「ぼくは子どもの頃からずっとひとりで生きてきたようなものだった。・・・しかし大学生の時その友達に出会って、それからは少し違う考え方をできるようになった。長い間1人でものを考えていると、結局のところひとりぶんの考え方しかできなくなるんだということが、ぼくにもわかってきた。1人ぼっちであるというのは、ときとして、ものすごくさびしいことなんだって思うようになった。」(村上春樹 「スプートニクの恋人」より)
 
 
 
9月の前半、アメリカのパレスチナ人・ユダヤ人のピースキャンプに呼ばれていたのだが、仕事が始まる前の二日間僕はサンフランシスコ近郊に滞在していた。
現地のキャンプオーガナイザーが手配してくれたお陰で、僕はインド系アメリカ人の女性の家に、同行した後輩は70歳すぎの1人暮らしのおばあさんの家に宿泊することができた。
 
そのお婆さんの亡くなった夫は、パキスタン人だったという。彼女はクリスチャンであり、亡夫はムスリムだった。そしてその息子らはクリスチャンとムスリム、それぞれ異なる信仰を選んだ。
毎晩必ずBBCを見てアメリカの中東政策について議論を交わしていたのだけれども、実際に「他者」と共生してきた1人のアメリカ人として、その政策に対し唱えられる批判には、すごく重みがあった。少なくとも、「共生」を訴える彼女の発言が、奇麗事には聞こえなかった。
 
 
バングラデシュにいた時、仲良くなったバングラ人のタヒルさんが、ある日仲間との溜まり場に連れて行ってくれた。
そこにはバングラデシュの少数派であるヒンドゥー教徒の若者もいた。
「差別を感じるか?」との質問には「全くない」との答えが返って来た。
 
その三日後、未だに涙ながらに、数年前に亡くなった日本人妻のことを語る人とバングラデシュ人に会った。
ビザの関係で、妻の墓参りにさえいけないと彼は嘆いていた。
「民族とか国家なんて消えてしまえばいいのに。」
彼の言葉が突き刺さった。
 
 
国家とか民族とか宗教ってなんだろう。他者を認め、共に生きるということは何なんだろう。
イスラエル・パレスチナの問題に関わりながら、ずっと考えていた。
ルーマニアの、民族対立が未だ残る場所で生活しながら、ずっと考えていた。
バングラデシュでもアメリカでも考えさせられた。
異なる環境を生きてきた人と生活を共にしながら、ずっと考えていた。
 
僕自身は、他者を受け入れられるほど寛容にはなれたのか分からないけれども、それでも世界は多様だから美しいのだと思うし、そうあるべきなのだと思う。
そう思うのは、僕がもし他者という存在にイスラエル・パレスチナで、バングラデシュで、そして東京で出会わなかったのだとしたら、僕の感性はもっと閉じたものになっていたからかもしれない。
 
 
そういえば、一週間前23歳になりました。
精神年齢は未だ17歳ですが、祝ってくれた皆さん、ありがとう。
早く中身も大人になりたいです。