僕の仲の良い人間たちの間で、会えば必ずといっていい程出る言葉が、「意味と強度」だ。
このブログを読んでいる人の半分以上は知っていると思うし、それぐらい宮台真司が悩める僕らの世代に与えた影響は大きかったように思う。
まぁ僕の周りが異常なだけかもしれないが。
 
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これから書くことは、一部の人を除いては全く意味不明のことだと思う。
ただ、この一年ぐらい自分で考えていたことをまとめたいと思い、他者の言語ではなく、自分の言語で書いてみる。
 
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僕はこの二年間、過去の楽しかった思い出にすがって生きてきた。
それは特にイスラエル人・パレスチナ人と過ごした夏の思い出であるし、広く言えば昨日の思い出、一ヶ月前の思い出、半年前の思い出である。過去の美しさと現在の虚しさに酔いしれて、日々を生きているだけだった。大学を卒業することが悲しいのも同じ理由。 
 
年を経ることで感受性は研ぎ澄まされてきた気がするけれども、夢中になるものは減ってしまった。そして、感受性が研ぎ澄まされた分、年齢を経るにしたがって島宇宙化していく社会に適合するのが面倒になってきた。分かりやすく言えば、今自分たちが価値があると信じているものは、実は「今、ここ」のある集団内でしか価値を持たないということに納得してしまった。
例えば、映画学校で外資コンサルの話をしても誰も価値を認めないように、外資コンサルの内定者の中で映画や文学の話をしても通じない、というようなことであり、例えばJICAの人たちにとっては興味がある途上国の問題も、外資金融で働く多くの人には関心がないというようなことであり、その逆も然りである。
 
僕は非常に中途半端な存在で、そのどこにも顔を出すことができるが、どこにも属することができない。それは全てが相対的だということを悲観的に考えすぎているから。また、何かを選択することで、他の何かを失うことが怖いだけなのかもしれない。
そして、そんな相対性を超える、絶対的な「何か」をまだ発見していない。というよりも、その絶対的な「何か」を手に入れるためにもがいてきたけど、まだ何も見えていない。
だから僕は現状において、将来国連職員を目指すわけでもなければ、起業を目指すわけでもない。
つまり「目的」という絶対性がない。 
 
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大学に入った頃の僕は、過去の自分を否定することで、努力をしてきた。
それは、いじめらればかりだった小学校とか中学校の否定。そして何より中途半端な不良になって(今の時代、真の不良になれるほどの絶対性を何に感じればよいのだろうか?)学校も行かずひたすら女の子と遊んでいた高校時代の否定。人間として基本的だと「思われている」行動、例えば二日に一度は学校に行くとか、深夜は出歩かないとか、見た目は派手すぎてはいけないとか、テストでは少なくとも二桁の点数は取るとか、15歳で煙草はすわないとか、そういったことができなかった。社会が自分を人間のくずのように扱っているのが分かった。そして一番いやだったのは、自分以外の人間を大切に思ったことがなかった点だった。(そして自分自身も誰かから大切にされていると感じたことがなかった。)社会学的に言えば、再帰的に、自己嫌悪が構築された。
 
だから、僕は輝けるものに憧れた。そして高校を卒業したとき、輝けるものを手に入れることに決めた。
高校を卒業してからの二年間、一日13時間勉強したというのは大げさでもなんでもない。全ては輝けるものを掴むため。そして、大学に合格したとき、イスラエル人・パレスチナ人が空港で涙を流して別れを惜しむ姿を見たとき、僕は輝けるものを掴んだのだと分かった。(でも、その後はどこに行けばいいの?)
 
今の僕は、どこにいってもそれなりのパフォーマンスをあげることができる。 だから就活もたいして困ることなく、社会的地位も高く高給とも言われる職種に、三年遅れの新卒であるにも関わらず内定をもえらた。帰国子女ではないけれども英語にもさほど困らない(ライティング除く)し、年200冊は本を読む。たぶん人文科学、社会科学系の学問なら、たいていの話はできると思う。今僕は、あらゆる意味で自分を信頼している。それは今の自分がすごいという類の話ではなくて、自分の可能性を信じているということだ。勿論、上には上がいるが、今の自分は他の同世代と比較して現状を恥じるほどではない。(他者との比較は嫌いなのだけれども、比較しないでいられるほど自分は強くない) 
それに何より、今はたくさんの大切な友人がいる。僕が彼ら彼女らのことが大切なのと同じように、彼ら彼女らも自分のことを大切にしてくれていると感じる。それが、かけがえのないことだ。
 
だからそれまでの自分と比べて20歳を過ぎてからの自分は、比較にならないぐらい幸せだった。
人は他者から認められることでアイデンティティを維持できるのだと思うし、それはバングラデシュのセックスワーカーたちを見てもわかるように世界共通なことであるように感じる。 
 
しかし、一方で輝けるものを掴んだとき、「全てが相対的」であることを体感してしまった。
自分が信じてきたものー学問をする、国際協力、映画etcーといったことさえ相対的だと気づいてしまった。
「ここではないどこかへ」と向かう白石一文が描くような人間の姿、バウマンが定義するようなポストモダンの人間像が自分に重なった。
そう、僕も常に「ここではないどこか」に絶対的な何かがあるのではないかという、信念と諦めの中で生きてきたのだ。 
 
その中で「意味」ではなく「強度」へという議論は僕にとってそれなりに説得力を持つものだった。
もう「意味」にすがるのは辞めよう、日々何かちょっとしたことに夢中になろう、それはそれで大切な視点だった。
現に今もその視点は大切にしているし、だから今僕は友人と過ごす時間を大切にしている。
けれどもそれだけでは、結局「幸せだった過去」にすがって終わりそうだった。
「意味」のある日々が欲しい、論理を超えた欲求が膨れ上がってきた。
 
じゃあどうすればいいのか?ずっと悩んできた。
「ここではないどこか」に向かうことに悩みながらも、それでも「絶対的な何か」を探し続けるしかないのだろう、今ようやく見えてきた答えだ。
絶対的なものが見つかって、それに向かうことができたとき、人は本当に輝いているように見える。自分自身を輝いていると感じられる。そう僕は思う。
それが僕にとって昔はイスラエル・パレスチナ問題であったように、きっとMHの社長にとってはバングラデシュでのバッグ作りであるように、ある人にとっては音楽であり、ある人にとっては家族である。そういうものを掴むこと、そしてそれに向かって走っていくこと、もうそこからは逃れられないと認めるしかないんじゃないか。
 
そして(前にも書いたように)、絶対的な何かが「まだ」見つかっていないということは、幸せなことなのだ。
これから何かが見つかるかもしれないのだから。
 
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何度も書きますが今日のブログはおそらく自分にしか分からないように書きました。
すいません。
アフリカ某国で働く件はなくなりました。面接に落ちました。
次は東南アジア某国で働くための面接です。