年末は山谷に通っている。
実は、今私が住んでいる場所から自転車で10分のところにあるのだ。
 
 
山谷とは日雇い労働者が集まる、東京南千住近くの街だ。
一泊2000円程度の簡易宿泊所が立ち並び、アルコール依存症の中年男性たちが、ふらふらと歩く。
夜になると近くの商店街では、下りたシャッターの前にホームレスの男性たちが毛布を被って横になる。
少し離れた隅田川沿いにはブルーシートに覆われた「小屋」が並び、ホームレスたちの日常が営まれている。
 
 
先日は、ホームレスの方々の自立支援をしているNPOの活動に参加した。
隅田川沿いの「小屋」を一軒一軒訪ね、名前、年齢、収入、体調などを聞き歩く。
 
「ごめん下さい。」
小屋の外から声をかけると、中から出てくるのは往々にして「気の弱そう」な中年男性だ。
猫やウサギも、同時によく顔をのぞかせる。
 
「外は寒いだろ」
と彼らは私を小屋の中に招きいれ、インタビューに答えてくれる。
そんな感じで仕事が続いた。
 
彼らの腰がすごく低かったことに、私は驚いた。
いきなりのインタビューにもかかわらず、とても丁寧に応対してくれた。
 
 
仕事の途中、近くの公園で休憩をしていると、1人の男性が話しかけてきた。
 
「自立って言ってもな、仕事がないんだから無駄なんだよ。」
彼は元ホームレス。NPOの自立支援でアパートに入居したものの、職がなくアパートを追い出されそうだという。
 
NPOの自立支援の中で、初め二年間は月3000円でアパートが借りられるが、その後は正規料金を払わなければいけない。
つまり、その二年間で、仕事を探し、その後は自分の力で生活しなければならないのだ。
彼の場合、来年の5月で約束の二年となり、アパートの正規料金を払わなければいけなくなるという。
 
彼は言う。
「元ホームレスが簡単に仕事が見つかると思うか?空き缶を拾って生きてきた人間を雇いたい会社があると思うか?
もし仕事が見つかったって、時給制のアルバイトだ。俺は正社員として働きたいんだ。」
 
「もう俺は諦めてるんだ。どうせ仕事なんて見つからないから。5月になったら、また路上に戻るだけさ。」
 
30分ぐらい、彼と会話をした。
彼の言い分は十分納得のいくものだった。
 
けれども、決して自分の「非」は認める発言はしなかった。
なぜそうなってしまったのか、それは全て「社会」のせいだった。
 
 
そんなやり取りの中から感じたもの、それは「弱さ」だ。
仕事になじめず、家族関係もうまくいかない。
そのうちに社会から排除され、路上で生活を始める。
 
 
けれども、
「弱くある」ということは、それほど否定されるべきことなのであろうか。
私たち一人一人の存在は、それほど強いものなのか。
 
 
 
弱さを認め、共に生きることの難しさを考えた。
他者に寛容であることの意味を考えた。
 
だから私は彼らのことを、もっと知りたいと思う。
明日の年越しは、山谷に滞在するつもりだ。