もう一年も前の話になってしまうのだけれど、イスラエル人・パレスチナ人との間に対話の機会を創出し、そして日本社会にイスラエル・パレスチナに生きる人々の姿を伝えていくという活動を通して、色々考えさせられたことがあった。

 

事業規模が大きかったため色々な企業、財団、自治体、また多くの一般市民の方々に多大な協力を頂いたのだけれども、何度か「国際協力」そのものに対して批判を何度かうけたことがあった。

 

「イスラエル・パレスチナなんて私たちには関係ないだろ。」

 

 

内容面での甘さを批判されるのは構わない。むしろ、お願いしたいぐらいだった。

でも、世界で起こっている貧困や紛争を「関係がない」とかたづけてしまうことには、納得がいかなかった。

 

3年前イラクの人質事件とそれに伴う人質の方々に対する批判が起きたときも、同じことを感じていた。自分たちの選挙で選ばれた首相が自衛隊を派遣し、間接的にイラク延いては中東に大きく関わってしまっている(その行動の是非は別として)。

その中で「イラクなんて関係ない」という態度には、疑問を感じた。(人質になった方々に対して、その認識の甘さを問うものならば理解できるが)

 

 

 

 

そして二年間、色々なNGOに顔を出した。私自身もいくつかの場所で講演する機会があった。そこにいた所謂「国際協力に携わっている人」たちは、往々にして自分達が生きる社会を見ていなかった。

 

色々なNGOスタッフの講演を聞いたが、その多くがパワーポイントさえまともに作れてなかった。学生のプレゼンレベルだった。パワーポイントが画面の端で切れてしまって、文字が読めないときさえあった。「人の心に訴える」というとてつもなく難しい作業に対して、認識が甘いのではないかと思った。

 

九州でのある心理系の学会で講演したとき、私は次のような趣旨の発言をした。

「私たちは、紛争のない状況に生きており、イスラエル人・パレスチナ人に成り代わったかのように「お前ら仲良くしろよ」と言うことなどできない。だからこそ日本社会に訴えるという役割を担わなければ、活動の意義は半減すると思う。」

「私はこの活動を通じて、むしろ日本社会に市民社会、つまり「一人一人の市民が、自分が生きる地域・社会・世界の問題を考え行動していく社会(注:私の解釈)」を創りたかった。そして、それが日本に生きる人々にとって、イスラエル・パレスチナ、延いては世界の紛争・貧困問題を考え行動をおこすきっかけになればと考えている。」

 

この発言は批判を浴びた。

某大学の教授は、「今の学生は、世界のことに興味ないのか?じゃあ何に興味があるんだ?」と質問を投げかけてきた。この人は日ごろ教壇に立っていながら、何を見ているのだろうと思った。

「本当に彼らの気持ちに成り代われば、もっと何かできるはず」という、「おこがましい」意見も聞いた。

 

 

 

日本にいたとき読んだ「チェンジメーカー」という本の中で、印象的な下りがあった(今手元にないので、不正確な引用になってしまうのだが)。

 

あるアメリカ人が、著者に向かって、「アメリカ人にはあって日本人には欠けているものがある。それが何かわかるか」という質問を投げかけてきたらしいのだが、その答えは”compassion”だった。

 

確かに、市民の社会活動への参加率が日本とアメリカでは格段に異なる。

ルームメイトのアメリカ人は、9月にアメリカに帰ってNGOで働くつもりだという。

「アメリカは無数にNGOがあるからね。就職には困らないわ。」

世界の社会企業家たちの多くがアメリカ人だ。その理由が少し分かった。

 

世界の多様さや美しさを感じながら、そこにある不条理に立ち向かえる存在になること。そして日本(というと、すごく曖昧な定義でいやなのだけれども)に生きる人々に世界との繋がりを生み出しそこに「市民社会」を創り出すということ。

 

ここ二年間ずっと考え続けた結果、自分のありたい姿がなんとなく分かってきた。

 

具体的に何がやりたいかと言えば、ジャーナリズムかソーシャルベンチャーとなるのだけれども、それはまた次に書くつもり。

 

つづく。