深夜にマケドニアという非常にマニアックな国に着いた。手元のロンリープラネットによると、マザーテレサの生まれた国らしい。これから、コソボ行きのバスを探します。
 
実は小学生の時、非常にマセていた私は夏休みの自由研究で旧ユーゴの内戦について調べ発表した。
そういうわけで、ここもそれなりに思い入れのある場所だ。
 
 
 
 
 
 
 
さて、イスラエル・パレスチナを離れて二日がたった。
ガザの侵攻で21名が死んだことを、先ほどホテルで流れていたBBCを見て知った。
 
 
 
現地にいるとき、ラマンラ近くで毎週行われているデモを二回見学した。
デモはパレスチナ人が中心となって行われていたのだが、デモを行うパレスチナ人を守るため、インターナショナルとイスラエル人も参加している。しかしどちらかといえば、インターナショナルの参加者の方が多い。
 
「なんでこのデモに、たったこれだけのイスラエル人しか参加しないのか理解できない。」
そこで出会ったイスラエル人の女性弁護士が私に話した。
「イスラエル人よりもインターナショナルの参加者の方が多いなんて、私たちイスラエル人は恥じるべきだ。」
 
 
 
 
今回の旅が終わりに近づいたころ、昨年度の会議参加者の一人でYESH GVOLというイスラエルの兵役拒否者の団体(http://www.yeshgvul.org/index_e.asp)に所属するゾハ-ルから電話がかかってきて、ガザ侵攻に反対するイスラエル人によるデモを見学しにいった。
 
現場近くのホテルで待ち合わせをしていたのだが、タクシーでホテルに到着したとき運転手がデモの現場を指差して、私に言った。
「あいつらはクレイジーなやつらだから、絶対に近寄るなよ。」
 
 
前回のイスラエル総選挙での投票率は63.2%、去年の会議中、あるイスラエル人参加者が今のイスラエル社会の状況を、"apathy"という言葉を使って説明してくれた。イスラエル人にはこの紛争に対して無関心になれる権利があると言えるかもしれない。
 
 
 
 
一方パレスチナ西岸地区のトゥルカレムで、あるファタハ系軍事組織の幹部が、武力闘争に加わったきっかけについて話してくれた。
彼は第二次インティファーダの始まる前、6年間イスラエルの農場で働き、そこでたくさんのイスラエル人の友人ができたという。
しかし第二次インティファーダ後、トゥルカレムに侵攻してくるイスラエル兵に抵抗運動を行うようになった。彼の友人の多くがこの紛争の中でイスラエル軍に殺されてしまったからだ。
 
 
彼の体のあちらこちらに銃弾の痕があり、家が襲撃されたことも三度あるという。インタビューは彼の家で行われたのだが、家具のあちらこちらに穴があった。かくいう私自身も、車の音が聞こえる度に銃撃を警戒しなくてはならず、なかなか怖かった。
 
 
インタビューの最中、彼はひざの上にまだ3歳の娘をのせていた。屈強な体つきでイスラエルへの闘争を語る彼も、娘の前ではとびっきりの笑顔を見せていた。
 
実は家が襲撃され彼が撃たれた時、彼女は父親の横にいて、その血を浴びた。
帰り際、彼女がアラビア語でつぶやいた言葉を、横にいたパレスチナ人のアクラムが英語に通訳してくれた。
 
 
「ユダヤ人は嫌い。」
 
 
 
 
この紛争は今、あまりに非対称な状況になりつつある。
一方では無関心、他方では憎しみの連鎖。
 
その中で、想像力は失われていく。 
 
 
 
 
注1;
イスラエルは男女問わず兵役が課される(男性は三年、女性は二年)。
パレスチナへの占領に加担することを拒む若者の一部がこの兵役を拒否しているのだが、彼らは刑務所に送られたりまたそうでなくとも社会から軽蔑の目で見られたりすることが多い。
 
注2;
イスラエルでタクシー運転手はスファラディーム(アジア・アフリカからの移民)が多く、一般的に低所得で教育レベルも低い。彼らの多くがリクード党など右派を支持している。
一方、アシュケナジーム(ヨーロッパからの移民)は教育レベルも高く、左派労働党の支持基盤となっている。
 
 
(手元に資料がない状況で書いているので、何か間違いがあればご指摘お願いします。)