卒業論文では、先進国・途上国が共に活かしあうような開発の形について考察したいと、前日のブログで書いた。
それはひとえに、僕が「彼ら」から受け取ったものが、ものすごく大きかったからだと思う。
 
 
僕は幼い頃から、自分と他者や、自分と世界を「隔絶したもの」と捉えていて、だから自分の殻のなかで生きていた。
ずっと誰からも必要とされて生きてはいなかったし、だからこそ他者への優しさに欠けていた。
独りで生きることを、「強さ」と勘違いしていた。
 
 
そんな僕が世界と繋がったのは、昨年の夏のことだった。
それは、大学に入ってから徐々に溶かされ始めていた殻が、崩れた瞬間だったように思う。
人の優しさとか、美しさとか、全てに触れた瞬間だった。
 
 
僕という小さな存在が、多くの人の助けを得てイスラエル人・パレスチナ人学生たちを招致し、そこからたくさんの物語が生まれたということ。
その過程を全身で感じられた僕は、他者と共に生きているということが、とてつもなくかけがえのないものだとやっと気付けたのだ。
 
 
 
 
今年6月、イスラエルにいたとき、去年の参加者である某イスラエル人カップルの家に泊まっていた。
会議で出会ったパレスチナ人の友人たちのことを嬉しそうに語った後に、彼らは私に言った。
 
「私たちに子どもが生まれて大きくなった時、あなたの子どもが会議の代表をしているといいね。」
25年後の未来を想像して、涙がこぼれそうになった。
 
 
去年の夏の会議の最中、開催地である三島町の人々とイスラエル人・パレスチナ人が踊り明かした夜があった。
今年の夏、三島の方たちとお会いした時、一年前のその夜の写真を見ながら、思い出話に花が咲いた。
かけがえのない記憶はきっとこうして残り続けるのだろうし、そうだとしたら一人ひとりの存在はきっと優しくあるべきなのだと僕は知った。
 
 
 
他者との繋がりのなかで暖かい気持ちになれたということ。世界が多様で美しいということ。
今、僕が世界とかかわり続ける理由は、それで十分だと思う。
 
「先進国とか途上国とか関係なく、一人ひとりの人間が繋がりあって共に活かしあう世界を創る、その一助になれたら」
一年前の夏の成田空港で、偶然という奇跡に出会えて以来、ずっと考えている。