この一年間、社会性とビジネスについてよく考えた。
今、この分野で、最も注目を浴びている某企業の成長と拡大を、間近で見ることができたからだと思う。
 
 
日本において、社会起業(社会企業)が語られるときの問題が、大きく分けて二つあると僕は考えている。
一つは「社会企業」と「社会起業」の混同だ。日本語の発音が同じであるせいで、この二つは混同されて使われているが、別物であることは漢字を見れば分かるとおりである。
 
そしてこれらには「ビジネスを通じて社会問題を解決しようとする企業」という定義がよく使われるわけだが、実際にはその対象のほとんどがNPO法人であるということが、もう一つの問題だ。事業それ自体の利益が少ないわけだから、NPOに「ビジネスを通じて」という定義は適さない。むしろビジネス上の利益が見込めない分野での活躍がNPOには期待されているわけで、そもそもの発端も役割も違う。
もちろん、「社会企業」や「社会起業」を字義とおり受け取れば、NPOもそのカテゴリーの中に入るのだけれども、それじゃ前から活動していたNPO、NGOはなぜ「社会企業」と呼ばれないのかという疑問も出てくる。
 
 
 
 
二つ目の問題に関してよく考えてみると、ビジネス自体が、人々のニーズに合わせて生まれた産業なのだから、広い意味では全てのビジネスが「社会貢献」だと言えなくもない。ロハスブームを見れば分かるように、日本でも一部の消費者の成熟化が見られ始めたわけで、そうなると今まで第三世界を搾取して成り立っていたようなビジネスも、徐々に転換を迫られることになる。(これについてはpart2で書く)
 
では一般の私企業と「社会企業」との差は、どこに生まれるのか。その違いは、「ベクトル」だと僕は考えている。
私企業が社会性を意識し始めたとき、それはビジネスから社会性へのベクトルとなる。目的はビジネスだが、目的達成の上で社会性を意識しなければいけなくないということだ。
一方、僕のインターン先であるMHのように社会の問題を解決するための手段としてビジネスを選んだとき、それは社会性からビジネスへのベクトルとなる。
 
そうなると、「社会企業」と既存の私企業の差は、概念上、言葉上の差に過ぎなくなる。むしろ資金規模で言えば、既存の私企業の方が明らかに大きいのだから、社会全体にもたらすインパクトも大きいと考えることが可能だ。
  
けれども、社会科学をある程度かじったことがある人ならばご存知のとおり、constructivismやconstructionismのセオリーに基づけば、「言葉」は世界をかえる大きな原動力になる。実際この「社会的起業(企業)」という概念が、同世代の若者に対して与えた影響は大きかったと思う。
だから、概念や言葉がもたらすパラダイムシフトが、10年後、20年後どのような世界を創っていくのか、僕は期待しているし、これからも関わっていきたいと考えている。