イブの夜は、エドワード・サイードの人生を追った映画「OUT OF PLACE」を見に、東中野にいた。
高校を卒業して進路に迷っていたころ、サイードの著作を読み、おこがましいのを承知で彼の人生を自分に重ね合わせていた。
パレスチナ問題に興味を持ったのも、文学批評家であり、思想家としてのサイードに触れたのがきっかけだった。
 
映画自体は少々冗長ではあったが、それでも見てよかったと思う。
とても苦しくなったのと同時に、温かい気持ちにもなれた。
 
 
サイードの知人であるプリンストン大学のマイケル・ウッドは、映画の中でサイードをこう評していた。
「エドワード・サイードは「故郷」についてときどき物欲しげな興味を抱き、自分は体験できなかったけれど、故郷をもつというのはどんな感じなのだろうと、知りたがっていたようです。」
 
 
私にも故郷はない。
さらには、家族もいない。
正確に言えば、どこを故郷とすべきなのか、誰を家族とすべきなのか、分からないのだ。
 
「兄弟は何人?」
「出身は日本のどこ?」
「お母さんは何をしているの?」
 
家族の絆の深い土地柄である、バングラデシュやパレスチナでは、度々問いかけられた。
そのたびに、言葉に詰まった。
何と答えていいのか分からなかった。
 
 
物心がついた時から、共に住む人と住む場所を、二年おきぐらいに変えてきた。
だから、私はずっと、自分の根っこが切り離されている感覚に囚われていて、苦しかった。
それはサイードや、第一世代のイスラエル移民と共通しているものなのかもしれない。
 
 
けれども、サイードは言う。
「ときおり、自分は流れ続ける潮流の束ではないかと感じることがある。
安定した個体としての「自己」という概念、多くの人があれほど重要視しているアイデンティティーというものよりも、わたしにはこちらの方が好ましい。
・・・これほど不協和音を人生に抱え込んだ結果、かえったわたしは、どこかぴったりこない、何かずれているというあり方のほうを、あえて選ぶようになった。」
 
 
「どこにも属していない」
アイデンティティーの流動性や不在を、「肯定的」に受け止めるという逆説が、そこには存在する。
それは全てのものからの「自由」であることを意味するのかもしれない。
 
 
人権活動家のワシャウスキー氏も作品の中でサイードをこう評していた。
 
「彼のアイデンティティは、パレスチナ人というだけではない、パレスチナ系アメリカ人だけでもない。自分で築き上げたものだ。
そして彼は境界上に自分を置いた。西と東の境界に、パレスチナとイスラエルの境界に。
そして彼はイスラエルの現実を理解し、それをパレスチナ人に伝えようと努めた。
だが現実はアラブ人かユダヤ人かの選択を強いる。イスラエル人なのか、パレスチナ人なのかを。そこでエドワード・サイードは、「私はユダヤ人だ」と言った。 
これを聞いたイスラエル人たちは挑発だと受け止めた。でもエドワード・サイードにそんな意図はない。全ては心のもちようの問題だった。」
 
 
「自分が何者であるのか」という再帰的な問いに対する答えは、自分自身が創るものだというサイードなりの解釈が、そこにはある。
全てのアイデンティティから自由であることを選択したサイードだからこそ提示しえたその試みに、苦しさと同時に、強さや希望を私は感じた。