「日本人の伝統を守れ」
 
よく頭の悪そうな方々が叫ぶ台詞だ。高校時代顔を真っ黒に焼き、ピアスをしていて、金髪であった私は、よく年長者の方々に言われたものだ。
そういうセリフをおっしゃる方々には、是非羽織袴を着て行動していただきたいといつも思っていたのだが、今週号のNewsweekの特集が「日本人とは何者か」だった。
 
Newsweekの東京特派員のCaryl氏が「日本らしさ」が失われていると嘆いた記事だったのだが、なぜか隣のページにコロンビア大学のCarol Gluckからの反論の記事が載っていた。
 
Newsweekの編集者が、この東京特派員の書いた原稿を「マズイ」と思い、反論をアメリカで最も著名な日本現代史の専門家であるCarol Gluckに依頼したのだろうか。確かに、私がCarylのこの原稿を読んだときも、これはひどいなと思った。
 
例えば、Caryl氏は終身雇用を日本らしさにあげているが、これも50年代後半に生まれたもの。わずか40年ほどの伝統なのだと、Gluckはちゃんと反論していた。
 
特に良かったのは次の文章だ。
 
 
「同質であることを特異性の象徴としてきた日本社会が外国人の流入で揺さぶられている」とカリルは言う。しかし、この同質という概念は戦後につくられたものだ。日本は多民族帝国の歴史を封印し、韓国人などがいるにもかかわらず単一民族だと思い込むことにした。
 
つまり同質性も究極の「日本らしさ」ではなく、歴史の産物だ。歴史とは変化の物語である。そこで日本らしさとは何かを考えることはできる。90年代の「静かな変容」は日本社会にさらなる柔軟性をもたらし、国外に対する開放性を高めながら、「日本らしさ」の定義を変えてきた。
 
 
以上引用。
 
 
この伝統の概念を社会学的に言えば、こうなる。
 
ハンナ・アーレントは「人間は共同体的存在だとするならば、共同性はいつでも私の行動に刻印されている」と言った。知識社会学の創始者カール・マンハイムも、「本当の伝統であれば、伝統を選ぶことはできない。なぜならすでにそこにあるものだから」と言う。
宮台真司はこれらの学者の見解を引用しながら、非常に分かりやすい「伝統」に関する議論を行っているので、お勧めだ。
 
つまり、私の行動一つ一つに、「日本の神奈川県の横浜市で生まれ育ち・・・・」といった私の住む地域、社会、国家の伝統が刻印されているわけである。その意味で、日本らしさとは私の全てに影響しているのだ。
 
ちなみに、Gluckの言う「創られた同質性」については、S氏のブログの文章がよくまとまっているので、引用させて頂きます。
 
以下引用。
 
韓国併合や台湾、満州を占領する前から日本は混合民族国家を自称していました。当時の有力政治家や知識人ががそれについて言及している文献が残っています。日本はそれらの地域を併合したから「混合民族国家」を自称し始めたのではなく、「混合民族国家」を自称していたのでそれらの地域を併合したのです。だから韓国併合は「侵略ではなく、復古だ」と日本は主張したんですよ。

今でいう日本列島の内地人は確かに外国人との差異を認識していました。しかしそれと同時に日本列島内での差異も認識していました。そして天皇を認識していたり、大和というまとまりを認識していたのは、一部大名や幕府だけであり、一般人のレベルではほとんどといっていいほど浸透していませんでした。明治維新後日本にまとまりがなかったからこそ、伊藤博文は欧州に行き、どのように日本をひとつの国家として作り上げるか、どのように一般人に「日本国民」という意識を持たせるかを学びました。そして天皇制を持ち出し、天皇という「万民の父」を用いることにより、人民に国民意識をそれなりに持たせることに成功しました。