まず始めに、そろそろこのブログを撤退したいと思う。あまりに多くの人に公開しすぎた。
MIXIやGREEにつなぐかはまだ悩みどころだけれど、とりあえず近いうちにブログを変えます。
 
さて新年だった。
家にホテルのカウントダウンパーティーのチケットが余っていたので、友人を誘って行った。
食事も豪華だったし、バンド演奏も良かった。
その後はホテルが手配したバスに乗り、浅草寺へ。初詣の後は、高尾山で初日の出を鑑賞(曇ってて見えなかったが)。
 
実は初詣など8年ぶりぐらいだった。
中学生の頃から、私はキリストの誕生日を祝った後に神道の儀式を行うという、宗教的な鈍感さがいやだった。私は無宗教だし、クリスマスを祝うことも初詣に行くことも無意味だと考えていた。
 
しかし気付いた。
世の中全てのものに「意味」などないのだと。突き詰めて言えば、私が今ここに生きていることさえも。
 
社会学者の宮台真司はニーチェに由来する概念「意味と強度」を使って、現代社会という「終わりなき日常」を生きる術を説明する。
「強度」とはintensity、人生の「密度」のこと。つまり「楽しさ」のことだ。
 
生きることそれ自体に「意味」はなく、我々の一つ一つの行動にも「意味」はない。
でも、「楽しい」から私達は生きる。
「楽しい、でも無意味だ。」ではなく、「無意味だ、でも楽しい」から生きる。
 
「新年」という、人間が恣意的につけた時間の区切れ目を祝う必然性は何もない。一年を365日と定めたのは、人間なのだから。
カウントダウンパーティーに参加するのも、神道の儀式(初詣)に参加するのも、寒い中高尾山に行くのも、本来的にはなんの意味もない。
 
 
でも昨日は純粋に楽しかった。
 
そしてそれが「生きる」ということなのだ。