新年早々前回のブログの続きだが、社会企業が出てきた背景には、「社会性」という付加価値が日本で受け容れられるようになったことが大きいと思う。たとえば、それはロハスブームを見れば分かるとおりである。
 
 これまで資本主義の世界経済システムと環境汚染、貧困といった問題は、相反する事柄だと考えられてきた。たとえば、企業が途上国のコストの安い労働力を搾取するのをやめたり、環境対策を重視したりすることは、収益の減少を意味するからだ。ところが、このロハスブームのように、「社会的」であることが、商品に付加価値を与え、商品価値を高めるというパラドクスが生じてきた。これは、日本でも一部の消費者が「成熟化」してきたことに起因している。
 
 資本主義の問題を資本主義の枠組みの中で解決するアプローチは、日本において特に有効だと僕は考えている。「慈善」の文化のない日本において、NPO・NGOが欧米に比べると盛り上がりを見せなかった。(これについては次回に書く)
 日本においては数少ない「成熟した市民」でさえ、NPO・NGOを支援している人は少ない。その意義は認めながらも、「感覚」レベルで、慈善活動はしっくりこないのだ。だから「慈善」のみを前面に出したフェアトレードも流行らなかった。そのような人々を取り込んだのが、ロハスブームであり、社会起業を支援する人たちだと言える。
 (そしていずれは、「よい商品だから買う」という行為を通して、気づかないうちに全ての消費者が「世界への偽善」に取り込まれるのが理想的だ。)
 
 高度消費社会の中、日本を含めた先進国では、周りにモノが溢れており、モノそれ自体の機能では差異化が難しくなった。その中で問われる「何を付加価値にするか」という課題に対し、「社会性」という答えが提示できる時代になったかもしれない。