よく「俺たちも年をとったよね」と若者が格好つけて言うことがあるが、そういうことではなくて、本当に時の流れを感傷的に感じるようになった。自分に対する欲が減ってきていて、それがどこか嬉しく、つらい。毎晩夜の街を彷徨っていた高校時代も、「何か」を為すために必死だった大学時代も越えて、今僕はフツーのサラリーマンになろうとしている。
 
 
就職活動の時に、10年ぶりに髪を黒くした。髪の長さだけはちょっぴり抵抗してみたけれども、チャコールグレーのスーツに無地の赤いネクタイを締めて大手町やら赤坂やらを歩き回っていたら、自分の見た目なんてどうでもよくなった。某社の内定者懇親会で、ガン黒金髪だった頃の話をしたら、「今はすごくまじめそうに見えるのにね。」といわれて、逆に僕がびっくりした。それが嬉しいようで、悲しい。
 
先月までは本当に就職活動に必死で、とにかく内定が欲しかった。志望順位は給料や福利厚生、名声に規定され、「何かを為す」なんてことはどうでもよかった。そして就職活動が終わった今、フツーのサラリーマンになることにどこか違和感を感じる一方で、「何かを為す」気力がない自分にも気づいて悲しくなる。
 
社会の流れに身を任せることが大人になることの意味ならば、僕も大人になったのかもしれない。
今年でもう25歳。昨年一年間働いていたMHの山口社長が会社を起こしたのが24歳の時だったことを考えると、十分大人だ。
そして当時の社長と比較して、勝手に焦る。「何も為していない」ことにも「何かを為す気力がない」ことにも。「何がしたいのか分からない」ことにも。
 
 
 
 
 
 
 
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「24歳でまだ何も見つかっていないということは、これからの可能性があるということだよ。」
ある友人に言われ、ハっとした。
自分の道を固定的には決めていない僕にはまだバングラデシュ以外にも、ビジネス以外にも道は開かれていて、これからの長い年月の中で無数の選択肢に出会い選択できるかもしれない、そう考えることもできる。
 
物事が全て気の持ちようなのだとしたら、やっぱり人生は脆くて複雑だと思う。