僕は高校のころ、本当に頭が悪かった(今以上に)
テストの点数は基本的に一桁だった。選択肢の問題しか、正解できないのだ。
 
特に高二から高三にあがるときは、大変だった。成績が赤ばかりで、かなりの数の科目で追試やら補修やらを受けることになった。
数学の追試の前日、教師が僕に言った。
「追試は期末テストと同じ問題を出してやるから、暗記してこい。」
頑張って暗記したけれども、70点が関の山だった。
高校を卒業して大学受験の勉強をしてから、あの時の曲線のグラフが「微分積分」と呼ばれるものだと知った。
 
 
高校の頃から本当にお金がなかったので、バイトはかかせなかった。
ファーストフードの厨房、レストランの皿洗い、日焼けサロンのビラ配り、英会話学校のポスター貼り、回転寿司の厨房、コンビニ、ガソリンスタンド・・・山ほどやってきた。
しかし、どれも三ヶ月も続かなかった。
頭が悪いのに、ルーティンワークが嫌い。
救いようがなかった。
 
 
その後何かの偶然で、僕は一流と呼ばれる大学に受かることができた。けれども、そんな奇跡がいつまでも続くわけもなくて、いつかまたルーティンワークの日々に戻るのかもしれない。
勿論そういう人がいて社会は成り立っているのだけれども、少なくともあの時の僕は状況に満足はしてなかったし、山谷や釜が崎で会った日雇い労働者の方々の多くが現状に満足しているようには見えなかった。
 
 
だから、ミャンマーで殺された長井さんのことを知ったとき、不謹慎かもしれないが、ほんの少しだけ羨ましく思った。
もちろん殺されたことそれ自体ではなくて、自分が感じたことに忠実に生きて、裕福ではないとしてもそれで飯が食えていたという意味においてである。
自らの夢の中で死ぬのなら、「それも本望」だと言えるのかなと。