーカーA社の経営を改善したとする。
するとライバルメーカーのB社は、別のコンサル会社を使って、経営を改善しようとする。
B社が売り上げを伸ばしたのを見て、A社は再びコンサルを雇い、事業戦略の策定を依頼する。
 
つまり、この場合コンサルは「クライアントへの貢献を通じて社会に貢献する」といった高尚な役割を担ってなどいない。メーカー間の競争を激化させただけの話である。(もっとも、競争激化によってより健全な経済が作られると考えるならば、一定の積極的な意味を見出せるかもしれないが)
勿論、これは単純化した図式なのだけれども。
 
 
ホットペッパーやぐるナビを考えてみると分かりやすい。
あの媒体を通じてできることも、「レストラン間の競争を激化させる」という程度のことだ。
あるレストランAがホットペッパーに掲載を頼み、リクルート社にお金を払うとする。
するとライバル店Bもホットペッパーに掲載を頼むことになるだろう。
元々なくても良い媒体だったのかもしれないが、その誕生と広がりによって各レストランは「余計な出費」を強いられることになったといえるかもしれない。もちろん、消費者の利便性を押し上げることができたのかもしれないが。
 
 
どの企業も「何もないところ」に「何か」を生み出して、金銭を発生させるという役割を担っているだけのことなのだ。ポストモダンにおける資本主義とは、多かれ少なかれそのようなものなのである。 
 
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別にこれはビジネスに限った話ではなくて、良き意図が良き結果をもたらすとはいえないという、単純な命題である。
40年前、世界銀行で働いていた人の多くは、「途上国の問題をなんとかしたい」と思っていたのだろう。
けれども結果的に生まれたのは、「途上国の貧富の格差拡大」だったことは、国際関係学をかじったことがある人ならば知っての通りである。
 
近年もてはやされている、マイクロファイナンスなどの「途上国ビジネス」を考えてみる。
たとえば、各NGOが自己財源の獲得のために「ビジネス」に手を出し始めた結果、教育や保健など「カネにならない」事業に目が向けられにくくなったという不満を、私は世界各地で聞いたことがある。
またバングラデシュで「貧困を救うビジネス」と知られるグラミンフォンだって、海外からの出資で成り立っている。
友人のバングラデシュ人はいつも言う、「グラミンフォンが儲かっても、潤うのは出資している外資だ」と。
 
社会は複雑だ。
 
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この二年間悩んでいたことは、「どの価値観を掴み取るか」ということだったように思う。
大学に入り、世界各地で活動をして、本を読み漁り、その結果として社会の複雑性に気づいた。
僕はあらゆる行為にたいして、一定以上の意味を見出せなくなったのだ。
全ては相対的である。
 
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「それにもかかわらず」、何かの価値観を掴み取ったとき、僕は次の段階に進めるのだと思う。
肝心なことは、「自分がどういう社会を美しいと思うか」、それだけなのだと思う。
自分探しの旅は続く。