ラストサムライとかいう映画が出た時、「サムライの魂を継ぐ全ての者たちへ」(正確には覚えていない)とかいうキャッチフレーズがCMとして使われていた。
 
ちなみに江戸時代の武士の人口は7%だ。約85%が農民。
私達「日本人」のほとんどは武士の魂など、ほとんど受け継いではいない(豊臣以前の兵農分離前の武士を対象とするなら、話は変わってくるかもしれないが)。
 
 
どっかの数学者が書いた、国家論が人気らしい。数学者が書いた国家論を読んでいる暇があったらプラトンの国家論でも読んでイデアについて考えていた方が何倍も有益なわけだが、作者のインタビューなどをいくつか読んでしまった。そしてこれがなかなかひどかった。
 
これは宮崎哲弥なんかも批判しているところだが、その某数学者は「資本主義は武士道精神に反する」などとのたまわっているらしい。
江戸時代は基本的に封建制(武士ー農民間のみならず、武士間でも)であり、今の時代なんかより搾取が激しい。武士道精神に資本主義を批判する資格はない。
 
さらに某数学者は、西欧化の中で日本の精神である武士道が失われていると嘆いているらしいが、「武士道」を論ずる前に、「武士道」全盛期の江戸時代になぜ国学が始まったのかを考えてみて欲しい。
 
賀茂真淵から始まる国学は、武士道の基礎となっている儒教精神に対する批判から始まった。賀茂真淵は、中国から輸入された儒学をベースとはしない、「日本」固有の思想とは何かを探り、それが本居宣長へと継承されるわけだ。
 
つまり江戸時代から「日本とは何か」を問うてきた国学者たちが考える「日本の伝統精神」は、武士道なんかじゃない。むしろそのアンチテーゼとしての、「古事記」だ。
 
 さて、「人間は共同体的存在だとするならば、共同性はいつでも私の行動に刻印されている」と言ったハンナ・アーレントを例に出して、このブログで何度も述べているように、伝統とは我々自身の中に内在するものだ。日本の精神なんてものは、もうすでに日本人である「私」の中に内在されている。
 
二つ前のブログを参照。
 
 
ルサンチマン的な伝統論はもう聞き飽きた。 
 
 
それにしても、新潮文庫のレベルは低い。
成熟化した社会の中で教育の役割が変わってきたことを分かっていない都の教職員が書いた本やら、某有名医学者が社会科学の基礎知識もないくせに現代の諸問題を語っている本(二冊とも立ち読み)やら、どうにかしてほしい。おもしろかったのは、宗教学者の島田氏が書いた某宗教団体の分析本ぐらいか。