私の住むトランシルバニア地方は人口の30パーセントをハンガリー人が占める。
ハンガリーの支配下にあった時期が長かったからだ。

先週、同僚に連れられて行ったハンガリー系のバーで、近くの大学で写真を学ぶ若者と話していたとき、ふいにナショナリズムの話になった。

「お前には分からないかもしれないけど、俺はどこまでいってもルーマニア人ではないんだ。」
彼は言った。

次の日、同僚のエルッド(ハンガリー系ルーマニア人)に、彼のアイデンティティーについて質問してみた。
 「俺は愛国心とか民族意識だとか、そういうものが嫌いだ。」
きつい言葉で彼が言ったあとに、微笑んだ。
「俺はこのクルージュの街が好きさ。それでいいじゃないか。」

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私の隣の部屋に住むカップルもハンガリー人だ。
といってもルーマニア系ハンガリー人ではなく、ついこの前までハンガリーに住んでたらしい。

彼は三年間無実の罪を着せられてハンガリーの刑務所にいた。それが冤罪だと分かって刑務所から出たものの、刑務所にいたせいで仕事がなく、ルーマニアに来たとのことだった。ハンガリー政府からは何の補償もないという。

「ハンガリーはひどい国だ。そして俺の住む場所はハンガリーにはもうないんだ。一体どこいけばいいんだろうな。」
彼は力なく笑った。
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去年の夏頃、「諸君」か「正論」だったと思うが、曽野綾子が首相の靖国参拝に賛成するにあたって次のような記事を書いていた(この人はアフリカの失敗国家を知らないのかと、呆れてしまったが)。
 「私は世界の国々をたくさん見てきたが、世界で自分の国家を愛さない人はいない。」

そして先日、ある知人がミクシのブログに次のような文章を書いていた(ちなみにブログのコメント欄に批判を加えたところ、削除されてしまったが笑)。
「国家を愛せない人間は、情けないを通りこして、かわいそうだ。」

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国家だとか民族だとかの狭間で悩みながら生きている人間は、どこにでもいる。「想像の共同体」にアイデンティティの基盤をおかない人間もいる。

世界は多様なのだから、それは当然なのだ。そして、そういった人たちに対する「思いやり」だけは、忘れたくないと思う。(これは日本の近年の愛国論争をみていて感じることだが)

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ちなみに、そのハンガリー系のバーではよくユダヤの音楽が演奏されていた。去年の夏、イスラエル人たちとよく歌った歌たちだ。ここにもたくさんのユダヤ人が住んでいるらしい。

その夜は、ルーマニア人もハンガリー人もユダヤ人も日本人も忘れて、歌って騒いだ。

「それでいいじゃないか」と、思った。