ブカレストのネットカフェより更新。先ほどルーマニアに戻ってきた。
この後はコソボに行き、現地にすむ知人に会うつもり。
 
今回のイスラエル・パレスチナ訪問ではトルカレムでファタハ系のある軍事部門の幹部と4時間ぐらいインタビューしたり、ガリラヤ湖で泳いだり、ラマラ近くのある村でのデモに参加したりと、本当に充実していた。今も書きたいことが多すぎてまとまらない。
 
 
 
 
 
 
でも何よりうれしかったのは、去年の会議の参加者たちと、一年ぶりの再会を果たしたことだった。
 
 
パレスチナ人参加者だったアクラムは、ラマンラの街に香水屋を二件、化粧品屋を一件オープンさせていた。得意のフランス語を生かし、フランスから買い付けているようだ。
 
ビラルは赤十字で働き始めた。去年はお金がなくて困っていたべラルだけど、今は相当の給料を受け取っているようだ。仕事が忙しいみたいで、なかなか会う機会を持てなかったのが残念だった。
 
ヒシャムは多くのパレスチナ人と同様、職がなくて困っているらしい。酒も女もやめて、ムスリムとして敬虔に生きると私に宣言していた。いろいろ大変なのだろうが、それでも毎日楽しそうにやっているみたいだ。
 
ガザ在住のイスマイルは、ライフラインがほとんど遮断された状況下にあるみたいだ。でも電話で声を聞くことができて良かった。
 
 
 
 
一方、イスラエル人参加者だったアビゲイルは大学を卒業し仕事を始めていた。同じく参加者であった彼氏のベニとも、相変わらず仲がよい。エルサレム郊外の住宅地で二人暮らしている。
 
ゾハールは9月からドイツに留学するらしい。一昨年から勉強を始めた日本語もだいぶ上手くなっていた。去年の会議終了後からはアラビア語や中国語も勉強しているらしい。
 
ダニエルは、子持ちで年上の彼女と婚約していた。幸せそうだった。でも英語はまったく上達しておらず、アビゲイルに英語力をからかわれていたのが、かわいらしかった。
 
 
 
  
一年の月日が流れた今でも、参加者だったイスラエル人・パレスチナ人たちは電話で連絡を取り続けている。
 
 
二週間前パレスチナ人のヒシャムがエルサレムに入れた時も、ダニエルとゾハールと共にアビゲイルとベニの家に遊びに来たらしい。
 
先週から始まったイスラエル軍のガザ侵攻に際しても、イスラエル人参加者はイスマイルの安否を心配しいつも以上に電話で連絡を取り合っているようだ。
 
 
 
 
 
「会議ではいろいろおまえと揉めたけど、最終的には大成功だったよ。」
 
 
同じ日に別の場所で、それぞれのイスラエル人・パレスチナ人が私に言った。
 
私のできたことが、「場所を創る」ということだけだったとしても、それだけで意味があったのかもしれないと思った。
 
 
そして私にとっても、昨年8月のあの一ヶ月にも及ぶ時間は未だに鮮明に胸に焼き付いていて、きっとそれはこれからもずっと消えないのだと思う。
 
 
 
 
 
今回の訪問で私にとってあの場所が、完全な「他者」にはなりえないことが確認できた。
 
今も私たちは同じ空の下でつながり続けている。