バングラのネット環境がよくなかったのと、時間がなかったこともあって、日記を怠りすぎた。とりあえずバングラ滞在記を書きます。ちなみに明日朝、ネパールのカトマンズ行きのバスに乗り込みます。二日かかるそうです。
 
 
 
 
二日間下痢で寝込んでから、ようやくバングラ観光を始めた。手始めにオールドダッカと呼ばれる旧市街に行ってみた。
 
やはり私の滞在していたボナニ地区は「外国人居住区」なのだなと感じさせられた。オールドダッカの名の通り、建物がとにかく古く、そして入り組んでいた。カオスという言葉がここまで似合う街もないだろう。
 
ここには外国人など一人もいない。道ゆく人々の好奇の視線がこれまたすごい。
あちらこちらで手招きされ、近寄ってみると「どこから来たのか」「なんでバングラに来たのか」など質問攻めだ。5分ほどその場で雑談してしまったらそりゃもう大変。後ろを振り返ってみればそこには20人以上のバングラ人が集まっている。
 
ここがエルサレムやコルカタなら、「まぁ中で休め」とお茶に誘われたら要注意だ。紅茶の恩で土産を買わせようとしてくるのは間違いない。しかしここはダッカ旧市街。とりあえずお茶を飲んでどうでもよい世間話をしていくうちに、時間は刻々と過ぎる。お土産攻撃の代わりに待っているのは「アドレス」攻撃だ。「俺の住所を教えるから、お前の住所も教えろ」と。日本では死語になりつつある「ペンフレンド」という関係になりたいらしい。
 
日本や韓国に労働者として働いていた人たちもいた。日本にくるバングラ人はコツコツと10年近く働きお金を貯め、そしてバングラに帰って小さな商店を開く。それがバングラでよく聞く「サクセスストーリー」だ。(もともと日本に来れるのは、バングラでも上流階級の属する人間たちなのではあるが)
中には、三鷹市野崎(ICU生は分かるはず笑)の工場で働いていた人もいて、世界の狭さを感じた。ここバングラデシュも確実に私のすむ社会とつながっている。そして「日本の友人に会いたい」と皆口々に語った。労働者受け入れというのも、「親日派」を増やすいい作戦なんじゃないかと、どっかの都知事に言ってみたかった。
 
  
とにかく人が温かく、英語や日本語が話せる人に会ってしまえば、30分以上の立ち話は当たり前。この人たちを見ていると、ふと去年のちょうど今頃滞在していたパレスチナ、ジェリコの街を思い出した。
 
 
 
ヨルダンの帰りにY嬢となんとなく寄ったのが、ジェリコの街だった。
国境からのバスに乗り込み、すぐにジェリコの街についた。バスを降りると一人の人懐っこい笑顔をしたアラブ人が私たちに近寄ってきた。
 
彼は英語が話せなかったものの、英語が話せる友人のタクシードライバーを連れてきて、「ジェリコの街を案内したい」と言った。帰りはエルサレムまで送っていくと行った。
タクシー代を聞くと「いくらでもいい」と。とりあえず「100シュケル(2000円ちょい)」と言ったら、「それで十分」と返ってきた。相場より圧倒的に安かった。
 
それから三時間ぐらい、ジェリコの街を観光案内してもらった。タクシーを観光名所で止めるたびにジュースやらバナナやらを大量に買い込み、「プレゼントだ」といい私たちに渡してくれた。それから約一時間かけて、エルサレムの街まで送ってくれた。
 
ある日の夕方のたった四時間程度の出来事だったけど、それでもあの風景は今も胸に焼き付いているし、これからもずっと忘れられないと思う。(ちなみにアラブの彼からは未だにY嬢に電話があるというから驚きだ。しかもわずか一年間で英語を覚え、英語で会話しているとのこと。)
 
 
次の日、ホテルの部屋でぼーとしていたら、映りの悪いテレビから流れるBBCから「イスラエルがジェリコに侵攻した」とのニュースが聞こえた。
英語のニュースだったわけで、聞き間違いかなとも思った(私のリスニング力は結構あてにならない)。でも”Raid"の文字が見えてしまった。
 
そしてそこには見覚えのある風景が映っていた。