昨日に引き続き、ブログ更新。昨日のブログはフォントが見づらかったので、先ほど修正した。さて、いまさらになってしまうのだけれども、バングラデシュ日記を書こうと思う。

ダッカ大学の外国語学校をうろうろしている時、「こんにちは。」と笑顔で話しかけてくれた女性がいた。この「ルマ」さんは、バングラ滞在の時に最もお世話になった方の1人だ。

彼女が日本語を習ったきっかけは、義姉が日本人だったからだ。彼女のお兄さんは日本で10年近く出稼ぎ労働者として働いていた。そして、日本で出会った「よしこ」という女性と結婚し、バングラデシュで三年間結婚生活を送った。

「よしこさん」は彼と結婚後バングラデシュに移り住み、約三年間共に生活した。しかし癌が発症し日本に帰国して療養、そのまま病状が悪化し帰らぬ人となる。

彼女が日本で死を待つ間、夫である彼はバングラデシュで日本政府にビザを申請し続けたが許可がなかなか下りなかった。ようやくビザが発給され彼が来日した時には、彼女の死まで一週間しか残されていなかった。

彼女の死後、彼はビザの関係上すぐに帰国。今は年に一度の墓参りのためにビザの発給を日本政府に要求し続けている。死後三年も経ちながら、一度も彼女の眠る土地を踏んでいないのだ。

 

バングラデシュ滞在の最終日は、彼女の家で昼食をご馳走になった。

「私は年に一回、よしこの墓参りをさせて欲しいと言っているだけなのだ。」昼食を頂く前、彼と話す機会があった。「よしこさん」の話をし始めると、徐々に彼の目が赤くなっていくのが分かった。

「私は他のどのベンガル人(バングラデシュ、インドのコルカタ地方に住む民族)よりも日本人である彼女を愛していた。民族とか国家だとか、そんなものなくなってしまえば、彼女の眠る場所に自由にいけるのに。」

彼は今バングラデシュで俳優として活躍している。俳優としてのキャリアを生かし、彼自身と「よしこさん」との物語の映画をつくりたいらしい。「この映画を日本の人々が観れば、きっと共感してくれるはずだ。日本にいたとき、色々な人が優しくしてくれたから。」

 

別れ際、彼が昨年取材を受けたJapan timesの記事のコピーを、私にくれた。「1人でも多くの人に、私の話を伝えて欲しい。夫が墓参りに来ないなんて、「日本人」であるよしこがあまりにかわいそうだと思わないか。」

そして最後に一言つけ加えた。「初対面なのに、こんなこと話してごめん。」

その日はすごく暑い日だった。雲ひとつない青空の中、ルマさんの実家を出た。

「日本人にそんなcompassionがあるかな。」

帰り道、ケンジ(注;一緒に旅をしていた後輩)に聞いてみた。

「難しいでしょうね。」

考えたあとに、そう答えた。

 

人を愛するということに国境や民族などないのだとしても、そこには様々な障害が待っていて、それは死を迎えた後も追いかけてくる。

二度と動かない思い出だけを胸に閉まって強く生きようとしても、目の前の壁があまりに高すぎて、彼は今もまだ追憶の中を生きるしかない。 

彼の家には今もまだ「よしこさん」の部屋があり、4年もの間、その部屋だけは時間が止まり続けている。

 

そしてその時間はまだ、動きそうにない。