中学、高校と社会の底辺に近いところで生きてきた僕にとって、大学に入ってからの生活は新鮮そのものだった。
 
高校の頃は、「どこの暴走族が強いか」とか「今日はどこにナンパに行くか」とか、そんなことしか友人との話題にのぼらなかった。学校には三日に一日行く程度だったし、その一日も授業中は同じ場所に座っていることができずに、気づくとトイレで煙草を吸っていた。
だから大学に入学したときは、別の世界に迷い込んだような気がしていた。大学に入ってから出会った人々は、僕がそれまでいた世界とは異次元に住む人たちであったからだ。
僕には別の世界に行く「自由」があったのだ。
 
 
去年ルーマニアでの挫折から感じたことは、人間はそれまで生きてきた環境や言語に規定され続けるのかもしれないという不自由さだった。そしてそれは構造主義の学者たちがあきらかにしたことー「私」は使っている言語・記号、「私」は身につけている慣習は社会を構成する他者から与えられたものであり、「私」自身の自由で操作できる部分はがおくわずかしかないーであった。(http://sofusha.moe-nifty.com/series_01/2007/07/post_ce83.html
 
 
一年前の春、日本という枠組みを飛び越えることが、自分を解放してくれるような気がしていた。ちょうどその二年前、「社会の底辺」という枠を超えることができたときと同じように。
けれども結局のところ、僕が思う「自由」も完全な「自由」ではなかった。たとえルーマニアで生活に溶け込むことができたとしても、それはある構造から別の構造へと入っていっただけのことなのだ。
 
「自由」それ自体が、構造の枠の中にしか存在しえないのだとしたら、僕はその構造を受け容れるしかないのだろうか、最近よく考える。「将来」だと思っていたものが確実に近づく中で、その選択を迫られている。