僕がイスラエル・パレスチナの人たちから、バングラデシュの人たちから学んだこと、それは「強く、そして優しくある」ということだった。彼らは過酷な状況にありながらも、人に優しくあり続ける「強さ」を持っていた。
 社会から差別されながらも兵役を拒否し続けていたイスラエルの友人や、友人や家族が殺されながらもイスラエルと対話を続けるパレスチナの友人、そして社会に見捨てられながらも希望を捨てないバングラデシュの娼婦街に生きる人たち、僕が彼らから教えられたことは、とてつもなく大きかった。
 
 
 小さい頃から僕は、「自分が周りからどう見えるか」ということばかり気にしてきた。誰にも負けたくなかった。本当に大切なものは違うんじゃないかって心のどこかで気づいていながらも、大学の卒業が近づき、就職という名の「将来」の選択を迫られる中で、再び自分と他者を比べがちになっていた。
 自分の信じている道が不確定だと分かれば分かるほど、お金や名声を基準に物事を考えるようになっていた。
 
 
 先日、僕がインターンとして働いている会社の社長が、講談社から本を出した。
 いじめ、非行、柔道全国七位や慶應大学合格、バングラデシュへの留学を経て、「マザーハウス」を立ち上げるまでの彼女のストーリーがそこには記されていた。どんな時も自分が信じる道を頑なに進む姿を見て、僕は「自分自身を信じる」ということ学んだ。
 そして、それこそがきっと、僕がイスラエル・パレスチナで、バングラデシュで教えられた、「強くある」ということの意味なのだ。  
 
     

「・・・私は学校でも、柔道でも、そして大学生活でも、つねに一番にならなきゃ意味がないとおもってきた。競争に勝ったものだけが言える言葉があり、また見える世界があると信じて行動してきた。つねに他人と競争し、比較し、相対的な価値観に頼り生きてきた。
 しかし、大学四年生の時「現場を見たい」という思いだけで、バングラデシュに行こうと決意し、実際に二年間滞在し、起業し、会社を経営する中で、その価値観を捨てた。・・・
 バングラデシュで見てきた現実の中で自分の人生に最も影響を与えたものは、明日に向かって必死に生きる人たちの姿だった。
 食べ物が十分でない、きれいな服もない、家族もいない、約束された将来もない。そして生活はいつも政治により迫害され、きれいな水を飲むにも何キロも歩かなければならない。そんな人たちが毎日必死に生きていた。
 ただただ生きるために、生きていた。
 
 そんな姿を毎日見ていたら、バングラデシュの人が自分に問いかけているような気がした。
 「君はなんでそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?」って。
  
 自分はいったい何をしてきたんだ。他人と比べて一番になるんなんてそんなちっぽけなことに全力を注ぎ、泣いたり笑ったり。こんな幸運な星の下に生まれておいて、周りを気にして自分ができることにも挑戦せず、したいことも我慢して、色んな制約条件を自分自身の中だけでつくりだし、自分の心の声から無意識に耳を背け、時間と共に流れていく。 
 
 バングラデシュのみんなに比べて山ほど選択肢が広がっている私の人生の中、自分が彼らにできることはなんだろう。
 それは、まず自分自身が信じる道を生きることだった。
 他人にどう言われようが、他人にどう見られ評価されようが、たとえ裸になってでも自分が信じた道を歩く。
 それがバングラデシュのみんなが教えてくれたことに対する私なりの答えだ。・・・」  (「裸でも生きる」 講談社刊 より)