「近代性とはとりつかれたような前進ーつねにもっと欲しいから、ではなく、けっして充分に得ることができないから。もっと大きな志や冒険心を育てるから、ではなく、その冒険が苦くその大志が実現を阻まれているから。前進は続かなければならない。なぜなら、たどり就いたどんな場所も一時の停留所にすぎないから」(バウマン)
 
 
バウマンのこの言葉は、個人の生き方として考えたときも、ある社会の時の流れとして考えたときも、示唆に富んでいると思う。
「農家の子は農家」ではなく、「キャリアを考える」時代へ。
BRICS、VISTA、発展を目指す途上国。目指せ日本、アメリカ、ヨーロッパ。
「前進」という近代性が持つ脅迫の中で、人も社会も突き進んでいるだけにしか見えなかった。
そしてその前進の先に待っているものは「空虚さ」であり、それは人も社会も、そして国家も変わらないと思う。
 
ずっと関心が強かった開発、そしてその延長としての社会起業というものに疑問を持つようになったのも、そこに原因がある。
「日本の経済を活性化させたい」、「途上国の経済を活性化させたい」
そこに価値を見出せなくなった。
 
つまり、それは「社会貢献」などではないのだ。
資本主義というシステムの再生産に加担しているだけであり、価値中立的である。
 
 
全ての価値が相対的だとするならば、「どの価値を掴み取るか」ということだけが必要なのだと思う。
今の僕にはそれが見えない。