「この世からきれいに消えたい」 藤井誠二・宮台真司共著 
 
去年読んだ中で最もおもしろかった本だ。
私が所属していた某学生団体の一部のメンバーの中でも、密かなブームが起こっている。
それに関連して、昔考えてたことを書く。
 
 
 
高校時代、私はかなりの数の女性と付き合った。高校一年生の時だけで二桁は超えた。
 
今から考えてみると、人間の思考パターンを知りたかったのだと思う。
「こういう家庭環境に育ったから、こういう性格なのだ。」
「私がこういう行動に出れば、彼女はこういう行動に出る。」
 
どこにも居場所がなく世界を悲観的にみていた当時の私は、全てを実験と捉えていた。
 
そしてその結果、人間は「ある程度」類型化できることを知った。本を読んで知る前に、経験知として知った。
 
 
 
 
 
人間の存在は社会によって規定され続ける。
 
 
裏を返せば、「私」という存在でさえ類型化されてしまうもの。例えば、ACの定義を見たとき、まさに自分だとも思った。私のような人間など、他にいくらでもいる。
 
そう考えてみると、生きていることに「意味」を求めることもばかばかしくなってしまう。
 
しかし、それでも私は「意味」を求め続けている。かけがえのない自己であることを望むのだ。
だからこそ「自分にしかできないこと」を求め、日々活動をしているのかもしれない。
 
 
 
社会システム理論の世界では、個人の体験や経験の様式は「システムの所産」となるらしい。
そこに「自己のかけがえのなさ」など、介在する余地があるのだろうか。
 
これから勉強を重ねたい。
 
そして、全てを知ることで自由になりたい。