去年の秋にバングラデシュに向かう途中、マレーシアでトランジットをして4日ほど滞在した。
 
空港を下りタクシーでクアラルンプールへ向かったが、僕らはクアラルンプールの喧騒には一日で厭きてしまい、その翌日にはバスで約三時間かけて、「クアラスランゴール」という場所を訪れていた。ガイドブックにも載らないような小さな町だけれども、蛍のきれいな川があると聞いたことがあった。
 
 
バスターミナル近くの小さなボロ宿に荷物を置くと、早速情報収集を始めた。近くの食堂に入ると、華僑系マレーシア人の店主が、「蛍ツアー」を勧めてきた。
この食堂は旅行代理店みたいなこともやっているみたいだ。
 
 
夜再び食堂に行くと、若いカップルが車で迎えにきた。車で10分ほど行ったところに、その川はあった。
月と蛍の光に照らされたマングローブの森を、横目にしながら、船頭が静かに櫂をこぐ。
言葉にしたら陳腐になってしまいそうなので説明はしないけれども、とにかく美しかった。
(翌日の夜も、僕らはその川の別の川辺を訪れていた)
 
 
 
翌日、その食堂を再び訪ねると、華僑の店主の横にインド系マレーシア人が座っていた。

この「アレンさん」は小学校の先生をしていて、「長期休暇中の今は暇だから車で街を案内したい」と、かってでてくれた。
その後二日間、彼の家に滞在しながら、ある時は華僑の友人が経営する魚工場に、ある時はインド系の友人が経営する酒工場に、クアラスランゴールのあらゆる場所に連れて行ってもらった。
 
そして最後に彼が連れて行ってくれたのは、イスラム系住民のパーティだった。(マレーシア人の過半数が、マレー系でありイスラム教徒だ)

 
インド系であるアレンさんは、ヒンドゥー教徒だけれども、こんな風にしてお互いの民族がお互いのパーティに招きあうそうだ。
日本では食べたことがないような旨い焼き鳥を頬張りながら、インド系、華僑、マレー系の人々と談笑した。
 
 
日本に帰った後に知り合った華僑のマレーシア人の友人も言っていた。
「華僑はビジネスが得意だからビジネスに従事して、インド系は教師や医者になって、マレーシア系は政治家とか官僚になったりする。そうやってお互い暮らしているんだ。」
 
 
後期近代社会の現代では、価値は多様化し、社会は島宇宙化する。
一つ一つのコミュニティが多様に分化していく中で、異なるコミュニティに属する「他者」の存在は、どんどんと見えにくくなっていく。
 
価値の多様化は人々に「排除」という、近代福祉国家がもたらした「矯正」とはまた別のベクトルの力を生み出す。
あらゆる力は「矯正」ではなく「排除」の方向へ向かって、気づかないうちに私たちは異なる他者を「排除」している。
世界が多様で美しいのだとしたら、「排除」に向かうよりも「共生」を目指すほうが豊かなのだから、 僕はそんな後期近代社会には抗い続けたいと願う。
 
もちろんマレーシアでも、華僑とマレー人との経済格差など、問題は山積している。
けれども実際に僕が出会ったマレーシアに生きる人々を思い出すと、他者と共に生きることの意味を考えさせられるのだ。