物事を考える上で、知識は絶対に必要なものだ。
 
 
 
ある大学の文化祭で私が代表を務めていたイスラエル・パレスチナの団体についての展示を行ったことがあった。メンバーの知り合いがたまたま文化祭に来ていたらしく、団体の展示に立ち寄ってくれた。彼らの会話が聞こえた。
 
「イスラエル・パレスチナの紛争って全部イギリスが悪いんでしょ。三枚舌外交だもんね。」
 
「そんな単純なものではない」と、思わず口を挟んだ。
そんなことだけで、イスラエル・パレスチナに生きる私の友人たちが、悩み生きているわけがない。
 
少し話してみると、歴史教科書を作る会の思想に共鳴しているという話だった。今までの「自虐史観」から脱するべきだと、彼は考えているらしい。その思想の素晴らしさについて、熱く語られた。
そこで、藤岡信勝の話をふってみた。個人的に共感できない部分があったので、その部分についてどのように考えるか聞いてみた。すると、
 
「誰それ?」との答えが返って来た。
 
 
 
先日、ある知人が、カンボジアで少女買春をしたことを「ボランティア」だとブログに晒していた。少女たちが最も必要としているお金を与えているのだから、それは立派な「ボランティア」だといえるのだと。
それに対して、共感するコメントが彼の友人から寄せられていた。
 
ちなみに多くのお金は、クメール人の政府高官や警察、一部のブローカー達に廻る。また、彼女たちのほとんどは元ストリートチルドレン、又はベトナムやカンボジアの農村部から売られてきた子たちであり、その多くの場合が騙されて連れてこられている。
 
つまりカンボジアにおいて、少女買春は「ボランティア」どころか少女たちが自己決定権を得るチャンスを阻害することに繋がるわけだ。
 
ちなみに教師志望の彼のブログの最後には、自分のしてきた「国際的経験」は他の教師には伝えられないだろうと締めくくられていた。
 
 
 
醜いなと思った。
世界は多様で美しい。それを単純に語りたがる人間には、辟易する。